されど行きつく戦場の果て・後

「【学園アカデメイア】に行く気はないか、シャヒン?」

 レナードがそう持ち掛けてきたのは、確か一週間前のことだった。

「アカデメイア?」

「大戦の末期、欧州のキャピタルと同時期に北米に設立された超国家規模の教育・研究機関さ。キャピタルが幾つもの国を併合して資本に特化したのと同じ。【学園アカデメイア】も大昔に北米に存在した超大国の遺産を丸々注ぎ込んで、学問を追求する巨大組織として誕生した。そしてもうひとつ。【学園アカデメイア】は、『能力』の開発機関としての面も有する」

 聞けば、レナードの所属する【闘争】の創始者も【学園アカデメイア】出身だという。北米を出た後紛争地帯に渡り、民間軍事会社PMCとしての【万人の万人に対する闘争Bellum omnium contra omnes】を設立した。レナードの扱う【闘争】固有の『能力』も、創始者自身が【学園アカデメイア】にて得たものから組み立てたものだ。レナードはそう語る。

「【学園アカデメイア】は大小無数の思想勢力がひしめき合う、『能力』開発の聖地だ。自身の『能力』を獲得しろなんて大それたことは言わない。数年ほど所属して何かしらを得れば、キャピタルで働く道も開かれる。シャヒン、お前の知っているこの国の古語や言い伝えなど、今は薄れてしまった文化の情報は【学園アカデメイア】に欲しがる奴等も多い。悪い選択ではないはずだ」

「ま、待ってくれ。いきなり言われても、考える時間が欲しい」

 唐突なレナードの言葉に、咄嗟に僕が返せたのはそれだけだった。

「時間か。それなら、すぐにたっぷりできるさ。銃を持つことも殺し合いに出向くこともなく、身の振り方を考える時間がな」

 とある街の、半ば廃墟と化した片隅。物陰に停めた車の運転席で、レナードはにやりと笑う。助手席、背もたれに身体を預けながら僕は彼の笑みと言葉の意味を考える。ここ数か月で明らかに減ってきた、臨時政府からの任務指示。治安維持という名目の殺し合いを最後に潜り抜けたのは確か十日前だ。

「敵が、いなくなった……?」

「ああ。内戦終結から三年だ。国外からの犯罪勢力流入もいい加減止んで久しい。国中にばら撒かれた火種を俺達が消して回ったおかげで、この国が平和になったってことだよ」

 平和Peace。はじめにレナードが発した共通語英語で、次いで懐かしい響きを帯びた古語で、その概念を復唱する。レナードに拾われる以前、村の皆が祈り求めていたもの。

「……分からない。僕は、どうしたらいいのか」

 平和が訪れた。それはとても喜ばしいことの筈なのに、真っ先に胸に去来したのは恐ろしいほどの虚無感。全てを奪われた自分の内に開いていた空洞を代わりに埋めてきたものが、流れ出すのを感じる。

「……俺も、同じだったよ」

 進むべき先を見失い、呆然とする僕を見てレナードがそっと呟く。

「俺の出身地のことは前に言ったな。アラビア半島北西部。思想大戦における最大の激戦区にして、今なお激しい紛争が続いている地域。俺はそこで【闘争】の創始者に拾われ、この『能力』を与えられた」

 億単位の人口、数千年にわたる歴史を有する一大思想・宗教が複数激突した地。そこに生を享けたという事実以外、レナードは今まで僕に語ったことはなく、僕もかつて学校で学んだこと以上にはその地の実態は知らない。それでも。。いつだったか彼の零した比喩と、衛星写真に写る奇妙に抉れた地形は、惨劇を雄弁に物語る。

「俺は両親の顔を知らない。唯一受け継いだ髪や肌の色からして、あの地に押し寄せた兵士の子ってところだろう」

滞在した街の感想や、明日の予定を語るのと全く同じ口調で。淡々と、レナードは地獄を語る。

「俺は物心つく前から孤児として、混沌の中を泥水啜って生きてきた。俺が名乗っているこの名前、レナード・クレンドラーも自分で付けた。地獄に産み落とされ、明日の命も分からないような生活だ。

 ……あの村で生存者として見つけたお前は。昔の俺や周りにいた似たような境遇のガキと、全く同じ目をしていた。恐れも絶望もない、空虚だけが浮かぶ瞳だ」

放ってはおけなかった。遠い目をして、レナードは言葉をこぼす。

「それが、僕を拾った理由?」

 唇を噛み締めていた。乾いて疼く喉から、ようやっと問いを絞り出す。こくりとレナードは頷いた。

「最初は、そこらの街に置いていくつもりだった。お前が一緒に行くと言って聞かなかったのは意外だったが、お前に技術を仕込めば仕事が楽になるかと思って連れて行くことにした。どこかの戦闘で死ぬならそれまでだと割り切っていたさ」

 そこでレナードは言葉を切り、脇に置いてあった水筒を取って一口飲む。水筒から口を放し、視線を中空に彷徨わせたままぼそりと言った。

「お前をこのまま巻き添えにするのは不憫だと、そう思った。思ってしまった。

 俺はもう骨の髄まで【闘争】の人間だ。生まれてこのかた、戦闘の中で生きていくことしか知らない。でも、お前は違う」

 独り言のように口を動かしていたレナードが首を巡らし、僕と目を合わせる。

「その時が明日か一年後か、数年後かは知らん。が、俺はほぼ確実に戦闘の中で死ぬ。少なくともろくな死に方はしない。別にそれ自体は何とも思わんさ、自業自得だ。

 けれども、シャヒン。お前までそんな末路を辿る必要はない。意欲ある者を歓迎する【学園アカデメイア】に行けば、まっとうな未来への道は開ける」


 お前は行け。俺が歩くことのなかった、光の中で笑える道を。


 僕を見つめるレナードの瞳から、彼が本心から僕を思い遣ってくれているのが分かった。本来なら、彼の提案を有り難く受け入れて北米に渡るべきなのだろう。理性はそう判断を下し、けれども心のどこかが反発する。

学園アカデメイア】に行くという事は、生まれ育ったこの国を捨てるという事だ。政府がキャピタルの傀儡となろうとも、戦乱で荒れ果てようとも、馴染んだ土地を後にするのに気は進まなかった。そして、より大きな理由はレナードの存在。もしここで僕が【学園アカデメイア】へ向かえば彼とは二度と会うことはないだろう。命を救い、胸を張って歩いていける道へ行けと言ってくれた人物と別れる決心を、僕はできなかった。


「……今すぐには決められない」

「そうか。なら、丁度良い期限がある」

 懐から連絡用の端末を取り出し、レナードは言う。

「【闘争】からの指令だ。一週間後、首都に集合。この国の内戦が齎した紛争が完全に終結し、治安が回復されたことに対する祝賀会の警備だと。茶番劇だが、おそらくこれでこの国での【闘争】の任務も終わりだ。祝賀会にはキャピタルの人間も多く来る、うまく立ち回れば【学園アカデメイア】へ渡る伝手つてが手に入るかもしれんぞ」

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