第44話

 朝の公園はひっそりと慎ましやかに二人を迎え入れた。


 結子は、恭介の後ろに従ってベンチまでしずしずと歩いた。そのあと、恭介がベンチの細かい土を軽く払って、しかもその上にハンカチまで広げてくれるのを見た。ハンカチの上に腰を下ろしながら、結子は、


「紳士だね」


 感じ入った心をからかい気味の声に乗せたが、恭介は笑わなかった。張り詰めた表情をしている。結子は背筋を伸ばすようにした。恭介が隣に座る。


 話し始めるまで随分長い間、恭介は黙っていた。まるで、最初のひとことを発音するために必要なエネルギーが膨大で、それを溜めているかのようだった。


――こういう雰囲気のシーン、どこかで見たことがあるなあ。


 すぐに思い当たるものがあった。恋愛ドラマやコミックで見かける恋人同士の別れのシーンである。静かに別れを切り出す男。さめざめと泣く女。もし朝っぱらからそんな重たい話をされたら、泣きたくなるよりはむしろげんなりするだろうな、と結子がもやもや考えていると、


「ユイコはオレのこと、どう思ってる?」


 はっきりとした声を聞いた。


 結子は恭介の方を見た。


 しかし、恭介は結子の方を見ていない。まっすぐに前を見て、まるで前方の空気に向かって話しかけているような様子だった。


 結子は、いきなりの問いでしかもあいまいな問いであるので、どう答えれば良いのか迷いの時間を持った。どう思ってるかと訊かれても困る。恭介は恭介である。カレシであり、クサレ縁少年の大和の親友である。そういう答えで良いのだろうか。


 それとも、


「愛してるよ!」


 とか、


「大好き!」


 とか、好意を表す言葉を答えれば良いのだろうか。


 自信の無い結子が答えをためらっていると、


「ごめん、ユイコ。今のやっぱりなし。自分の気持ちを話す前に、結子の気持ちを訊くのは卑怯だよな。今の質問、無かったことにして」


 そう言って、恭介は言葉を継いだ。何が卑怯なのかはよく分からなかったが、結子はとりあえずホッとした。恭介はやはり前を向いたままである。一度深呼吸してから、彼は続けた。


「オレはユイコのことが好きだ」


 しっかりとした声音である。


 結子の胸の奥が切なく鳴った。


 好きな人から言われる「好き」という言葉には格別の言霊ことだまが宿っている。


「もう一度言って」


 という言葉を、結子は飲み込んだ。まだ恭介のターンである。


「でも、ユイコがオレのことを好きだと思ってくれてるのかどうか、自信が無いんだ」


「え……」


 結子は、思わず声を出した。


「いや、好きだと思ってくれてるのは分かるけど、ちゃんと好きなのかどうか」


 恭介はやはり前を向いたままである。


「ヤマトより好きなのかどうか」


 今度は声も出なかった。


「オレはずっとヤマトに負けてるんじゃないかと思ってた。ユイコから想われているっていう点で。オレよりもヤマトの方がずっとユイコに想われているって、そんな気がしてた。もちろん、ヤマトはユイコの幼なじみで、オレよりもずっと付き合いが長くて、それは当たり前なわけなんだけど、当たり前だと思い切ることができない自分がいて、ヤマトと同じようにユイコから想われたかったんだ。誘われてもユイコの家に行かなかったのは、ユイコからちゃんと想われているってことが確信できてからにしたかったんだ。それが分からないのに、『カレシです』って紹介されることが抵抗があって、それで行かなかったんだよ」


 恭介は滔々とうとうと話した。それは、想い溢れてというよりはむしろ、いったん言葉を切ってしまうと二度と続けることができなくなってしまうことを怖れているような感じだった。


「ヤマトと自分を比較するっていうのが馬鹿げたことだっていうのは分かってるんだけど、リクツで分かってても、心が納得しないんだ。そういう自分はあんまり好きじゃないんだけど」


 そこまで言うと、恭介は口を閉じた。


 結子は、ぽかんと口を開けた。


 意外というか、なんというか。


 大和とのからみについて不快な思いをさせているだろうことは念頭にあったわけだが、事は遥かに深刻である。まさか、恭介までが、結子・大和ラブラブ説を信じ込んでいるとは夢にも思わなかった。周囲の人間のうちただ一人、そのような妄説を退けている人だと思っていたのに。


「キョウスケは、わたしのことを信じてないの?」


 言うだけ言ってものが落ちたようにすっきりとした顔をしている恭介に対して、思わずこの言葉を投げてしまった結子は、ゾッとするような気持ちになった。自分の言葉がウソ寒い。一体自分が、信じられるに足るどのような行動をしたというのだろう。ここ数週間でカレシにしたことと言えば、大和のことを大事に思っているということを示したというその一点だけであって、後は大したことをしていない。この状態で、「信じろ」などというのは、無理以外のなにものでもない。


 恭介は、ベンチに座ってから初めて結子の顔を見ると、


「ユイコのことは信じてるよ。でも、これはオレの問題なんだ」


 言った。その声は清々としていて、心からそう思っているという風である。そのあと、すっとベンチを立った。まるでそれ以上の話し合いは必要無いとでも言うように。結子は開きかけた口を閉じて、それに従った。恭介とは別の意味で、結子には発する言葉が無かった。ベンチを立って、敷いていたハンカチを畳み恭介に渡す。


 恭介が歩き出したその隣に結子はついた。「信じて」とか「ヤマトのことは何とも思ってない」とか言うのは簡単だが、行動がそれをことごとく裏切っている。ということは、語れば語るほど嘘をつくことになるということだ。


 結子は、明るい日が差し染める通学路を黙々と歩くしかなかった。

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