第37話 夢の始まり



 飛行版の甲板はどこか微風が気持ち良い。

 まるで、羽毛にでも包まれているような気分だ。

 せめてもの、ずっとこの感覚を肌で感じていたいものだ。


「――師匠?……この気持ちも何だか久しぶりですね?」


「――あぁ……、久々だ。初心に返ることは……」


 僕たちはシュワシュワを片手に乾杯した。

 そんな僕たちとは打って変わって、メーティスは寂しそうに微風を浴びている。


「――それで?どうして?ロレンツィオなのですか?果たして、あそこに赴く必要があるのですか?」


「メーティスは未だ、冒険者になったわけではない。

 だ・か・ら!始まりの町――ロレンツィオなのだ!

 まずは、メーティスに冒険者の登録。

 そして、近辺のモンスターを狩らせることにより、体感を鍛えさせる。

 後は、戦闘用に動きやすい装束を持たせるつもりだ」


「はい、分かりました。だから、ロレンツィオなのですね?」


「あぁ」


 メーティスの服装はいわば、アイリスのおさがりだ。

 似合ってはいるが、すぐに別の装束をまとわせる必要があるだろう。

 個には個にあった装束がそれぞれ必要だ。


「おーい!メーティス!君もこっちにきて、一緒に飲まないか?」


「Yes.イツカ」


 メーティスはトトトッと軽快なステップを刻みながら僕たちへと駆け寄ってきた。

 その度に彼女の紅蓮の髪先から火の粉のような鱗粉が零れる。

 それは甲板の上を仄かに彩ると、彼女の姿を神宮の巫女のように色を付けた。


「メーティスはシュワシュワとオレンジ・ジュース、どっちを飲む?」


「Yes.シュワシュワをお願いします」


「早速、シュワシュワに目を付けるとは此奴、中々どうして、できるな?」


 アイリスは別の意味で感心していた。


 僕は近くにあったピュアサーバーからシュワシュワをジョッキに注げば、それをメーティスへと差し出した。


「これが……シュワシュワ」


 メーティスはその師玉の瞳を爛々らんらんと輝かせていた。

 その姿はまるで、玩具を頂戴した子供のようである。


「そんなに驚くことかな?」


「シュワシュワとは、一言で――恍惚こうこつ

 疲れた時の一杯に相応しい代物です」


「……ど、どうして、君がそんなことに詳しいのかな?」


「既に記憶へインプットされていました」


「まぁ、どちらでもよい。乾杯するぞ!」


 僕たちは互いにジョッキをぶつけ合った。

 さかなはないが、この包むような夜風が代わりになるだろう。


「ぷはぁ――!」


 彼女は堪らないと言った具合に頬の糸筋を歪めた。


「何だか、どこにでもいるような、おじさんみたいですよ?」


「構うものか。私はこのシュワシュワの一杯だけを目標に生きてきたのだぞ?」


「自棄に目標が小さくなりましたね?」


 彼女はもう一口ジョッキに口を付けると、それを一気に飲み干した。


「イツカ!お代わりだ!」


「へいへい」


 彼女にシュワシュワを注ぐ。

 まるで星屑のように煌くシュワシュワ。

 彼女はそんなシュワシュワが注がれたジョッキを嬉しそうに受け取る。


「ほら!イツカ!貴様も飲め!私だけではつまらん!」


「では、僕も頂きます」


 僕はシュワシュワを口にした。


 口内に浸透する苦味。

 僕の舌をひりひりと痺れさせた。

 同時に夢心地。

 まるで、吉兆夢を見ている気分であった。


「ぷはぁ――ッ!」


「貴様の方こそ、酔ったおじさんのようだぞ?」


「精神年齢はとうにおじさんを超えていますからね?」


 僕たちは互いに微笑み合った。


「…………」


 しばしの静寂が辺りを包む。

 僕は居た堪れなくなって、重たい口を開いた。


「そ、そのメーティスは恨んでいないの?」


「――恨む?はて?何のことですか」


「き、君の無数の姉妹たちを殺害してしまったことだよ」


「イツカ?私は恨んでいませんよ?」


 メーティスは一変、朝桜のように微笑んだ。


「少なくとも、私の姉妹たちは満足していたはずです。

 だって、今まで誰にも見つけられず、ひっそりと佇むばかりでしたから……。

 誰かに見つけて貰えるなんて、私は『奇跡』だと想いました。

 あぁ、こんな奇跡も未だ、現世に存在しているならば、この世も捨てたものじゃない、と私は想いましたよ?」


 メーティスは失った記憶を想い出すかのように瞼を閉じた。

 対し、アイリスは顔を悲しそうに歪める。


「――すまぬことをした。

 この罪を私たちは帳消しにできたとは想っていない。

 必ず、貴様たちを救う手筈があったはずだ。

 それなのに、私たちは……」


「そんなに、気を悔やまないでください。

 私はアイリス、イツカに救われて幸せですよ?」


 再び、メーティスは朝桜のように微笑んだ。


 そんな幸せな表情に居た堪れなくなったのか、彼女はシュワシュワを浴びるように飲み干した。

 僕は無言で彼女のジョッキにシュワシュワを注ぐ。


「――美味しいです」


 メーティスはシュワシュワを一口。

 その表情は至福に包まれていた。


「せめてもの、メーティス、貴様の笑顔が私たちの救いだ

 貴様の笑顔がなければ、私たちは罪の記憶で疾うに、押しつぶれていただろうに……」


「私の笑顔がアイリスやイツカの癒しになれば、それに越したことはありません」


「本当だよ?メーティス、君と出会えて良かった」


「私も同感です」


 メーティスは呼吸を一拍置くと、僕たちを研ぎ澄ますように見渡した。


「アイリス、イツカ。あなた方は私の――救い人です

 決して、その罪の記憶に苛まれる必要はありません。

 悪いのは私たちの親――旧文明なのですから」


 これには、僕たちもほっ。と溜息を零した。

 だが、これで救われるとは想っていない。

 けれど、心の枷が少しだけ外れたのは確かだ。


 僕は疲れたように夜空を見上げた。

 果てまで続く夜天は僕たちを優しく包んでいた。


「メーティスは何歳なのかな?」


「はて?数えたことはありません。が、イツカの話しに依れば、私は数万年、眠っていたことになります。

 ざっと計算して一万歳は経過しているかと……」


「そ、そうだよね?」


「――ほう、私たちよりも随分と年上らしいな?」


「精神面ではアイリス、あなたには劣ります

 生まれた瞬間をあの時だと仮定すれば、私の精神は零歳です」


「フフッ……、安心しろ。

 責任を持ってして、メーティス、貴様を一人前に育ててやるからな?」


 うぅ……、修行……、頭が痛い!


「イツカ!貴様、今、失礼なことを考えただろう!」


「か、考えていませんよ!」


「ムムッ!怪しいぞ!」


「そういう師匠はどうなんですか!?」


「私か!?私は、そうだな……?――何も考えていない」


「……馬鹿なのですか?」


「『馬鹿』とは失礼だぞ!イツカ!」


 メーティスはそんな僕たちの情景を眺めてクスッと笑みを零した。


「メーティス!何が可笑しい!」


「仲がヨロシイのですね?」


「「――どこが!?」」


 僕たちは醒めたようにシュワシュワを飲み干した。


「イツカ、メーティス見ろ」


「これは、綺麗ですね?」


「はい、まるで御伽噺の世界のようです」


 僕たちをなびやかな陽が照らす。

 際限なく続く朝焼けの天空は咲いた雛罌粟ひなげしのように美しかった。

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夢はグラフィティ、現実はアブノーマリティ 小山三四郎 @koyama_sansiro46

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