第2話 「コミュニケーション」

 ***




 瞬きをする間に、少女の周囲の光景はすっかり変わっていた。その街並みは見たことがないのにどこか懐かしく、若干古臭さすら感じさせる。黒サンタがどこからか新聞を調達してきて、日付を指さしている。確かめるとおよそ――年前のものだったが、紙には全く劣化が見られず、真新しいインクの臭いがしている。どうやら、確かに過去に戻っているようだ。

 しばらく歩いてから、黒サンタが声を上げる。

「ここだ」

「……あ」


 見上げると、そこは寂れた市営住宅だった。壁の雨染みや金属部の錆、腐食がその住民の生活における苦労を物語っている。


「……あいつが連続殺傷を起こした最初の現場だ。被害者の死亡推定時刻とヤツの自白から考えると、おそらくもうそろそろ……」

 言いかけた黒サンタが顔色を変える。


「聞こえたぜ! こっちだ」


 走り出す黒サンタを少女が追いかける。

階段を駆け上がり、二階の部屋の扉を開く。


 足を踏み入れると、一人の少年が振り返った。

 その手には、やはり包丁が握られていた。


「ああ? 何だあ? あんたらあ?」


 眼前に広がる光景を見た少女は、先ほど自分が受けた仕打ちがフラッシュバックし、気が付くと身体が震えていた。

 少年の傍らには、縛られて震えている年老いた老女と幼児が倒れており、少女は思わず目を逸らしそうになる。


「大丈夫だ。まだヤツは誰も殺してない。それよりどうする? とりあえずアイツ、殺しとくか?」


 黒サンタが背中ごしに少女に声をかける。


「……そ、そんなの、ダメよ」

「は? お前、そのために来たんじゃないのか?」

「……アイツを止めなきゃ。でも、殺すのはなんか違う。アイツと同じになりたくない」

「ずいぶん甘い考えだな。なら、どう止める?」

「……ちょ、直接、話を……」

「話せばわかるとでも?」


 黒サンタの鋭い言葉に、少女は萎縮する。確かに目の前の少年の目は、もうすでにあの時と同じ、獲物を見るような視線に少女には思える。そんな相手に、本当に言葉など通じるのだろうか、逡巡した少女が押し黙る。


「何?まさか俺のお楽しみ、止めにきたのお? 邪魔しにきたのかあい? ひゃはは」


 少年が顔をくしゃりとゆがめ、下卑た表情を見せる。

 黒サンタはそんな少年と少女の様子を一瞥し、はぁとため息をついて、


「っせえよカス野郎」


 少年の横っ面に壮絶な右フックをお見舞いした。

 一撃を受けた少年は壁に激突し、信じられないという表情で黒サンタを見上げる。


「おい、てめえ、これから俺が言うことをよく聞け。お前の一生の間、少しでもこの人らにしようとしてることと同じようなこと考えてみろ。その時は、こうだ」

「いぎゃあああああああああああああああああ!!!ぬおおおうううううううあ!」

 黒サンタが親指と人差し指で何かをつまむような動作を見せると、少年の顔がゆがみ、苦悶のうめき声が辺りに響いた。

「ううううううやあめええてええやめてやめてえええええくだあああさああしんじゃああああああああううあ」


 黒サンタが手の動作をやめると、少年がその場に倒れこみ、肩で息をする。


「こんなんじゃすまねぇぜ。少しでもこんなくだらないこと始めようものなら、俺がお前を絶対にどこまでも追ってぶっ殺してやる。嫌なら、この俺、黒サンタに二度とこんなことはしないと誓え。誓わないなら……」


 再び何かをつまもうとする黒サンタに、少年は血相を変え、


「やや、やめてええ、お願いだあ、ち、誓うからあッ、頼むからやめてくれええ!」


 ぶるぶると身体を震わせ、涙と鼻水を垂れ流しながら懇願する。


「フンッ!」


 すがろうとする少年を黒サンタは盛大に蹴り飛ばし、少年は口から泡を吹いて気絶する。


「……おい、終わったぞ、話」

「……え、……今のが? ……わ、私、てっきり殺すつもりかと……」

「失敬な。れっきとしたコミュニケーションだろうが」


 黒サンタは悪びれずに言うと、老女と幼児の監禁を解いて、床へ寝かせる。


「この人らの記憶に、少し手を加えておく」

 

 両手を二人の頭に乗せ、黒サンタが目を瞑る。


「君たちは、何も見なかった。聞かなかった。何もされなかった。それが、君たちの真実」


 しばらく同じ言葉を繰り返した黒サンタは目を開け、少年を軽々と担いで少女に退出を促した。

 人気のない集合住宅の影に少年を置き、黒サンタは先ほど老女と幼児にやったように、しかし違った言葉で少年の頭に手を置き、繰り返す。


「君は忘れない。その痛みを忘れない。その恐怖は反芻する……」




「……すいません、私……口ばっかりで結局何も……」

 少女の申し訳なさそうな声に、黒サンタは振り返らない。

「……でも、やっぱり本人を目の前にすると、……どうしても怖くて」

「……忘れたいか?」


 その言葉の意味するところを少女は理解した。

 先ほどの記憶操作を、行ってほしいのか、という問いだ。


「……はい。……でも、まだ今じゃない気がするんです。おかしいかもしれないですけど、私はもう一度はアイツに殺されたようなものだから。だからどこか、自分は今死後のせかいにいるような心持ちなんです。……少なくても、アイツという最悪の存在をこの世界から消滅させたい。その痕跡すら残したくない。でもそれはできれば、アイツを殺す以外の方法でやりたいんです。ひどい目にあったお父さんお母さんのことを考えると、私はその瞬間を見るまでは忘れちゃいけない気がするんです」


「……難儀なヤツだな。だが、一度乗りかかった船だ。最後までつきあってやるよ、黒サンタとして」

 

 振り返り、黒サンタが言う。


「戻るぞ、元の時間へ」




 ***




 再び瞬きの後、少女にとってそこは見慣れた自宅の風景が広がっていた。

おそるおそる扉を開けると、


「波音? ちょっとアンタ、今までどこ行ってたの? 部屋も約束破ってそのままじゃない」

「今何時だと思ってるんだ、波音! 遅くなるなら連絡しろと、あれほど言ったはずなのに」


 その声はひどく久しぶりのように少女、波音には思えた。じわりと、思わず涙がにじんでくる。波音はこらえきれずに身を投げ出すように両親に抱きつき、声を上げて泣いた。




「……どうやら、過去が変わり、今が変わったようだな……」 


 波音が自室に入ると、そこにはいつのまにか黒サンタがおり、ベッドに座っていた。


「本当に、変えることができたんだ」

「……ああ。……おそらくはな、おめでとさん……」


 波音は声の様子から、黒サンタの様子がおかしいことに気が付く。どことなく声が息交じりで、疲労しているように見える。


「大丈夫? どうしたの?」

「……単純に疲れただけだ。どうにも、タイムリープは負荷が半端じゃなくてな……。これが12月だと、また消耗も違うんだが……。サンタの力はクリスマスだけに使えってことなんだろう……」

「そういうものなんだ……無理させてしまってごめんなさい」

「……いや、気にするな。俺は黒でも、一応はサンタクロースだからな。それに心配しなくても、お前の記憶を操作するくらいの力は残っている……」

「そのことなんだけど……、私はそんなに急がなくても大丈夫だから。良かったら少し休んでからでもいいし」


 黒サンタは一瞬怪訝そうな顔をするも、


「じゃ……あ……遠慮な、く……」


 言いかけて、黒サンタは身体をベッドに投げ出すようにして倒れる。

 とっさのことで驚いた波音が覗き込むと、彼は目を閉じて寝息を立てていた。

 

「……寝ちゃった」


 波音は呆気にとられつつも、黒サンタに掛布団をかけてやる。


(変な人……ていうか、変なサンタ?)


 ベッドの脇に身体を傾け、波音は黒サンタの寝顔をそっと盗み見る。今までちゃんと顔を見たことがなかったように思い、改めて見てみようと思ったのだ。

遠目には体格のいい中年に見えていたが、よくよく近距離で見て見るとそうでもなかったことに気付かされる。だらしなく伸びた長い前髪や、口元にある無精ひげのせいで老けて見えるが、こう近くで見て見ると、実はそこまで自分と年が離れていないのではないかという気になってきた。

(実は高校生説……いや、それはないか。てか意外とまつ毛長い……)


 しばらくの間黒サンタの顔を眺めてから、波音はハッと我に返る。


(ななな何してるんだろ私。てか考えてみたら部屋に男の人挙げるのなんて初めてじゃない。……初めての人? いやいやいや! 意識すると恥ずかしくなってきた、ってか、この人心読めるって言ってたしこんなこと考えてるってもしばれたら……)


 ブンブン、と頭を振り、波音は冷静さを取り戻そうとスマホを取り出して気を紛らわせようとする。

 その時。

 フッと、何かに息を吹きかけられたかのような、そんな不快な違和感が波音の胸をよぎった。その感覚は猛烈に波音へ危険を知らせているように感じられた。

 突き動かされるようにして、波音は恐る恐る、スマートフォンで検索をかける。

 ―――連続殺人事件、犯人●●●●。

 検索。

 

 検索画面に出た表示を見て、波音は凍り付く。

 そして同時にいつの間にか開いていた扉から、耳にこびりつくような声が聞こえた。


「……ひゃは」

 



「な、なん……」


 波音が言い終えるより先に、腹部に鈍い痛みが走る。

 信じられない思いで自分の身体を見下ろすと、そこには刃物が突き刺さっていた。


「ッあああああッッ」


 その場に崩れ落ちる波音を尻目に、男は歓喜の声を上げる。


「ヒャッ! ひゃははあッ! 本当だったあああひゃあ!!! 全てあいつの言う通りだったあああ!!!ひゃははははああああああ!!!!!!!」


「……は……ど、どういう、こ、と?」

「あの日いいいいあの忌まわしき呪いの日いいからああああ!!! 俺はそいつのせいで夜も眠れずううううう外にも出れずううううううううううう!!!!!!! 死んだ方がましな地獄の苦しみを味わったあああああああああくそがああああああああ!!!!!」

 

 男は顔をくしゃくしゃに歪め、憎悪に狂った獣のようにわめき散らす。


「おおお俺はああ、そんな絶望の中でも死ななかったあああ、その理由はたった一つううう、お前とそいつうう、黒サンタああああへの復讐うううだあああああきえええええええええええええええ!! 」

「そしててえええあいつがあああいつがああ! 俺の苦しみをおお! 力で取り除いてええええ! 黒サンタあああについて教えてくれたあああああおかげでえええええ! 今そいつが弱っているところへええええ俺がああひゃははははあああああああああああ!!!!!!!」


 耳をつんざくような喜びの奇声と、じわじわと大きくなる患部の痛みに必死に歯を食いしばりながら、波音の心は絶望に苛まれる。それでも背後に眠る黒サンタの存在を思い起こし、必死に勇気を振り絞る。


「……あ、あいつ、って……誰? ……なに、もの……?」


 少しでも、時間を稼がなければ、と波音は問いを投げる。その間に心では彼を呼び続ける。


「ひゃっはああああああああ!!!!!!!」


 しかし、質問への答えの代わりに、波音の大腿部に二本目の刃物が突き刺さる。

 声を殺し、強く食いしばりすぎて波音の口が出血した。

 それでも、波音は問いを続ける。


「……答え、て、……あ、い、つ、……ってだ、れ……?」

 波音の様子をみた男は急に静かになり、まるで爬虫類が人間をみるような無機質な目で波音をじっと見つめ、


「なんで泣かないんだお前え。もっと叫べよおおおお苦しめよおおおおお!!!! 何だよその目ええええきめえええええんだよおおおおおお!!!!!!!」


 歯をむき出しにして舌を出し、波音を口汚くののしり始めた。

しかし、次の瞬間。


「うん。いらね。お前、いらね。……死ねええええええええええええ!!!!!!!」


 波音の眉間へと狙いを定め、男は包丁を構えて突進する。

 目を閉じる間もない波音は、最後まで心の中で彼を呼ぶ。


『黒サンタッ!!!』


 ガキィッ、と固いものがぶつかる音がして、波音に突き立てられるはずの包丁の動きが止まる。

 黒サンタが波音を後ろから抱きかかえるようにして、右腕で彼女を庇ったのだ。その右腕は包丁が貫通しており、血がにじみ出ていた。


「ひゃはひゃはははああああああああああ!!!!!!! ようやあああくううお目覚めかあああああくうろおサンタああああああああああああああ!!!!!!!!!!」


 わめき散らす男を完全に無視して、黒サンタは波音に問いかける。


「……大丈夫か……?」

「……そ……っち、こそ、ごめん、……なさい……」

「……謝ることは、ない……。ちょっと、待ってろ、今、そこの生ゴミ……片付ける……ぶっごふおッ!!」


 男の放った蹴りを食らい、黒サンタがベッドにたたきつけられる。そのまま馬乗りになるように男が絡みつき、組んだ両手をひたすら顔面に打ち下ろし続ける。見る見るうちに黒サンタの顔がどす黒く変色していく。


「ひゃ! ひゃあああ!! ひゃあああああああああ!!!!!!!」


 歓喜を通り越してもはや恍惚とした表情で、男は黒サンタへと暴力をふるい続ける。

 最初はいくらか反撃をしていた黒サンタも、休みない男の暴行によってされるがままになっていく。


「ひゃあああああああああああああああああ死ねええええええええええええ!!!!死ねええええええええええええええええええええええゃああああああああああああ!!!」


 男の暴行は殴打の域を超え、ついには片目を抉り出そうと刃をたて身を乗り出す。

その時だった。


 ドンッ。


 鈍い衝突音が鳴り、男は動きを止める。

 ゆっくりと男が自分の身体を見下ろすと、横っ腹に地に濡れた包丁が刺さっており、その包丁を血に濡れた波音が握っていた。


「な、あ、お、お前ええええええええええええあああああああ!!!???」


 驚きに目を見開く男の背後で、何かが動いた。

 男が振り向くと、面影のないほど顔を腫らした黒サンタが、手をかざしている。

 黒サンタはその手をそっと男の額に置き、


「……爆ぜ、ろ、生ごみ」


 瞬間、男が口を開きかけ、その口が、鼻が、耳が、目が、頭蓋骨が、細かな肉片となってはじけ飛ぶ。少し遅れて、残された首から血潮が飛散した。

 ぐちゃり、と嫌な音を立てて男の胴体が床に崩れ落ち、部屋中が血のりの濃厚なにおいで充満する。その中で、黒サンタは波音へと手を伸ばす。


「……お、い…」


 誰からも、返事はなかった。


 血に濡れた手が、血に濡れた手を取り、


「……ジャ、ン、プ……」




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