医者
結城 郁
第1話
【No.154 高橋宏 】
装置の予想どおりに目覚める。暫くは呆然としていたがやがて現実を受け入れた模様。16日退院。
白衣を着た男は報告書にそう書き記し、ほうっと溜息をついた。
白髪の髪、ところどころ汚れた白衣……見た目は医者というより、科学者のような出で立ちである。
だが、彼はれっきとした医者である。いや、正しく言えば医者になった…という方が正しいだろうか…。
そこに、一人の看護師であろう…若い女性が部屋に入ってきた。
「先生、今日もお疲れ様です。それにしても、凄いですね。あの、ASBは…」
ASBーそれは、この医者が開発した装置である。寝たきりの植物人間を起こすという今までにはない画期的な装置だ。
「宏くんのお母様もあんなに喜んでくれて…。先生って本当にすごい機械を発明したんですね!今まで失敗した例はないですし…」
「本当に…それが良いことなのだろうか…」
医者はボソッと言った。
「ん?何か言いましたか?」
「いや…何でもない…それより何か私にいうことがあったのではないのかい?」
「はいっ!そうなんです!実は、装置を利用したいという依頼がこんなに届いてまして…どう対応致しましょうか…?」
そう言ってドサッと書類を置く。
はぁとさらに大きい溜息をつき、医者は言った。
「それは、私の管轄外だ。桜井にでも回してくれ。」
「桜井先生って、あのイケメンの?!
分かりました!!届けに行きますね!!」
そう言って看護師は嬉しそうに部屋を出て行った。
「やれやれ。」
一人静まり帰った部屋で彼は考える。患者No. 1になった人物、つまり、この装置ーASBを初めて使った人物のことを…
No.1岡本直美
この医者の妻である。
何十年も前、私の妻は寝たきりになった。
こんこんと眠り続ける妻を見て私はある時、突拍子も無い考えを思いついた。
『もしかしたら、寝ている間、別の世界で妻は生きているのではないのではないか…?』
『もし、そうなら向こうの世界で誰かが現実の世界に戻るように声を掛けたら妻は目覚めるのではないか…』と。
そう思ったのには理由がある。
私は昔、最近普及したVRを開発する会社に勤めていた。VRー仮想現実を楽しめるゲームである。しかし、VRが流行って何年か経ち、ある問題が多発した。
仮想世界と現実世界を分からなくなり、現実の世界に戻ってこれなくなった人が多く生まれたのだ。私の会社ではVRで、現実感を味わえる、よりリアルな感覚を味わえるように研究してきた。現実より現実感をーーそれが社に掲げられたスローガンだった。
しかしそれが仇になったのである。
そこで社は急いで、この事態を解決すべく、仮想世界にいる人を現実に取り戻す装置の開発に力を入れた。
私は、エンジニアとしてその1人に選ばれた。
無事に装置は開発された。多くの人もその装置で目覚めた。
なら、同じような装置を開発すれば妻も目覚める筈だ。
そうして私は仮想世界から目覚めさせる装置にさらに高度な技術を用いて、ASBを作り出した。
多くの電流のような超電波が脳を刺激する。ひと昔のAEDのような装置に近いものだ。心室細動や頻拍細動を止めて、心停止の状態にする。心停止の状態ではまだ死んではいない。つまり仮死状態だ。
それを脳で行うため脳に電流を送り一度脳を仮死状態にする。
そして、そこから装置で脳を動かすための電流を送る。心臓でいうなら、心臓マッサージの段階である。
違う点は、心臓マッサージを行なっても心停止から心静止ーーつまり完全な死になる確率は高いが、この装置は必ず目覚める。失敗がないという点だ。
私はこの装置を妻に使った。必ず目覚めるという確信を持って。装置は3日後に目覚めると予想した。
そうして、見事に彼女は装置の予想通りに3日後に目覚めた。
「直美!!私だ!!分かるか…!!」
「あなた…。それで、子供は?!」
妻は必死の表情で私の顔を見た。
「子供だと?な、何を言って…」
「病院に行ったら、子供が生まれる予定日が3日後って言われて…貴方と楽しみにしてたじゃない…でも…急にお腹が痛くなって…意識が遠のいて…気づいたらここにいて…。子供は?子供は無事でしょう?!」
妻は声を抗えて言った。
「…直美…。君はずっと寝たきりだったんだ…。だから…子供は元からいないよ…」
「そんな……」
「今は信じられないかもしれない。でも、私は直美が目覚めてくれてすごく嬉しいんだ…」
「どうして…どうして私を目覚めさせたの…?」
その一言が私の心に深く刺さった。
私は…何も分かっていなかった。私は妻が目覚めれば幸せだった。だが妻も幸せになるとは限らなかった。私は自分の欲求のために妻の幸福を奪ってしまったのだろうか。
しかし、心とは裏腹に、私はこの装置の成功で注目を浴びることとなった。
世界各国から、装置を使いたいという要望が届いた。
私はどうすればいい…?妻のような人をこれ以上増やしたくはない…。でも、目覚めて欲しいと願う人の気持ちも痛いほど分かる。何が…どれが正解なんだ…?永遠に解けない問題を解いといているような気持ちだった。
そんな葛藤の中、私は妻と心から話そうと決意した。どれをどう決めようとまずは妻の事が一番だ。これを解決しない限り、私のこれからも、あの問いの答えも見つけられないだろうという確信もあった。
「直美…話があるんだ…」
妻はゆったりと窓の外を見ていた。
私はゆっくり一つ一つ語り始めた。
どうして現実世界に戻ってきてほしかったのか…どれだけ、直美に会いたかったのか…。直美が寝てる間、どんな思いで目覚めるのを待っていたのか…。そして、どれだけ直美のことを愛しているかーー。
全てを語り終えた時、彼女はふふっと笑った。
「貴方は向こうでもこっちでも、いつも生真面目で優しいのね。そこだけは、変わらないわ。」
「…?…それは、どういうーー」
「私が眠っている間の世界はね。とっても幸せだった。これ以上ないっていう位にね。まるで、自分の理想や夢が全てかなっているような世界だったの。」
「………」
「でも、貴方は向こうの世界もこっちの世界でも変わらないのよ。全く。全て一緒。いつも必死に何かを取り組んでて何かに悩んでて…
つまり、貴方は私の理想でもあり夢だったんだなぁって目覚めて気づけたの。全て、まやかしだったけれど、貴方だけは違かった。楽しい生活も、子供も居なくなっちゃったけど、貴方がいるならいいやって…。」
「直美…。」
「どうせ、貴方のことだから私を目覚めさせない方が良かったんじゃないか…って悩んでたんでしょう?わたしもひどいこと言っちゃったし…。でも、私は目覚めて良かった…。本当の貴方がいる世界に戻れて良かった。ありがとう。」
そんな妻がとても愛おしく感じて私は直美のことを抱きしめた。
私はこの時から、この装置を使い多くの人を目覚めさせようと心に決めた。それと同時に私は眠り続ける人を起こす医者となった。
それでも、一度心に決めたことでも、迷うことは何度もある。本当にこれで良かったのか。私の選択は間違っていなかったのか…。今日退院した宏君も起きた途端、『親父は?隆は?』と叫んだ。この子も、また別の世界で生きていたのだろう。多くの患者を目覚めさせていううちに、寝ている間の人はそれぞれ違う世界に生きていることがわかった。ある人はジャングル、ある人は島、ある人は理想の国。
そこから無理やり目覚めさせるほど、現実は価値のあるものなのだろうか…。
コンコンッ。
「先生!桜井先生に書類渡してきましたよ!」
先ほどの看護師の明るい声を聞いて私は現実に引き戻された。
「そうか…ありがとう…」
「桜井先生、先生のことを心配してましたよ?最近寝てないんじゃないかって…」
私は彼女の言葉を遮って
「君は…もし自分が植物人間になって幸せな世界にいたとしても、現実世界に戻りたいと思うかい?」
と尋ねた。
彼女は急な質問に少し驚いた顔をしてすぐに
「そんなの戻りたいに決まっているじゃないですか!!例え、どれだけ幸せな世界にいたとしてもそれはやっぱり現実ではないわけですし!何より、辛い事があるからこそ生きてるんだなぁって思えるんですよ!」
と笑顔ではっきりと言った。
「…そうか…」
その笑顔を見て、妻の直美の最後のことばを思い出した。
『ありがとう』
彼女は笑顔でそう言った。それは、私に向けられた言葉だと思って良いのだろうか。
私のやっていることは正しいかどうかわからない。でも、私はこの装置を使い多くの人を目覚めさせていくだろう。
ー1年後ー
ある日の朝。病院に行く途中で、楽しそうに談笑する男子高校生とすれ違った。
「あれは?」
見覚えのある顔で思わず振り返る。
笑っている青年の横顔を見て、知らず知らずのうちに医者の顔に笑みが浮かんだ。
ー宏君…。
多くの辛い事があっても、前向きに生きているんだな…。彼が幸せそうに生きているのを見ただけで、私の心に温かい何かが広がった。そうか。私だけではなく、誰もがみんな悩みもがきながら必死に生きているのか。
こんな世界を誰が作ったのだろう。こんな不思議な世界を…。いや、今この世界でさえも誰かが頭の中で作りだしている世界なのかもしれない…。仮想世界ではないとは限らない…。それでも、私たちは生きていく。どれだけ辛い事があろうともこの現実で…。
医者は、この世界を作り出した誰かに向かって微笑み、病院に向かった。
【FIN.】
医者 結城 郁 @kijitora-kujira
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます