第2話
お隣さんでもあり実に十年に及ぶ付き合いをしている大和少年。彼との関係に関して、結子には常々言いたいことがある。これだけはどうしても断っておかなければならない。
それは、
「ヤマトとわたしの関係に、『幼なじみ』という言葉を使うなっ!」
ということである。
幼なじみ。
この言葉にはホットミルクのように甘やかで心地よい響きがある。単に小さい頃から仲良くしていた相手というだけでなく、「恋愛感情持ってんじゃねーの、このこの」というふわふわとした趣がある。冗談じゃない! 結子は天地神明に誓って言うことができる。大和に対してそんな感情は一ミリも無い。彼と仲が良いことは認めるが、それ以上を期待してもらっては困る。しかし、これを周囲に説明するのは至難の業だ。
「ヤマトのことなんか何とも思ってないんだからねっ!」
といくら声高に主張しても、思春期ゆえの繊細微妙な感情と読み替えられてしまう。本当は好きなくせにそれを素直に表せないカワユイ心情であると。あまつさえ、ツンデレと誤解されることまである。これ全て、「幼なじみ」という魅惑のワードの為すところであって、結子は二人の関係をこう表現したいのだ。
クサレ縁、と。
腐れ縁。読んで字の如く、その関係は腐っているのである。「腐った」という語感からは、とてもとても美しい物語は生まれない。自然、結子と大和の間にロマンチックなつながりがあるのではないか、などという勘ぐりもなくなるというものだ。何であれ
「そういうわけでね、ヤマト。これからわたしとの関係を訊かれたら、こう答えてもらいたいの。『あいつとはクサレ縁でさあ。ホント嫌になるよ。早く縁を切りたいゼ。え? オレとあいつが付き合ってると思ってたって? そういう誤解が結構あるんだよね。でも全然そんなことないし。ていうか紹介する?』みたいな感じよ、どう?」
中学校の教室。お昼休みである。授業と授業の間に挟まれたしばしの時間。中三戦士たちはそれぞれ思い思いに休息を取っている。本を読んでいる者あり、机に突っ伏して寝ている者あり、奇声を上げる者あり、色々である。
結子は教室のほぼ中央にある席に座っている。自分の席だ。その席は、演壇に立つ人間と頻繁に目が合うという、もしもロックスターのライブ会場か何かであれば間違いなく特等席であったかもしれないが、ここは教室、演者と言えばロックンロールの「ロ」の字も感じさせないようなスーツ姿の教員連であったわけだから、視線を合わせてもピックを投げてもらえるようなこともなく、せいぜい投げてもらえるのは授業内容に関する質問だけであり、そのステキさに結子はうんざりしていた。早く席替えしたい。
結子の机の向こうに一人の少年が座っている。十年後の大和である。時間とは恐ろしいもの。彼には鼻たれ小僧の面影はなくなっていた。始終にへらにへらしていたアホな子の顔はぐっと引き締まって、イガグリ小僧の名誉も返上、黒髪を校則に引っかからない程度に適度に伸ばしている。生意気に結構女子に人気があり、更に生意気なことにカノジョまでいた。
「『クサレ縁』はいいけどさあ、後半の『紹介する?』はまずいだろ。お前には
大和は考えながら言った。
恭介、とは結子のカレシの名である。大和にカノジョがいて、結子にカレシがいないことがあろうか。いや、ありえない、と結子は断ずる。
「うーん。でも、いつ別れるか分からないしなあ」
「何だよ。喧嘩でもしたのか?」
「全然。喧嘩なんか一回もしたことない。でも、未来は誰にも分からない。そういうことよ」
「キョウスケはお前にはもったいない」
「その言葉は、そっくりそのまま君にお返ししよう」
大和が付き合っている女の子は、三年生男子に相当な人気のある子だった。同性の結子の目から見ても可愛いので、それも分かる気がする。
「片桐さんとはうまく行ってんの?」
結子が訊くと、大和の顔色が変わった。
「今、何分?」
慌てて教室の時計を見た彼は、時刻を確認すると椅子を蹴って立ち上がった。
どうしたの、と問う前に、
「明日香と約束してたの、すっかり忘れてた!」
そう言いざま、机の間を縫うようにして室内を抜けると、戸口から風を巻いて出て行った。
結子は大和の幸運を祈った。
天上にいます愛の女神は祈りを聞き届けてはくれなかったらしい。十分後、悄然と肩を落として帰ってきた大和に首尾を訊くと、
「『死ね』って言われた」
ぼそりと一言。
結子は無言で合掌した。これはどう考えても大和が悪い。大和はカノジョと付き合い始めてまだ一カ月なのである。カノジョとの間にしっかりとした信頼関係が醸成されていないこの時期には、ありとあらゆることよりカノジョのことを尊重しているということを、態度で示さなければならない。カノジョ以外の女の子と話をしていて、カノジョとの約束を忘れるとはお話にならない。愚の骨頂。
「ひとごとみたいに言うなよ。お前の責任もあんだぞ」
「おお、来たね。ヤマトくんの百の必殺技の一つ、秘技『責任転嫁』」
「何で遅れたのか訊かれて、お前と話してたって言ったらさ、スゴイ怒り出したんだよ」
結子はやれやれと首を横に振った。単に「忘れてた」とだけ言えば良いものを、なにゆえ火に油を注ぐようなことを言うのか。
「あのさ、ユイコ、頼みがあんだけど」
結子が目を向けると、大和は急に深刻な顔を作っていた。
訝しげに思いながら先を促した結子は、少しして、促さなければ良かったと後悔することになった。
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