猫神の声を聴け

 ポーンは考えた。そもそも神の声とは一体誰の声であるのかと。三人称神視点小説の地の文は、一体誰の声で綴られているのかと。


「ポーン、ポーンてば」


 思案深げな顔をして、ポーンは寝返りをうった。相も変わらずお気に入りのカウンター席でお昼寝中だ。なにやらまた口をパクパクと動かしている。


 僕としたことが、こんな初歩的な問題にどうして今の今まで気づかなかったんだろう。いかなるときも冷静に、かつキャラクターや作品の世界を優しく見守る存在。それは紛れもない、作者だ。でもそこに一つ大きな問題があったんだ――。


 ポーンは小さい肩を落としてフッとため息をつくと、また眠ったまま口をパクパクさせた。

 

 なぜって、もし地の文とキャラクターの口調がそっくりだったら、今読んでいる「」なしの文だって、作者の声で綴られているのかキャラクターの声で綴られているのか、読者にはとんと見分けがつかないじゃないか。視点の揺らぎもいいとこだ。

 あれ、今私が読んでいるのはいったい誰の気持ちなんだろう? そもそもこれは一体誰の声?? そう思った瞬間、読者はあっという間に夢から現実に引き戻されてしまうかもしれない。

 でも、それを一体どうやって書き分ければいいんだろう。口調? 言葉の距離感? カメラの振り方? 神視点は全部お見通しなのだから推量(だろう)はおかしいとか? 難し過ぎて考えだしたらきりがない。


 ポーンは思案するのにも飽きたと見え、長~いあくびを一つして、ようやく起き上がった。どうにも考え事をすると酸素が足りなくなるようである。


「あ、やっと起きた。もう夕方よ、ポーン」


 店内はクリスマスツリーの明かりが灯り、ドアベルがチリンと鳴ってはカフェに活気を呼び込んでいた。――


 作者の声で外側から客観的にキャラクターの心情を語るのか、キャラクターの心の内を覗きこみ、心の声の部分だけを抽出(ポーンは『 ◯◯◯ ここだけ抽出 』と思った。)してあたかも主観的に語っているようにみせるのか、これはとっても大きな差だと、ポーンは思った。

 そもそもカメラがキャラクターの外側から心の内にまでズームアップしているのか、カメラ自体がキャラクターの中に入っているのか、一人称と三人称を混同させないためにはとても大事なことだと、ポーンは改めて思った。

 ネットをちゃちゃっと読み漁っただけでは気づかなかった根本的な問題にいまさら気づき、ポーンは今になって己の思慮の浅さに愕然としていた。


「最近、村上春樹にハマってるんだ」

「あ、そうなんだ。実を言えば私はちゃんと読んだことなくて……」


 賑わいだしたカフェのカウンター席に並んで腰掛けながら、女性が申し訳なさそうに友人に告げた。


「でもあの言葉は知ってるよ。前にラジオか何かで知ったんだけど、なんだったかな。えっとね……」


 女性は「ちょっと待って」と手で顎をトントン叩くと、不意に動きを止めて友人を見据えた。


「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね――」


 思いの外低い声音だったのは彼女なりのモノマネのつもりだったのだけれど、隣の友人は「なにその声ウケる」と言いながら、何事もなかったようにメロンソーダを一口飲んだ。

 そのお客の脇で、ポーンはなんとも言えぬ表情で寛いでいた。まるでさっきまでの杞憂などなんでもないとでもいうように。――

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