2.おミヤ様の御神渡り
あいも変わらず冬の滝。
ミヤが
ミヤは日課のように、小さな滝つぼの池をつついて氷の花を作っている。
ぽっ、ぽっ。
局所的に凍った花の土台は、ゆったりとした水の流れに乗って、氷の花を運んでいく。
そして時には、
「えい。あっ」
いつもより広範囲の水面が凍る。針のような逆さ
ミヤの頭くらいあるそれを、
「また、ずいぶんな大きさになったなあ」
呆れとも感心ともとれる様子で、ミヤの背丈を超える白い大蛇――小瀧がやってきて、ぱくりとひと口で食べてしまった。
「小瀧っていちおう蛇だよね。氷なんて食べて寒くないの?」
小瀧はちろちろっと先割れの細い舌を出して、
「おれは大妖の小瀧様だぜ?
尻尾の先で氷の花をひとつつまみあげ、ミヤの頭に飾った。
「お前さんだって、そのナリで大して寒くないだろうよ」
「言われてみれば……」
ミヤはその場でくるりと回って、自身の出で立ちを見返してみる。
やわらかな薄黄味の生地に、紅の線で描かれたアンティーク柄の振袖。赤と緑、それぞれの紗綾織に白い花弁模様を刺繍した飾り襟をふたつ重ね。六花の帯留を飾った帯は、小瀧が気分で色々な形に締めてくれる。
一見その華やかさに目を奪われがちだが、冬場の滝に立つには足りないものがある。
ミヤは、これといった防寒具を身に着けていないのだ。
「あんまり……ううん、ぜんぜん寒くないね。振袖って案外冷えるのに」
「そりゃあ、お前さんがおれの力を受け取った妖もんだからな」
「寒くないのはいいけど、見た目的にこう、おしゃれな手袋とか襟巻きとか欲しかったかも」
ミヤは、池の水面を鏡代わりにしようと覗き込む。その水面を、小瀧が尻尾で波を立てて乱した。
「やめとけ。いくら
そうなると騒がしいぜ。と、小瀧はミヤを岸から下がらせる。
「にしても、お前さんの力もだいぶ強くなってきたなあ。ものは試しだ、アレを持たせてみるか」
小瀧の言葉に、ミヤは首を傾げるのだった。
しゃん。と、いくつかの金属音がした。
「小瀧、これはなに?」
「昔、おれを
小瀧は、てっぺんの輪型に金属環たちが通された杖を、白い尾で巻きつけて立てていた。
「チョウブ……コウソウ……シャク……?」
小瀧の言葉が、ミヤには意味のわからない音としか捉えられなかったようだ。神妙な顔で首を傾げている。
「あー……、おれを退治しに来た偉い坊主が持ってた杖だ。いいから持ってみろよ」
小瀧は簡単な言葉に言い換えた。そのまま、杖をミヤの前に持っていく。
差し出された杖を、ミヤはとりあえずといった様子で受け取る。ずしりとした金属の重みが、ミヤの腕を下に引っ張った。
「けっこう重いね」
「金属環がいくつもついてるからな。頭側をものに差し向けたり、
ミヤは言われたとおり、杖の頭をあちこちに向けたり、杖の底で地面を軽く叩いたりした。
ミヤが思っていたよりも取り回しやすい。
「これで何かする前にさ、聞いてもいい? なんでお坊さんが小瀧を退治しに来たの? お坊さんはどうなったの?」
「いいって言ってねえのにふたつも聞いてくるかよ、お前さんは……」
小瀧は、じっとりとした(ように見える)視線を向ける。
「ま、いいけどよ。おれくらいの大妖になると、周りがほっとかねえだけだ。あのなまぐさ坊主には、うまい酒飲ませて帰してやったさ。上機嫌で、その杖土産に置いていきやがった」
「なにそれ……変なの……」
ミヤは若干、小瀧から心理的な距離を取った。
「ど、どうでもいいんだよそんなこたぁよ! ほら、まずは杖の頭の方で宙に円を描いてみろ」
「こう?」
ミヤは言われたとおり、空中に円を描く。
杖の軌跡を雪の結晶が追いかけてきて、円ができあがる。円を縁に、一瞬で氷の膜が張られた。表面にはミヤと、見切れた小瀧が写っている。
「これって、鏡?」
「ああ。軽くたたけば割れて消えるぞ」
言うが早いか、小瀧は尻尾で氷の鏡をはたく。鏡は一瞬にして粉々に砕け、空気に溶けて消えた。
その様子を見届けてから、小瀧は白く長い身体を這わせ、池をはさんでミヤの対岸へと移動する。
「で。水面に杖の頭を向けるか、軽くつついてみろ」
「こうだね」
杖の頭で池をつつくと、ぽっ、ぽっと氷の花が咲いた。いつものように、浮いて流れていく。
それならばと、今度は水面の上で杖を横に
「じゃあ、これは?」
ミヤは池の縁に立ち、杖の底で地面をこんこん、と軽く突く。
ミヤの足元から向こう岸まで、池の表面が凍りつく。
「ん、まあそんなところで――」
小瀧が言い終わらないうちに、ミヤの手から杖の身が滑った。拍子で、「かつん」と強めに地面がたたかれる。
瞬間。ぴしりと音が走り、一瞬にして池全体、そして滝までが白く凍りついた。流れる水はどこにもなく、すべてが氷と化したのだ。
ぴし、ぴし――
間を置かずして氷に亀裂が入る。ぎゅっとひと回り小さく圧縮されて、隙間から水面が見えた。その水面が徐々に盛り上がって、亀裂の隙間を埋めるように凍りつく。
ミヤと小瀧は呆気にとられて、ただその様子を見ているしかなかった。
ぴし、ぴしり――
音は止まらず、亀裂を埋めた氷は盛り上がり続ける。
それはしばし成長を続け、ミヤの膝より高い氷の堤となって止まった。ちょうど、ミヤと小瀧をつなぐように。
「これ、聞いたことある……。たしか、『
ミヤが、身を屈めてまじまじと『御神渡り』を観察し始めたとき。
「こっちこっち!」
不意に子供の声がした。
「こっちだよ! 前に見たんだって、氷の花がくるくる流れてるとこ……ろ……」
滝に現れたのは、十歳くらいの子供ふたりだった。活発そうな少女が、同じ年頃の少年の手を引いてきたらしい。突如視界に入った『御神渡り』に目を奪われている。
「あの花、見られてたんだね」
どうせ自分たちのことは見えないのだからと、ミヤは小瀧に話しかける。小瀧は、やれやれといった様子で首を振った。
「お姉ちゃん、だれ? おミヤ様……?」
少女が、
ミヤがぎょっと振り向いた瞬間、小瀧が『御神渡り』ごと池の氷をたたき割った。
一緒に凍りついていた氷の花も滝も粉々に砕け、空気に溶けて水に戻る。
「へ、へび! おっきいへびいたー!!」
子供ふたりは悲鳴をあげ、一目散に逃げて行った。
「うっかりしてたな……」
子供たちが逃げ去った方向を睨みながら、小瀧はミヤの元まで這ってくる。
「力を入れすぎたか、あの氷の堤が条件か……一瞬おれたちが見えちまったみてえだな。子供だから
長い胴と尻尾で、ミヤの周りをぐるりと囲む。
「『おミヤ様』ってのは明らかにお前さんのことだろうな、ミヤ。神隠しに尾ひれがついて、風説にでもなっちまったらしいぜ」
「小瀧……」
ミヤが、なんとも言えない表情で小瀧を見上げる。
「とりあえず、少しこのままでいろよ。力を分けてやるから」
小瀧は、ミヤの周りを二重に囲んだ。
「心配すんな。お前さんの力はどんどん強くなってるし、おれは大妖だ。そうそう見つかるこたぁねえだろうよ」
お前さんにはおれがいるんだからな。
小瀧は、まだ睨みを効かせている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます