それは遠すぎた理想郷

「【万人の万人に対する闘争Bellum omnium contra omnes】との契約に基づき、死傷者はこちらの専門部隊が確認する」

 滑らかに動き出した車両の中、意識の外側でアリシアの冷静な声が響く。

 戦場の遺体に敵味方の区別はない。死ねば皆等しく肉塊となる。生者の死者に対する唯一の権利にして義務は、死者の安息を祈ることのみ。戦闘を終え、敵兵の死体を埋める都度レナードが口にしていた台詞だった。今や彼も、永遠の眠りを祈られる側だ。形見となったふところのデバイスを、固く握りしめた。


「何故、僕を連れてきた」

「興味が湧いたから。なにせ、君が初めてのケースだ」

「答えになってない。何が初めてなんだ。僕が一体何をしたと?」

「残念だが、今はまだ詳細は伏せさせてもらおう……と、それだけでは少々信頼に欠けるな。まあ、今は大人しく同行してくれればよい。君の利用方法は後で考える」

 アリシアから返ってきた答えは、かえって僕の不安を増大させるばかりだ。

「まあ、そう固くならないでくれ。しばらく私の好奇心を満たしてくれたのなら何か望みを聞いてやろう。そうだな、【学園(アカデメイア)】への渡航券などはどうだ?」

 聞き覚えのあり過ぎる地名に、肩が跳ねるのを抑えきれなかった。同時にある疑念が湧く。

「まさか、レナードの記憶を……」

「ああ。所持者の死亡時にロックが解除される死亡時認識票ドッグタグシステムを利用して、レナード・クレンドラーの記憶の一部を再生させてもらった。傭兵と現地の少年が交わした契約には、傭兵の雇用主であるキャピタルも関わっていると言えなくもないのでね」

 飄々とアリシアは告げる。レナードと僕の関係を覗かれた。私室に土足で踏み入られたような感情が湧くのを感じたが、もっと重要な事実がある。乾いた唇を舐め、そっと言葉を紡いだ。

「つまり、キャピタルの技術があれば。レナードの遺してくれたデバイスにアクセスできるのか」

「脳波によって記録されたデバイスの情報を正確に再生するには、受け手も延髄にキーを埋め込む必要がある。書き込みと出力の規格統一の話だな。簡易的な機能のキーであれば、手術自体はすぐにできる。そして、私達の向かっているこの国の迎賓館にもそれが可能な医療設備が存在する」

 赤髪の女性の唇が、蠱惑的なアーチを描く。僕にはそれが、悪魔の誘いに見えた。そして、悪魔の誘惑を拒むに足るほど。失うものが僕には残っていなかった。

 アリシアの白い指がポケットに入れられた僕の手を、その握るデバイスを指す。

「それは君がレナード・クレンドラーから受け継いだデバイスだろう。所有者死亡に伴う相続処理を行えば、データはそのままに、君の所有物としてアクセス権を書き換えることも可能だ」

「頼む」

 迷いはなかった。この女性の手中で踊ることになろうとも構わない。レナードの唯一遺したデバイスにアクセスできるというのなら、喜んでその機会に縋ろう。それに。この世界において圧倒的な力を誇るキャピタルの特使と共にいれば、彼の仇を討てるかもしれない。密やかな目論見を胸に、頷いた。

「では第一の契約だ。私は君にキーの埋め込み手術と、そのデバイス──生体磁気通信式人工外部悩サイバネティカルブレインの引継ぎ処理を斡旋しよう。代わりに、シャヒン、君はしばらくの間私と行動を共にしてもらう」

 それでいい、と僕が返したそのとき。窓の外を流れる景色が緩やかに減速を始め、そして停止した。車両から降りた先にあったのは、豪華な建物。この国の持つ雰囲気よりもキャピタルの空気を色濃く纏っている。キャピタルの正規軍の兵士が周囲を警戒しているところを見ると、ここがアリシアの言っていた迎賓館か。自分たちの逗留する建物を厳重に正規軍に守らせ、【闘争】には祝賀会の会場の警備にあたらせていたキャピタルの人間のことを考えると、乾いた笑いが漏れそうになる。

 アリシアに先導され、恐る恐る別世界のような豪奢な空間に踏み入った。テロの影響か、ロビーは混雑していた。人混みの中でも目立つ赤髪の背後について、混雑を突っ切ろうとしたその瞬間。広いホールに響いたのは、アリシアを呼ぶ凛とした声。

「アリシア・スチュワート! 何ということをしてくれたのですか貴女は!」

 声の主は若い女性だった。年齢はアリシアと同じくらいか。短く切り揃えたブロンドの髪にフォーマルなパンツスーツ。ミリタリーコートの下に戦闘服を纏い、赤毛を腰まで伸ばしたアリシアとは対照的な姿だ。強い意志を宿したサファイアブルーの瞳で僕達を睨み据え、ハイヒールが床を叩く音も高らかに人波を掻き分けてやってくる彼女を視認したアリシアが顔をしかめる。


「現地到着直後に幾度も紛争地域に出向いているかと思えば、今度は爆破テロ! しかも偶然その場に居合わせたからと言って突入部隊に同行するなんて、特使の立場をなんと思っているのですか!」

「よく知っているな、流石は同じS級特使なだけはある」

「ええ、残念ながら私は貴女と同じ肩書きを持つ立場。よって、この国での貴女の軽率な行動全て、今ここで説明してもらいます!」

「今は急いでいるから後にしてくれ。すまない、シャヒン。なるべくなら避けて通りたかったが、面倒な奴に捕まってしまった」

「その言葉遣いは何ですか、私は貴女と同じS級特使として苦言を呈しているだけです」

「ならば偶然居合わせただの、軽率な行動だの事実に反する断言は控えてもらおう。私にも、この少年を連れていること含めて正当な理由がある」


 僕を間に挟むような形で、言い争いが繰り広げられる。歩み寄ってきた女性とアリシアが睨み合った。このままだと僕を置いて本格的に論争が始まりそうな空気だ。そう判断して、とっさに僕は口を挟んだ。

「あなたは誰なんだ、アリシアに何の用がある?」

 問いを受けて、ブロンドの女性がようやく気づいたかのように僕の方を見る。

「私はライナ・ケーラー。キャピタルより紛争後の復興を目的としてこの国に派遣された、思想勢力【目的の国】Reich der ZweckeのS級特使です。私と同じく特使としての任を負っている筈が、着任直後より勝手な行動が目に余るそこのアリシアS級特使に話があります」

「彼女はキャピタルの共同統治理事会カンファレンスの有力思想勢力の一角、【目的の国】Reich der Zweckeの上級構成員だ。啓蒙を旨とし、その名に掲げた理想郷(目的の国)の実現を目指す勢力。ただの理想論者と思ってくれてよい」

「人は理想なくして善く在ることはできません。貴女が何を語るというのですか、功利と快楽を取り違えた享楽の徒が」

 元々犬猿の仲だったのか。僕の介入も空しく、ライナと名乗った女性はアリシアと応酬を始める。アリシアも、あれでは僕へ向けた補足と言うより挑発だ。会話から弾き出された僕はただ、火花を散らす二人を傍観していた。

「正確には、私達が追い求めるのは個々人の快楽の追及による社会的幸福の実現だがね。少なくとも私は徹頭徹尾動機論で動く、融通の利かないお前と違って帰結主義者だ」

「その行為が幸福や快を目的とする限り、真の道徳とはなり得ない。故に、私達【目的の国】Reich der Zwecke快楽主義者貴女達を否定する。……この遣り取りも、もう何十回目のことやら」

「今日のところは止めにしてくれ。私もこの少年を医務処置室に連れていく用がある」

 ロビーの注目を集め始めたところで、ようやく二人の口論が止まった。行くぞと言わんばかりに、アリシアに腕を引かれる。歩き始めれば、ライナも後を追って僕達についてきた。

「その少年は? 大きな外傷は無いようですが、何故医務処置室に?」

「シャヒン。テロの現場で保護した現地の少年だ。キャピタルと契約していた民間軍事会社PMCの傭兵のうち一人の関係者。私に協力する見返りとして、キーの埋設手術を提供する契約をした」

 先程の僕とライナのように、ライナがアリシアに質問を投げかけて、無愛想ながらアリシアも答える。キャピタルの人間には質問をされたら答えねばならないという掟でもあるのか、もしくは彼女達の掲げる信念故か。何故レナードが死なねばならなかったのかを筆頭に、まだまだ知らなければいけないことは山積みだ。そう心に刻んで、僕は足を進めた。

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