異世界転生しそうな彼女の後をつけてしまった

@goppe

異世界転生しそうな彼女の後をつけてしまった

 ホームへの階段を勢いよく下り、目の前の車両にまっすぐ飛び込んだ。同時に発車のベルが鳴り止み、ドアが閉まる。

 俗に言う、駆け込み乗車である。

 いつもはホーム中頃に停車する車両、5号車6号車あたりに乗っている。が、今朝は勝手が違った。家を出て数分経った歩いた道中で、スマホを持っていない事に気が付いたのである。今から取りに帰る時間はあるかと確認しようとしたが、時間を確認する術はスマホしか無かったため徒労に終わる。どうして一限の講義がある日に限ってこんな事態になってしまうのだろうか。

 急いで家に戻る。不幸中の幸いか、走ればまだ間に合う時間だった。そして冒頭の駆け込み乗車という事に相成った訳である。本来ならばぜぇぜぇと呼吸を荒げたい所をぐっと我慢し、何食わぬ顔で吊革に掴まっていた。


 


 時折、見えない紐で引っ張られているかのように、見たくもない方向を見てしまう事がある。虫の知らせか、無意識に首を動かしてしまう。家から電車まで疾走し、熱を持っていた体がようやく冷めてきたその時も、何故だか無性に右側を見たくなったのである。

 視線の先には、一人の女性がいた。

 正確には他の乗客も何人かいたのだが、それが気にならないくらいその女性に目が入ってしまった。おそらく成人はしているだろうが、長く伸びている前髪のせいでどんな顔をしているかまでは判別できない。有線イヤホンで音楽を聴きながら、スマホも弄らずただじっと電車に合わせて揺れている。

 何となくではあるが直感的に面妖な雰囲気を感じ取った。顔が見えないにも関わらず、である。これから彼女はどこに行くのだろうか。仕事かバイトか、もしくは学校か。それとも、僕の想像力を超えた未知の場所へと行ってしまうのではないだろうか。

 私はその答えが無性に気になり、しばらく距離を保ちながら彼女の道程に付き合う事にした。

 と言えば多少カッコはつくのだろうが、要するにストーキングである。 


 


 乗客も減り、座席にも空きが出来始めた。空席があるにも関わらず立っているのは不自然な気もしたのでとりあえず腰を落ち着ける。

 彼女も座席の端に座り、立っていた時よりもさらに俯いて丸まっていた。もちろん自分はその対面の座席の反対端に座り、彼女が見える位置をキープしている。

 なんと本格的なストーキングをしているのだろうか。「答えを知りたくて、彼女の道程に付き合う事にした」とか、己のヤバさが露呈してしまっているだけなのではないだろうか。

 自分の降車駅はとうに過ぎている。今日の講義はサボってしまおう。ここまで来たのだから、行ける所まで行ってしまおう。彼女の事をほんの少しでも知ることが出来るのであれば、それ以上のことは無い。

 後悔は家に帰ってからしよう。

 これは、世界で一番不要な意地と言われている。


 


 はっと目が覚めた。

 醜い意地すら通せず、いつのまにか眠っていたようだ。電車は止まっており、ドアが開いている。乗客はおらず自分だけが車両に残っていた。僕は荷物を持ち、慌ててホームへ飛び出る。

 一体どこまで来てしまったのだろう。

 ホームはかなり古く、コンクリートの隙間から草が生えていたり、鉄筋の柱には蔦が絡まっている。そして、大抵どの駅にもあるであろう看板も見当たらず、駅名すら定かでは無い。

「ちょっとあんた」

 僕が途方に暮れそうになっていた時、右から声が聞えてきた。顔を向ける。

 そこには、あの彼女が立っていた。ストーキング対象だった彼女である。顔をしっかりと上げ、前髪の隙間から目も見える。しかし表情は相変わらず認識できない。

「言いたい事が二つある。一つ目、お前は私をつけていたな。後で殴らせろ」

 表情は見えずとも僕はようやく理解した。彼女は怒っている。

 当たり前の話だが。

「いやあの、それは、ホントにすいませんでした。完全に若気の至りです」

「自分で行っても説得力がないぞ。本当は今すぐにでも蹴りを入れたいが、今はそれ所じゃない」

 殴るのか蹴るのかはっきりして欲しい、とは、とてもじゃないが口には出せなかった。

「二つ目、ここは何処なんだ」

「それは僕もさっぱりです」

 我ながらまったく反省の色が見えない返しだが、本音も本音だった。一体ここは何駅なんだ、そもそも駅なのか。

「私も眠ってしまってて、気が付いたらここにいた。さっきホームの端まで行ってきたが、駅舎も改札も何もなかった。そして見てみろ、周りは見渡す限りの草原だ」

 恐らく彼女が言っている事は本当だろう。広い牧場の真ん中にでもいるのかと思うくらい、周りは緑に染まっていた。

 手掛かりは無いかと周りを観察していた時、はっとした。

 僕と彼女はここまで電車で来たはずだ。さっきまで確かに乗っていた。その電車が、跡形もなく消えていたのである。ホーム下を覗いても、レールが敷かれていた痕跡すら残っていなかった。

「あー、あー、あー……」

 彼女はカラスの鳴き声のような声を出す。

「これはあれだ、異世界ってやつかもしれん。もしくは夢だ。そう思うだろ?」

「確かに、こんな夢みたいな景色は異世界ってやつかもしれないですね」

 そう言ったはものの、微塵も納得出来なかった。僕はスプリンクラーのように首をグルグル動かしてはいるが、ただ動かしているだけで、この状況を打開できるとは思えなかった。

「おいストーカー野郎、あれは見えるか」

 だんだんと言葉が乱暴になっているのは気のせいだろうか。ともかく、あとでちゃんと自己紹介はするとして、彼女が指さす方へ目を向けた。うっすらではあるが、建物らしき姿が見える。

「あれは……家、ってわけではないみたいですけど。でも人工物の匂いがしますね」

「だな、じゃ行くか」

 彼女は何の躊躇いもなくホームから飛び降り、おそらく異世界であろう地面に足を付ける。電車の中で初めて見た時とはうって変わって、今の彼女は人間味があるというか、エネルギッシュというか、想像していたよりも別ベクトルで変わった人という印象を受ける。

 不躾極まりない事は分かっているが、益々彼女に興味が沸いて来た。

 とは、とてもじゃないが口には出せなかった。

 彼女の毒味ならぬ毒着地のおかげもあり、歩いても大丈夫な地面だと分かった。僕もホームから飛び降りる。

「釘を刺しておくが、お前のストーカーの件はまだ許してないぞ。ここが仮に異世界だとしても、それでも警察的な存在はいるはずだ。そこに突き出して、両手首を縄で縛ってもらって、馬か何かで市中引き回してもらうからな」

 僕は反抗する事無く、ただ反省するしかなく「分かりました」の一言しか言えなかった。




 状況を簡潔にまとめる。

 とある女性をストーキングしていたら、その女性と一緒に異世界らしき場所へ来てしまった。今は、人口の建造物らしき場所へ二人で向かっている。

 以上。

 行ける所まで行ってしまおう、などと息まいていたが、気が付けば見知らぬ土地に投げ出されてしまっている。だが考えても仕方が無い。こうなってしまっては後の祭りだ。いや、彼女の言動から察するに僕は後々血祭りに上げられる事になるかもしれない。

 そんな不安を一旦忘れ、僕は提案した。

「とりあえず、自己紹介とかしちゃいませんか」

「別にいいが、私からじゃなくてまずお前が名乗れ」

「それもそうですね。僕の名前は――です」

「私は――だ」

 彼女は自分のスマホにを取り出し、器用に素早くフリックしている。僕の名前を登録しているらしい。

 僕もとりあえず登録しておこうとポケットに手を入れるが、そこには何も入っていなかった。

 まさか……電車に置いてきたのか。

 手遅れとはまさにこの事を言うのだろう。スマホどころか電車もろとも消えてしまっている。今朝とは違い、急いで戻った所でどうにもならない。

「あのすいません、スマホ電車に置きっぱなしにしちゃったみたいです」

 とは、とてもじゃないが口には出せなかった。

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