拾捌 心


「ッ……」



ゴォンッ!!!



身を、その芯から震わせる様な轟音。

雷鳴を彷彿とさせつそれと共に、固く瞼を閉じたにもかかわらず茜色に染め上げるスノーの視界は、今度は黄金色に輝き、それで埋め尽くされた。

彼女は、ゆっくりと瞼を開く。

すると、そこには一つの影が。


「——すまない、待たせた……」


「ユ…ウ…?」


目の前に立つユウの背に、スノーはそんな声を漏らす。

彼のその手には、刀身が黄金色に美しく輝いた一振りの純刀が握られて居た。

茜色の背に、その瞳から真紅の光を漏らして居る彼の姿。

それに、彼女の目にはいつの間にか涙が溢れていた。


「——ごめ…ん…」


なにに対する謝罪かはわからない、しかし彼女はそう言葉を零す。


「大丈夫だ——すぐに終わらせる。」


その言葉を耳にして、スノーは安堵に包まれる。

そうして、次に麻痺していた感覚が解け、蓄積された疲労感が一気に押し寄せて来た。


薄い視界の中、その風景芸術を瞼に焼き付ける。

そうして、いつしか彼女の意識は完全に途絶えていった。






パチパチパチ…



「ぅ…ん…?」


火の焚き上げる音に、スノーはその目を覚ました。


「…?  ああ、起きたか。」


その声に視線を上げると、美しい星空を背景に、ユウが丸太を椅子代わりにして座っていた。

いつのまにか変異魔法は解除されているようで、黒い髪に瞳からは紅い光を漏らしていた。


久しぶりに見る彼のその姿。

暫くボーッとした後、最後の景色を思い出した彼女は跳び起きる。


「ワ、ワイバーンは!?」


すぐに辺りを見回すが、そこにワイバーンの姿など一つとして無い。

広がるのはただただ星明かりに照らされた木々と、それに作り出された闇のみである。


「……」


「あの後、お前は気絶状態鎮化した。その頃にはもう辺りは暗かったからな。ここは無駄に広いし、正確な場所も把握できていない。——簡潔に言うと遭難した。だからこうして野宿している。」


「そう…なんだ…」


ユウの説明にそう答える。


「……」


「……」


二人の間に、沈黙が訪れた。

聴ける音といえば火の踊る、パチパチと言った物だけである。

そうしてしばらくたった後、その沈黙はユウによって破られた。


「あの時…」


「?」


「あの時、触れた錆びついた剣...覚えてるか?」


「う、うん。ユウが倒れた...」


「ああ。——信じられないかもしれないが…あれは……」


そこまで言ったところで、ユウは一度を言葉を切り、本当に伝えて良いのかどうかを思考した。


「……?」


こちらを首を傾げ、見つめるスノー。

それを見て、一つ、溜息を吐いた後、漸くもう一度口を開く。


「——信じられないかもしれないが、あれはヨハンの剣だ。」


「え…?」


「かつて、ヨハンが使ってた剣——英雄の宝剣という奴だ。」


「そう…だったんだ…」


「——信じるのか?」


それに、スノーは一つ笑い声を漏らした後、口を開く。


「当たり前だよ。ユウは嘘をつかないからね。それに——」


「それに…?」


「あの時.....ちょっとだけね、見たんだ。——あれなら、今更英雄の刀剣だって言われても、信じるよ。」


「そう…か…」


「それもギルドに報告するの?」


「——いいや、理由はわからんが、何故か俺の物になったみたいだからな、今のところは報告する気は無い。」


「ヨハンの剣を自分の物にしたの…!?」


あまりの事に、驚きの声を漏らすスノー。

ユウはそれに、少し困った様子を見せると、答えた。


「ま、まあそうなるんだが…理由がわからなくてな。それも合わせて、調べる必要がある。」


「本人に聞けば…?」


「奴が話すとは思えない。」


「……」


また暫くして、ユウが口を開く。


「——雷電は、魔剣の堕ちていた。」


「…ッ」


その言葉にスノーが動揺を見せる。


——魔剣。

それは、聖剣と対を成す存在。

英霊が宿った剣——心剣の一つのことで、聖剣よりも高い能力を発揮する場合が多いが、聖剣とは異なり、あくまで“契約”で結ばれているのみであるため、主従の関係ではなく対等、若しくは魔剣側が有利な状態にある事が多い。


多くの場合は前者だが、いずれにしても一歩間違えれば魔剣に意識を喰い潰され、身体を完全に乗っ取られてしまうと言う危険が存在するのだ。


聖剣が魔剣に堕ちるという事など別段珍しい事でもない。

彼等英霊達には寿命というものが存在しないからだ。


「大丈夫....?」


「....少なくとも今の所はな。奴の口ぶりから察するに、俺でも知らない、俺の何かを知っているようだった.....こいつが俺の物となったのも、それが原因だろう。」


「……」


「まあ、まずは帰ることが優先だ。ここにいても、調べようがないからな。」


「うん…」


再び両者の間を沈黙が包み込んだ。

そうして数刻経ったのち、スノーが思い出したように「そうだ」と小さく呟いた。


彼女は口元に手をあて、小声で何かを呟き始めた。

ユウは、小さすぎてそれを聞き取る事は出来なかった。


しかし、同時に光り始めた彼女の髪に、それが何かしらの詠唱であると理解する。

間も無くして、彼女の頭にあしらわれていた黒い頭飾りは消え去り、真っ白に輝いていた髪も、蒼色に戻った。


「これでよし…」


「変異魔法か...?」


「うーん…ちょっと違う、かな....? あ

でも....」


「——まあ、詮索しないのが決まりだ、これ以上はなにも聞かない。」


「ありがとう。」


「——ッ!」


突然、ユウが何かを感じ取ったようにその腰を上げた。

スノーも、それに反応する。


「どうしたの....?」


「……」


ゆっくりと、しかし真剣な眼差しで木々を見回す。

そして、ようやくと腰を下ろし、ユウがその口を開いた。


「——いいや、大丈夫だ…多分…——だが、こいつは消さないとマズいか。」


そう言った後、魔法で水を生成し、それを火に被せて鎮火する。

辺りを完全な暗闇が包み込んだ。


「視界が消えるが…我慢してくれ、今は出来れば接敵したく無い。」


それに、小さくスノーが頷いたのを、ユウは感じ取る。

そして、腰を下ろす二人の間に、またも沈黙が訪れるのだった。

そうしてしばらくして、スノーの一言がそれを破る。


「ユウ....」


「?」


名を呼ばれ、そちらを向くユウ。

そして——


「ごめん....!」


「ッ!」


突然、スノーの身体が自分に零れ落ちてきた。


「おい、一体何のマネ——」


そう言いかけようとした所で、ユウは言葉を切った。

自身の腕の中で、小刻みに震えるスノーがいたからだった。


「どう....した....?」


「ユウ....ごめんね.....でも、ありがとう.....」


「——ワイバーンの事か? それなら気にする必要なんてない、お前も俺の命を救っている。貸借りは無しだ。」


「——私ね、怖かったんだ....凄く。」


「……」


「初めて、死ぬのが怖いって思った...今までのはただの稽古であって、実践は全然違うんだって、そう感じたんだ.....」


「——そうか。」


冷たくそう返される。

しかし、なにもユウは、どうでもいいだとか、そう言った気持ちで言ったわけではない。

かける言葉など見つからなかった、故にそう言うしかなかったのだ。


「ユウは....怖くないの?」


「……」


言い放たれたその言葉。

ユウは少しの動揺を覚える。


「...怖くはない。恐怖する理由が無いからな。」


「——やっぱり、ユウは強いんだね.....とっても。」


「いいや、俺は....俺は——強くなんて無いよ。」


「嘘....」


「本当だ....——俺は、強くなんてない。とても弱く、脆いんだろう。そんな心だったから.....もう二度と、怖い思いなんてしたく無かったから....考えるのを辞めたんだ。」


「.....?」


「考えなんてしていたら、とっくにこの弱い心は、ずたずたに壊されていたはずだ。——今だってそうだ、深く考える事なんてしたく無い。心の奥底でそれに恐怖しているからだ。だから、思考しない。だから、恐怖しない。だから、恐怖する理由がない。」


「……」


「逃げたんだよ、俺は.....世界の理不尽さ、醜さ、そして絶望に満ち溢れていると言う事実。それを理解して、背を向けた。こんな世界で、まともに生きていける訳がなかったんだ。」


「.....そんな事....無いよ....」


「.....?」


「確かに、理不尽だし、醜いし、絶望だらけかもしれない....でも、それが全部じゃないんだよ。ユウはそう思い込んでるだけなんだ。上手くいくこともあるし行かないこともある....綺麗な場所もあるし、嫌な場所もある。希望もあるし、絶望もある。....世界は、本当はとっても綺麗なんだよ....?」


「ハハッ....そうだな....」


俺からすれば、お前の方がよっぽど強いよ。


——喉元で止まった、ユウのその言葉は、ついに口から発されることはなかった。


「よ! 熱いねお二人さん!」


「ッ!」


突然の言葉にユウは跳ね起きると、瞬時に雷刃を形成し、それで斬り掛かった。



カンッ…!



鉄のぶつかり合うような音が響き渡る。


「ッぶねえ!! いきなりなにするんだ!」


その言葉に、ユウは一歩距離を取った。

間も無くして雷刃を納め、溜息を一つ吐く。

そして、雷球を生成し、光を灯した。


「....なにしているんだ?こんな所で。」


雷球の黄色い光に照らされたジョフは、その顔でにっと笑ってみせた。


「——それで? なんでここに居る。」


ジリジリッ、と音を立てて光を放つ雷球を背に浮かせ、黄金色の光に照らせたジョフに対し、ユウがそう問いかける。


「お前らを探すためだよ。ったく、三つも街を巡らせやがって....やっぱり遭難してたんじゃねえか。」


「なんだ、そんな事か。....まあ、コンパスも破壊されていたところだったしな。礼を言う、ありがとう。」


「ハァ....変な所で素直なんだよな、ったく。」


そう言うジョフを背に、ユウはスノーの元へ歩み寄る。

そして、その右手を差しのべた。


「帰るぞ。」


「....うん!」


笑顔の戻った彼女は、そう返事をし、手を取ったのだった。

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黒蝕天使は荒んだ世界に何を見る @oNAOc

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