第7話

 恭介キョウスケと付き合い始めるまで、こうして大和ヤマトを待ち一緒に登校していたことを、結子ユイコはさしてなつかしくもない気持ちで思い出した。


――いっつも待たされて遅刻ギリギリだったなあ……。


 実際に遅刻したことも何度かある。色あせない思い出を噛みしめて口の中を苦くしていると、玄関のドアが開く音がして、「行ってらっしゃい」という家人の声とともに、どこか警戒しているようなおっかなびっくりした様子で大和が現れた。


「明朝七時四十五分、貴家、門前にて待つ」


 という非常に乙女チックなメールを昨日の夜、結子は大和に送っておいた。それにちゃんと応じて時間ぴたりに現れてくれたようだ。なかなか殊勝な心掛けである。そんな彼に一言。


「絶交する」


 へ、と間の抜けた声を出す大和に、結子はもう一度、はっきりとした声で告げた。


「今日であんたとは絶交するから。こっちからも話しかけないんで、そっちからも話しかけてこないでね」


 ショックに耐えさせるためしばらく間を与えてやったが、大和には全く動じた様子が無かった。十年に及ぶ付き合いを経た隣人から、唐突に「交際を断つ」と宣言されたのにも関わらず、大きくあくびをしたり伸びをしたりなどして平静そのものである。実に可愛くない。


 言うべきことを済ませた結子は大和に背を向けると、歩き出した。ショックが無い様子であるのは予想外であるが、別にショックを受けてもらうことが目的ではない。


 昨日とは打って変わった五月晴れの下を結子はてくてくと歩いていく。


 燦々と朝の日が降り注ぐ街路をそのまましばらく歩いていると、


「やっぱ昨日、明日香アスカと何かあったのか?」


 隣に並んだ大和が訊いてきた。


 結子はもちろん無視した。


「明日香に訊いてもお前に訊けって言うし、恭介に訊いたらお前に口止めされてるって言うしさ」


「…………」


「どうなんだよ?」


「…………」


 答えず、まっすぐ前を向いたまま歩く結子は、


「それにしても久しぶりだよなあ。お前と絶交するの」


 隣からお気楽な声を聞いた。


 大和がやけに悠々とした態度でいる理由が結子にはそこで理解できた。


 結子が大和と絶交状態になったことはこれまでしばしばあった。例えば、結子がバレンタインデーに作ってやったケーキを近所の犬で毒見させたときとか、ナルシーが染み出しているしょうもない男を紹介してきたときとか、結子の書いた情熱溢れるポエムを同級生の前で朗々と朗読してくれたときとかに、彼の顔面に向かって掌底を叩きつけて、


「一生、あんたとは口きかない!」


 絶交状代わりにしてやったものである。ところが、大体一週間ほどすると何が原因で怒っていたのか、また怒らせていたのか忘れてしまって、どちらからともなく話しかけるようになり、知らない間に仲直りしているのが常だった。さながら姉弟のごとく。


 そのように二人の間のこれまでの「絶交」とはレクリエーションの要素が濃いものであって、先ほど結子が言い渡した絶交宣言も同じようにゲーム的なものなんだと大和は誤解しているのだろう。


――でも、今度は違う。


 昨夜六時間しか眠らずに考え出した答えがこれだったのだ。これまでの衝動的なものとは重みが違う。


 結子は明日香の言い分を受け入れてやることに決めたのだった。


「わたしの男に近づくドロボウネコめ! 消えなよ!」


 もうちょっとは品のある言葉だったかもしれないが、昨日彼女の言いたかったことはそういうことだろう。これにはいくらでも異議を唱えられるところ――そうして、実際に唱えてみたわけだが――結子は千歩譲ってやることにした。譲歩とは大人の所作である。明日香のような子どもと張り合うような自分ではないのだ、と結子は思った。もっとも、年は同じなわけだけど。


 では、どうするか。明日香が疑っているのは、「結子と大和がひそかにラブラブなんじゃないか」ということである。まことにアホらしいことこの上ないが、それはともかく、明日香の疑いは、二人がよくコミュニケーションを取っていることから生じている。現に、今回の件のきっかけも、昼休み時間に結子と大和が話をしていたことによる。


 とすればである。コミュニケーションを取らないようにすればいい。絶交して大和と話さないようにすれば、オールオーケーということになる。いくら何でも火の無いところに煙を立てるわけにはいくまい。話をしない二人を確認して、明日香は疑いを解かざるを得ない。また大和にしても、これまで結子に振り分けていた時間を明日香に使うことでカノジョとよりラブラブになれるし、結子にしたって同様である。これは誰もがハッピーになれる完璧なプランだ。


――天才かもな、わたし。


 自画自賛する結子の横で、大和は、昨日、結子の様子がおかしいのを確認してから、明日香に事情を訊きにいったが、答えてくれなかったというさっき言ったことをまた繰り返していた。


――答えなかったんだ。


 自分が正しいと思うのなら堂々と自分のしたことを言えば良い。そうしないということは、多少は自分のしたことに対して恥ずかしいという気持ちがあるのか、それとも正直に言ったら大和に呆れられるとでも思ったのだろうか。まあ、何にせよどうでもいい。明日香の気持ちなど知ったこっちゃない結子である。


 やがて、二人は、通学路上にある公園に着いた。


 入り口付近に一人の少年が佇んでいる。

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