2.おミヤ様の御神渡り

 あいも変わらず冬の滝。こちら・・・はいつも冬景色。

 ミヤがあやかしものとなってから、体感ではしばらく経った。

 あちら・・・ではどれくらいかと小瀧こたきに聞けば、「知らねえけど、五年やそこらじゃきかねえだろうな」と、大妖おおあやかしらしく人間にあまり関心がなさそうな返答があった。


 ミヤは日課のように、小さな滝つぼの池をつついて氷の花を作っている。

 ぽっ、ぽっ。

 局所的に凍った花の土台は、ゆったりとした水の流れに乗って、氷の花を運んでいく。

 そして時には、


「えい。あっ」


 いつもより広範囲の水面が凍る。針のような逆さ氷柱つららが放射状に広がった花ができあがった。

 ミヤの頭くらいあるそれを、


「また、ずいぶんな大きさになったなあ」


 呆れとも感心ともとれる様子で、ミヤの背丈を超える白い大蛇――小瀧がやってきて、ぱくりとひと口で食べてしまった。


「小瀧っていちおう蛇だよね。氷なんて食べて寒くないの?」


 ここ・・もいつも冬だし。と、ミヤはいつも抱いていた疑問を口にする。

 小瀧はちろちろっと先割れの細い舌を出して、


「おれは大妖の小瀧様だぜ? 自分てめえのカタチなんぞに縛られねえのよ」


 尻尾の先で氷の花をひとつつまみあげ、ミヤの頭に飾った。


「お前さんだって、そのナリで大して寒くないだろうよ」

「言われてみれば……」


 ミヤはその場でくるりと回って、自身の出で立ちを見返してみる。

 やわらかな薄黄味の生地に、紅の線で描かれたアンティーク柄の振袖。赤と緑、それぞれの紗綾織に白い花弁模様を刺繍した飾り襟をふたつ重ね。六花の帯留を飾った帯は、小瀧が気分で色々な形に締めてくれる。

 一見その華やかさに目を奪われがちだが、冬場の滝に立つには足りないものがある。

 ミヤは、これといった防寒具を身に着けていないのだ。


「あんまり……ううん、ぜんぜん寒くないね。振袖って案外冷えるのに」

「そりゃあ、お前さんがおれの力を受け取った妖もんだからな」

「寒くないのはいいけど、見た目的にこう、おしゃれな手袋とか襟巻きとか欲しかったかも」


 ミヤは、池の水面を鏡代わりにしようと覗き込む。その水面を、小瀧が尻尾で波を立てて乱した。


「やめとけ。いくらこっち・・・にいる妖でも、水鏡みずかがみに映って人間に見えちまうときがある」


 そうなると騒がしいぜ。と、小瀧はミヤを岸から下がらせる。


「にしても、お前さんの力もだいぶ強くなってきたなあ。ものは試しだ、アレを持たせてみるか」


 小瀧の言葉に、ミヤは首を傾げるのだった。




 しゃん。と、いくつかの金属音がした。


「小瀧、これはなに?」

「昔、おれを調伏ちょうぶくしにきた高僧が持ってた錫杖しゃくじょうだ」


 小瀧は、てっぺんの輪型に金属環たちが通された杖を、白い尾で巻きつけて立てていた。


「チョウブ……コウソウ……シャク……?」


 小瀧の言葉が、ミヤには意味のわからない音としか捉えられなかったようだ。神妙な顔で首を傾げている。


「あー……、おれを退治しに来た偉い坊主が持ってた杖だ。いいから持ってみろよ」


 小瀧は簡単な言葉に言い換えた。そのまま、杖をミヤの前に持っていく。

 差し出された杖を、ミヤはとりあえずといった様子で受け取る。ずしりとした金属の重みが、ミヤの腕を下に引っ張った。


「けっこう重いね」

「金属環がいくつもついてるからな。頭側をものに差し向けたり、石突いしづき……杖の底で地面を叩いたりして使うんだ。軽くだぞ」


 ミヤは言われたとおり、杖の頭をあちこちに向けたり、杖の底で地面を軽く叩いたりした。

 ミヤが思っていたよりも取り回しやすい。


「これで何かする前にさ、聞いてもいい? なんでお坊さんが小瀧を退治しに来たの? お坊さんはどうなったの?」

「いいって言ってねえのにふたつも聞いてくるかよ、お前さんは……」


 小瀧は、じっとりとした(ように見える)視線を向ける。


「ま、いいけどよ。おれくらいの大妖になると、周りがほっとかねえだけだ。あのなまぐさ坊主には、うまい酒飲ませて帰してやったさ。上機嫌で、その杖土産に置いていきやがった」

「なにそれ……変なの……」


 ミヤは若干、小瀧から心理的な距離を取った。


「ど、どうでもいいんだよそんなこたぁよ! ほら、まずは杖の頭の方で宙に円を描いてみろ」

「こう?」


 ミヤは言われたとおり、空中に円を描く。

 杖の軌跡を雪の結晶が追いかけてきて、円ができあがる。円を縁に、一瞬で氷の膜が張られた。表面にはミヤと、見切れた小瀧が写っている。


「これって、鏡?」

「ああ。軽くたたけば割れて消えるぞ」


 言うが早いか、小瀧は尻尾で氷の鏡をはたく。鏡は一瞬にして粉々に砕け、空気に溶けて消えた。

 その様子を見届けてから、小瀧は白く長い身体を這わせ、池をはさんでミヤの対岸へと移動する。


「で。水面に杖の頭を向けるか、軽くつついてみろ」

「こうだね」


 杖の頭で池をつつくと、ぽっ、ぽっと氷の花が咲いた。いつものように、浮いて流れていく。

 それならばと、今度は水面の上で杖を横にいでみる。振った軌跡に沿って、広めの範囲に氷ができた。


「じゃあ、これは?」


 ミヤは池の縁に立ち、杖の底で地面をこんこん、と軽く突く。

 ミヤの足元から向こう岸まで、池の表面が凍りつく。


「ん、まあそんなところで――」


 小瀧が言い終わらないうちに、ミヤの手から杖の身が滑った。拍子で、「かつん」と強めに地面がたたかれる。

 瞬間。ぴしりと音が走り、一瞬にして池全体、そして滝までが白く凍りついた。流れる水はどこにもなく、すべてが氷と化したのだ。


 ぴし、ぴし――


 間を置かずして氷に亀裂が入る。ぎゅっとひと回り小さく圧縮されて、隙間から水面が見えた。その水面が徐々に盛り上がって、亀裂の隙間を埋めるように凍りつく。

 ミヤと小瀧は呆気にとられて、ただその様子を見ているしかなかった。


 ぴし、ぴしり――


 音は止まらず、亀裂を埋めた氷は盛り上がり続ける。

 それはしばし成長を続け、ミヤの膝より高い氷の堤となって止まった。ちょうど、ミヤと小瀧をつなぐように。


「これ、聞いたことある……。たしか、『御神渡おみわたり』……」


 ミヤが、身を屈めてまじまじと『御神渡り』を観察し始めたとき。


「こっちこっち!」


 不意に子供の声がした。


「こっちだよ! 前に見たんだって、氷の花がくるくる流れてるとこ……ろ……」


 滝に現れたのは、十歳くらいの子供ふたりだった。活発そうな少女が、同じ年頃の少年の手を引いてきたらしい。突如視界に入った『御神渡り』に目を奪われている。


「あの花、見られてたんだね」


 どうせ自分たちのことは見えないのだからと、ミヤは小瀧に話しかける。小瀧は、やれやれといった様子で首を振った。


「お姉ちゃん、だれ? おミヤ様……?」


 少女が、ミヤに向かって・・・・・・・言葉を発した。

 ミヤがぎょっと振り向いた瞬間、小瀧が『御神渡り』ごと池の氷をたたき割った。

 一緒に凍りついていた氷の花も滝も粉々に砕け、空気に溶けて水に戻る。


「へ、へび! おっきいへびいたー!!」


 子供ふたりは悲鳴をあげ、一目散に逃げて行った。


「うっかりしてたな……」


 子供たちが逃げ去った方向を睨みながら、小瀧はミヤの元まで這ってくる。


「力を入れすぎたか、あの氷の堤が条件か……一瞬おれたちが見えちまったみてえだな。子供だから見え・・やすかったってのもあんだろうが」


 長い胴と尻尾で、ミヤの周りをぐるりと囲む。


「『おミヤ様』ってのは明らかにお前さんのことだろうな、ミヤ。神隠しに尾ひれがついて、風説にでもなっちまったらしいぜ」

「小瀧……」


 ミヤが、なんとも言えない表情で小瀧を見上げる。


「とりあえず、少しこのままでいろよ。力を分けてやるから」


 小瀧は、ミヤの周りを二重に囲んだ。


「心配すんな。お前さんの力はどんどん強くなってるし、おれは大妖だ。そうそう見つかるこたぁねえだろうよ」


 お前さんにはおれがいるんだからな。

 小瀧は、まだ睨みを効かせている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る