運命が扉を叩くまでもなく
こつ、こつ、こつ。ふと耳に響いた音に我に返った。足音が聞こえる。気が付けば、あれだけ鳴り響いていた銃声はもうどこにも聞こえない。静まり返った建物の中に、階下から軍靴が床を鳴らす音が徐々に近づいてくる。上の空のまま、受け取ったデバイスを懐に押し込んで。僕は床に転がっていたレナードの銃を手に取った。
足音は一人分。先程まで敵と銃撃戦を繰り広げていた階段からこちらへ昇ってくる。あえて足音を響かせるのは生存者を探しているのか、圧倒的な余裕の表れか。
重たい体を引きずるように立ち上がった。身を隠すことも何も考えず、廊下に仁王立ちになる。階段の方へ銃口を向けた。壁の陰から人影が現れた、その瞬間に引き金を引く。幾発もの銃弾が空気を裂き、人影に突き刺さるその直前。相手の姿が掻き消える。目の前に深紅が広がる。長い髪、そう気づいたときには目にも止まらぬ速度で距離を詰められていた。懐に潜り込んだ敵に目を向けようとしたころには、既に僕の身体は宙を舞っている。吹き飛びながら、がほ、と息が漏れる。鋭い掌底を胸に受け、受け身をとる間もなく床へ叩きつけられた。やられる。急に心拍数が上がった。身がすくみそうになる。今更、危機感がようやく湧いてきたのを感じた。一瞬で全身を支配する恐怖に駆られた僕は、とっさに目の前にあったものを掴む。床に転がっていた、敵兵の銃だ。
「ほう」
張り詰める緊迫感に似合わない、不思議そうな声がした。同時に、またも素早く接近した相手に組み伏せられる。ぎりぎりと腕を捻じりあげられ、銃を取り落とした。激痛に襲われながらも身体を捩る。
「まだ抵抗するのかね」
「当たり、前だ……っつ」
「面白い」
声がした途端、腕が解放される。しかし、身体はまだ組み敷かれたままだ。関節を押さえられ、身動きが取れない。どうにか首だけを巡らせ、僕の上で動きを封じている相手を見上げる。襲撃者の顔が目に入った瞬間、衝撃に襲われた。
戦場に不釣り合いな若い女性だった。爛々と輝くダークブルーの瞳が僕を見下ろしている。白い肌と対照的な鮮やかな赤毛を腰まで伸ばし、カーキ色のミリタリーコートの下には見慣れない素材でできた漆黒のボディスーツで全身を包んでいる。見上げる僕の前で、スーツが巻き付く蛇のように盛り上がり、
「誰、だ……?」
「アリシア・スチュワート。所属思想勢力【
端正な顔を歪めて笑い、僕を押さえつける女性は告げる。
「さて、君の番だ。会場警備に当たっていた【
全く悪いと思っていないような表情。うつ伏せになった僕の身体にまたがりながら、赤髪の女性がつい、と両手を伸ばす。柔らかな素肌の感触が僕の頬を挟んだ。それ自体は優しい仕草。だが、僕を制圧する時に見せた人間離れした動きから鑑みるに、僕の首を素手で捩じ切ることも可能だろう。背中に嫌な汗が伝う。銃口を向けられた時以上の戦慄を覚えながら、僕はどうにか言葉を絞り出す。
「僕はキャピタルの敵じゃない。僕は【闘争】所属の傭兵、レナード・クレンドラーの関係者だ。レナードは襲撃者との戦いで戦死した。あなたを攻撃したのはキャピタルの所属だと分からなかったせいで、キャピタルに敵意は無い。お願いだ、信じてくれ!」
「有り得る話だ。だが、フェイクの可能性もある。君が本当にそのレナードとやらの関係者だと立証できる物は?」
言われて、僕は必死に頭を巡らせる。何か、何か僕をレナードと関係付けられるもの。
「……僕のズボン、右ポケット。そこに、レナードから託された彼のデバイスがある」
咄嗟に思い付いたものを口に出す。死体から剥ぎ取ったものだと疑われればそれまでだ。死の間際、デバイスを僕に託してくれたレナードを信じて。女性の手がポケットを探ってデバイスを取り出すのを、組み敷かれたまま見つめていた。
「これか」
呟いた女性が、レナードのデバイスを手に取って眺める。続いて、手首に取り付けていたリストバンド型の装置にレナードのデバイスを重ねた。
「ドッグタグ信号確認。識別完了、死亡確認によるロック解除。記録スキャニング開始」
彼女の手首の装置が光り、デバイスが共鳴するように振動する。床から僕が見上げる中、女性は何かに没頭するかのように押し黙っていた。数十秒の後、彼女は息をひとつ吐いて、僕の上から立ち上がる。
「
少年。君が【
身を起こした僕に、女性は手を差し伸べる。一瞬の逡巡の後に、彼女の手を借りて僕は立ち上がった。
「先程の記憶スキャニングで読み取ってはいるが、一応訊ねておこう。少年、名は?」
「シャヒン」
「この国らしい響きだな。私はアリシアと呼んでもらって構わない」
レナードのデバイスをアリシアから受け取ったとき、横合いから声がかけられた。
「スチュワートS級特使! ご無事でしたか!」
駆け寄ってきたのは重武装の男だった。僕の目から見ても最新鋭のそれだと分かる装備には、アリシアの腕章にあったのと同じキャピタルの紋章。後に続いて、同じ出で立ちの男たちが次々と現れた。アリシアを護衛するように囲む。
防弾ベストやアサルトライフルが彼らのシルエットをぼこぼこと膨らませている。ひるがえってアリシアを見てみれば、見える範囲では武装らしい武装は腰に下げた拳銃のみだった。アサルトスーツを纏っているとは言え、無骨な銃を携えた男が軽武装のアリシアを囲むのはひどく不釣り合いな光景だった。
彼らがレナードの言っていた、傭兵ではないキャピタルの正規軍か。あと少し早く到着してさえいれば。潰えた可能性を思って奥歯を噛み締める。ぎり、と音が響いた。そんな僕を余所に、アリシアは飄々と応える。
「問題ない。彼はこの会場を警備していた【
「分かりました。ここは危険です、我々が出口まで護衛しますので特使は脱出を」
「そうしよう。探し人が見つからなかったことだしな。偶然だったが、保護対象も発見した」
キャピタルの特使の手が僕の肩にかかる。嫌な予感がすると同時、ぐいと引き寄せられた。
「さて、民間人の少年ことシャヒン。【
有無を言わせぬ力で腕を引かれ、僕は連行されるような形で半壊した建物を出た。未だ所々白煙を立ち昇らせる瓦礫の前に、幾台も停められた軍用車両。そのうち一台に、アリシアの手によって押し込められる。
「迎賓館へ」
隣に収まったアリシアの指示を受け、自動運転の車が滑り出す。僕はただ、三年前のあの日と同じように、車窓から無力を噛みしめて。そこで斃れたレナード達幾人もの人を想って、遠ざかる建物を見ていることしかできなかった。
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