終わらせはせぬと歌う銃声・後

「起きろ、起きろシャヒン!」


 レナードに頬を叩かれて意識を取り戻す。どうやら気絶していたらしい。見渡せば、豪勢だった会場の様子はうって変わって酷い有様だった。窓ガラスや花瓶の類はことごとく割れて床に散らばり、天井には見える範囲で数十箇所に大きな亀裂が走っている。衝撃波に全身を叩かれたせいか、身体の節々が痛みを訴える。二人とも細かな破片による擦り傷や切り傷はあるが、骨折などはないようだ。

「怪我は無いな。爆弾は複数仕掛けられていたが、主にホールに集中していたらしい。キャピタルの人間が到着するのを待てば警備も増員される。爆弾が発見されるのを恐れて早期に爆破させたか」

 僕が気を失っている間に状況確認を済ませたらしきレナードが言う。僕達のいる廊下から中庭に面した窓を覗く。確かに祝賀会の出席者が集まるであろうホールは、完全に崩壊していた。二人とも辛うじて五体満足なのは、偶然離れた位置にいたからか。そこで、僕は気が付いた。ホールは、最も【闘争】による警備が集中していた区域のはずだ。

「他の【闘争】の人間は……」

「諦めろ」

 僕の問いを、レナードは沈痛な面持ちで切り捨てる。その時、階下から銃声が聞こえた。威嚇射撃のような一方的な発砲ではない、明らかに銃撃戦の様子を呈している。

「チッ! ここもいつ崩落するかも分からんというのに、今度は撃ち漏らしの掃討か!」

 吐き捨てたレナードは、持っていた銃を僕へ放る。そのまま戦闘服の胸元からデバイスを引き出した。デバイスが振動し、レナードの『能力』を発動させる。見慣れた変化が起こり、数十秒後にはダークブラウンの毛並みを波打たせる狼が立っている。

「敵の実情が不明な以上、玄関の突破は諦める! 屋上から瓦礫を伝って脱出するぞ!」

 そう吠えて、狼は廊下を駆ける。寄越された銃を拾い上げ、僕は慌てて後を追う。

 階段へ辿り着いたところでレナードは立ち止まり、先に僕を階上へ登らせる。敵が現れた時、生身の僕の盾となれるような位置だ。この三年で幾度も戦闘に身を投じてきたとはいえ、奇襲を受ける側となるのはこれが初めてだ。追い立てるかのように階下で響いた銃声に、汗が背を伝うのを感じる。

「……これ以上は登れんな」

 瓦礫の山と化した階段を前に、レナードが忌々しげに唸る。ヘリポートからの脱出を防ぐ目的か、屋上へと続く最後の上り階段は爆破されていた、

「やむを得ん。首都にはキャピタルの正規軍が駐屯しているはずだ。奴らが援軍として突入してくるまで耐えきるぞ」

 そう告げて、彼は階段の方向から隠れるように廊下に身を伏せる。階下からの銃声は数や頻度こそ減ってはいたが、僕達を追うように階を登ってきていた。僕もレナードの後ろで銃を構える。

 永遠にも思えた十数分の後。ふいに巨大な狼が身を躍らせる。血しぶきと、吹き飛ぶ身体。悲鳴もあげられず狼の爪に引き裂かれたのは、旧式の銃を携えた男だった。その一撃で敵も伏兵に気が付いたのか、素早く身を翻したレナードの身体があった空間を弾丸が引き裂く。

 狼の姿をしたレナードの機動力は凄まじいが、それはあくまでも開けた空間においての話だ。室内戦においては、身を隠せる側が優位。壁に隠れた敵に銃火器で狙われた場合、レナードはどうしても射程が短い分不利になる。

 背後から銃を構えて見守る僕の前で、狼の尻尾が動く。三回前後に振ったのち、一度上にピンと立てる合図。下がれ。おびき寄せる。ハンドサインの代わりに尻尾の動きが伝える信号に従い、僕は発砲しつつ後退した。銃声に扉の音を紛れ込ませるようにして、レナードと適当な部屋に滑り込む。息を殺して敵の気配を窺う。

 四人。俺が合図する。援護しろ。声を出せない状況で、狼の尻尾が指示を出す。低く身を伏せ、機をただ待つ獣が――扉を突き破って飛び出した。

 廊下に出てきた敵の絶叫が聞こえる。至近距離ならレナードの独擅場だ。僕が援護するまでもなく、四人の敵はあっという間にたおれる。四人目が絶命したのを確認して僕が隠れていた部屋を出た、その瞬間。


「後ろだ!」

 レナードが吼え、うなる前足が僕を突き飛ばす。次の瞬間、銃声が響く。床に倒れこみながらも振り向けば、こちらへ銃を向ける男がいた。姿勢を崩した僕へと狙いが向く。引き金にかかった男の指が動くのが、やけにゆっくりと見えていた。

 それから先のことは切れ切れにしか思い出せない。視界を覆うように僕の上へ被さった毛皮、鳴り響く数発の銃声、レナードの悲痛な唸り声。自棄になったのか、銃を乱射しながら男がレナードの方へ駆け寄る足音がした。僕を庇っていたせいで、レナードはいつものような回避も突撃もできずにいて、そして。

 狼の牙が男の首を掻き切ったときには、既に。至近距離からの銃弾はレナードの毛皮を貫通し、臓腑へ致命傷を与えていた。

 巨大な狼の全身から力が抜ける。床に倒れると同時に狼のシルエットは消え、横たわる人間の姿に戻った。ひゅうひゅうと音が聞こえる。戦場で何回も聞いてきた音。肺を銃弾が貫通した、死にゆく者の最期の呼吸。戦闘服に赤黒い染みを作り、胸板に開いた穴から流れ出すレナードの命。

「う、そだ」

 呆然と僕はその場にへたり込む。何もできずに見下ろす中、レナードの手が彼の胸元へ動いた。何事か伝えようとしているかのように、モスグリーンの瞳が僕を見つめる。慌てて彼の指し示す胸元を探れば、指先に触れる固い感触。引き摺り出すと、それは牙の紋章が刻まれた彼のデバイスだった。

「これを……?」

 おずおずと問いかければ、最期の力を振り絞ってレナードが首を縦に振る。


 。どんな言葉よりも雄弁に、モスグリーンは彼の意図を伝えていた。



 そうして、かくりと彼の首が力なく落ちる。

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