第44話 それぞれの決戦へ

 メルトたちが二人の騎士に出会う、少し前のこと。アブたちクルク族の若者がひく馬車は、ヒルカニア北部のさる街道を、がらがら音を立てながら走っていた。本来はここより南西の都市で商売をする予定だったのだが、口うるさい検問に引っかかって追いかえされてしまったのである。理由は決まっていた――クルク族だからだ。三人ともそういう扱いには慣れていたし、一部のクルク族が農耕民たちに迷惑をかけることがあるのも知っている。ゆえに、騒ぎたてることはせず、大人しく北へ戻ってきたというわけだった。


 一応道らしい道は通っているが、活気はない。近くの町で話を聞いたところ、この街道は「忌み地」という恐ろしい場所の近くを通っているから、みんながなるべく使わないようにしているらしいのだ。


 ただ、今は活気のかわりに殺気が満ちている。ふだんは殺気すらない静かなところらしいのだが、この日は立派な甲冑をまとって立派な馬に乗った人々が、にこりともせずにあたりをうろつきまわっているのだ。


「イェルセリア語だ。それにあの甲冑、ロクサーナ神聖騎士団のものだよ。なんで連中がここにいるんだ」

 外国語が堪能なサンディが荷車から彼らを見下ろし、その素性を言いあてて悪態をつく。荷車をひいていたアブは、彼らの行進を横に見ながら、少し考えこんだ。また新たな騎士の一団が見えたところで、ある考えがひらめく。

「フェライ絡みかもしれない」

「フェライ? なんでフェライの名前が出てくるのさ」

 同じく荷車ひきのチャクが、首をかしげる。彼は外の人間と手合わせした経験が少ないから、わからないのだろう。いい機会である。アブは左手の人さし指を立てた。

「剣だよ。チャクと試合やってるの見て気づいたのだけれど、彼女の剣術はイェルセリアやトラキヤ地方(現在のペルグ王国からヒルカニア西部)のもの、試合前後の立ち居振る舞いは神聖騎士団のものだった。なにか事情があるようだったから、あのときは黙っていたがね」

「へえ。あれ、イェルセリアの剣術なのか」

 彼女と直接手合わせしたチャクが、目をきらきらと輝かせる。その話を聞いていたのだろう、荷車の上からサンディが見下ろしてきた。

「さすがアブ。じゃ、メルトさんはどこの出かわかるか?」

「気づいてるくせに、私に聞いてくれるな。――彼はおそらく、イェルセリアの上流階級の出だろう。それがなぜ『災いの子』なのかがふしぎなんだけれど」

 チャクがぎょっとしていることに気づきつつ、二人ともあえて彼には話を振らなかった。

 イェルセリアの騎士たちは、まだぞろぞろと街道を歩いてくる。誰もかれも、切羽詰まった様子だ。誰かを追っているらしい。その姿を見ながら、アブは自分で呈した疑問に自分で首をひねっていた。『災いの子』の力は、ほとんどが後天的こうてんてきに持つものだと長老たちから聞いている。メルトがいったいどういう経緯でその力を得てしまったのか、詳しく聞いておけばよかったと思う。彼はどうにも、悪い力におぼれる人間には見えないのだ。


「アブ。アブヒーク」

 横から手をにぎって振られ、アブは我に返った。チャクが大きな瞳で見上げてきている。いつになく真剣な表情の彼は、騎士たちを指さした。

「やっぱりフェライ関係っぽいよ。あいつら、さっき名前を言った。なんか、逃げだしたみたいなこと言ってた」

「へえ、脱走者か」

 アブは今度こそ、騎士たちをまともに観察する。早口のイェルセリア語は断片的にしか理解できない。ただ、サンディによると、やはり彼らはフェライを追いかけているようだった。一方、騎士たちも三人をたまに見るが、何をやり取りしているかまではわからないだろう。彼らはイェルセリアともヒルカニアとも縁のない、クルク族の言葉で話しているのだから。


 アブも、そしておそらくチャクやサンディも、メルトが以前話していたことを思い出した。『災いの子』の力の源を壊しにいく。そう言っていた。メルトとフェライがそのために逃げだしたのだとすれば、神聖騎士団か――あるいはロクサーナ聖教そのものが『災いの子』に関わる秘密をにぎっているのではあるまいか。

「ついていってみるか」

 アブが小声で言うと、チャクが嬉しそうに「賛成だ」と叫ぶ。荷車を見上げると、アリドの娘がくっきりとした眉をしかめていた。

「本気か、アブ」

「君も二人のことは気になるだろう」

「あーあ、しかたがないな。この前みたいに先走るのはやめてくれよ、特にチャク」

「先走ってなんかないぞ」

 唇をとがらせた少年をなだめたアブは、再び荷車をひくのに集中する。騎士たちに怪しまれぬよう、進路をゆるやかに北へ変えた。



     ※



 昼と夜。光と影。白と黒。それらが短い時の間に、何度も何度も入れかわる。五感が激しくかき乱され、なけなしの理性すらどこかへ吹き飛んでしまいそうだった。

 空転する世界の中を、メルトは茫漠ぼうばくたる恐怖と不安を抱いたまま泳いでいる。いや、流されている、といった方がよいかもしれない。


 こんな気持ちになったのはいつ以来だろう。ふと、考える。

 何が起きているのかもわからない中で、彼自身は奇妙に落ちついていた。


 怖いと思う。戸惑いもある。それでも今は、なすべきことをなさねばいけない。戻らなければ、あの荒れ果てた故郷に。――しかし、どうやって?

 大きな疑問が頭をもたげたそのとき、どこからか音が連なって響く。

 音はやがて、鮮明な響きを持った。


『こちらだよ』


 感情を持たぬ、子どもの声。

 それがどこから響いているかは、判然としない。けれど、なぜかメルトには行くべきかたがわかっていた。目まぐるしく変わり、乱れる世に抗うがごとく、彼は「どこか」へ手をのばす。

 光が瞬く。彼はとっさに目を閉じる。

 そのとき、目の裏側に、銀色の月が浮かびあがったような気がした。



 名前を呼ぶ声に強く揺さぶられ、メルトは目を開けた。前にもこんなことがあったな、などと考えながらあたりを見回す。

 紫色の空の中、変わらず雲が渦を巻いていた。大地も灰色の荒野のままで、変化といえば、地面に転がる岩の数が増えたことくらいだ。だが、彼の目の前では、大きな変化が起きていた。


 小さな夜がある。


 ある一点を取り囲むようにして、そこにだけ夜のごとき闇が広がっている。ときどきうねっているように見えるのは、おそらく気のせいだろう。

『夜』の中心となっているのは――一本の杖だ。杖の色は銀色だが、柄の部分は木でできていて、その上から金属がかぶせられているのだと、メルトは知っている。杖は先端にゆくにつれ装飾が細かくなり、先には大ぶりの宝石と思しきものもあしらわれているが、その宝石がなんなのかは王族の彼でさえもわからなかった。

 忘れもしない『夜の杖』。父を狂わせ、故郷を滅ぼした呪いの器。それが、今再び彼の前にあった。


「メルト」

 震えをむりやり殺した、少女の声がする。

 なじみ深いそれに誘われてメルトが顔を向けると、声の主――つまりフェライが翠色の瞳を見開いて、彼をのぞきこんでいるところだった。

「大丈夫?」

「いきなり呼びかけに反応しなくなったから、びっくりしましたよー」

 フェライのすぐ横から、騎士の娘が顔をのぞかせた。

 どうやら自分は立ったままで、意識がどこぞへ持っていかれていたらしい。ぼんやりとそう理解して、メルトはうなずいた。

「ああ……大丈夫だ。それより、何が起きた?」

「ええっと、殿下が反応しなくなった直後くらいかな。つむじ風みたいなのが起きて、あの杖が渦の中からふわーって出てきたんですよ」

 チャウラが興奮気味に、浮いたままの『夜の杖』を指さした。フェライが同僚とは対照的な蒼い顔のまま、頭を振る。

「杖が現れると同時につむじ風はやんだんだけれど、気がついたら白い髪の子がいなくなっていて――その代わりに、それがいきなり現れたの」

 それ、と言って、フェライはメルトの足もとを指さした。白い指を追いかける。

 いつの間にか、メルトの足もとに、目の前の杖と同じ長さの杖があった。装飾はほとんどないが、先端に明るい色の石がまっている。

「『曙の杖』?」

「多分……」

 フェライは、不安に眉を曇らせて杖を見下ろしている。メルトも、すぐさま杖を手に取ろうとはしなかった。白い子どもの言葉を思い出したからだ。そういえば、と見回してみれば、どこにも彼の姿がない。フェライの言ったとおりであった。

「現物だけ投げていなくなられても、困るんだがな」

「でも、振れば力が使えるみたいなことを言ってなかったっけ、あの子」

「ふむ。そういえばそうだ」

 メルトは今度こそしゃがみこむ。何やら硬い材質らしい杖をしばらくながめた後、慎重に手をのばした。少しの躊躇も震えもなく、柄をにぎる。しかし、その瞬間、全身を鋭い痛みが突き刺した。針で何度も刺されたようだった。熱をともなったそれに瞬間息が止まって、メルトは手をひっこめる。

「これは……杖を持つまでが大変そうだ」

 心配そうな少女たちを振り仰ぎ、苦笑を向けた。

 どうするか、とメルトはつかのま考える。


 おそらく、自分の中にあるという『夜の杖』の力の一部が反抗しているのだ。痛みや不快感は、たいていの場合体が発する警告なのだが、ここで警告を発しているのは体に宿るものの方だろう。

 かといって、このまま杖を持たないでいては、力を使うことなどできない。まずは『夜の杖』の欠片と戦う必要がありそうだった。


 気を取り直して、メルトがもう一度杖をにぎろうとしたとき。

「大変だ!」

 足音とともに、切羽詰まったルステムの声がした。

「ルス、どうしたの? まさか誰か来た?」

「そのまさかだよ! 祭司長だ! 祭司長と巫覡シャマンたちが、さっきの騎士連中を引き連れてきた!」

「こんなときに……」

「でも、あの騎士たちはここまでは来られないんじゃないかなあ? ここ、入ったらおしまいな『忌み地』なんでしょう」

 首をかしげるチャウラを、メルトは一瞥した。

「この場合、騎士より巫覡シャマンたちの方がやっかいだ。彼らは杖の力からあるていど身を守ることができるうえ、術を使う。他人を害する術を使われると、ただの人間では対処できない」

 若い騎士二人が息をのむ。

「今、この場で巫覡シャマンに対抗できるのは俺とフェライだけだ。そして、俺がこの場を離れるわけにはいかない」

 あの子どもがいてくれたら、という思いがよぎる。しかし、天上の者らの原則は「大陸の人間に干渉しないこと」。それは、メルトもフェライも承知の上だった。

 メルトは雑念を振り切るように、声を張る。


「フェライ。ルステム。チャウラ。――頼めるか」


 一瞬の間。そののち、三人の騎士は力強くうなずいた。

「もちろん。ここは任せて」

「殿下はあの杖をお願いします」

「まあ、どうにかなりますよー。あっちには素直じゃない同僚もいますし」

 彼らは頼もしい言葉を残し、荒れ果てた王都のただ中へと駆けだしてゆく。彼らを送りだしたメルトは、息を整えて、杖に指を触れた。


 痛みが走る。それは刻々と強さを増し、火花のように爆ぜて体の中で暴れまわった。

 それでも彼は、杖を手放さない。奥歯を噛みしめ、杖を立てる。そしてみずからも立ちあがり――およそ六百年ぶりに、ついの杖に向き合った。



     ※



 騎士たちはほどなくして、勢いよく荒野になだれ込んできた。予想どおり、ほんのりと精霊の力を感じる。フェライは己を叱咤しったして、剣の鞘を手で押さえた。群の最前列にいた数人が、吼えて剣を振り上げた瞬間、彼女も剣を抜く。剣と剣が交わって、甲高い音を立てた。それが、彼女にとっての最初の一合。


 ルステムとチャウラは、このときすでに乱戦のただ中にいた。そして、フェライも間もなく乱戦にのみこまれた。彼らの目的は脱走者の捕縛、そのはずだが、一部の騎士はメルトのいる方へ向かおうとする。それに気づいたフェライは一人を気絶させた後、上半身をひねる。剣がきれいな弧を描き、斬撃が一人の首をななめに貫いた。この状況で誰も殺さないのは難しい。それでも、やりきれない思いがある。


 フェライが続けざまに二人を斬った直後、背後で誰かの倒れる音がした。見ると、ルステムが一人の右腕を斬り飛ばしたところだった。その騎士は、体の向きからして、フェライに飛びかかってこようとしていたらしい。

「はじめての実戦が内輪もめの味方殺しか。笑えないな」

「ルステム……ごめん。ありがとう」

「礼だけ受け取っとくよ」

 気安い会話をしながらも、二人は剣をふるい続けている。メルトの方へ行こうとする騎士を阻止しているうちに、二人は背中合わせになっていた。二人とも、浅い傷をあちこちにつくってはいるが、まだまだ元気だ。

 しかし、腑に落ちないことがある。メルトの方へ行こうとする騎士のことだ。

「ねえ。これ、どういうことだろう。彼らの狙いは脱走者わたしじゃないのかな」

「わからない。ただ、さっき斬り合った騎士が気になることを言ってた。『おまえたちを連れ戻して、諸悪の根源たる人物を殺す』とか、なんとか」

「諸悪の根源? まさか、メルトのこと?」

 フェライは笑いだしそうになった。それを言うなら、本当の諸悪の根源は彼女である。フェライが脱走しなければ、騎士たちが遠路はるばるヒルカニアまで来ることはなかったはずだ。

 ルステムも、呆れたように肩をすくめる。

「おおかた、カダル祭司長になんか吹き込まれたんだろうな。リゼバードのあたりで」

「それにしたって……」

 フェライは眉を寄せる。騎士たちは、自分たちについてきたカダルや巫覡シャマンのことを、内心でどう思っているのだろう。

 しかし、考えにふけっている間はなかった。騎士たちは怒号と聖女を賛美する文句を唱えながら、彼らに襲いかかってくる。ここまでくると不気味ですらあった。

 メルトのところへ行かせてはならない。それだけは、阻止しないと――。ただ、そう思っていた直後、急に腕が痙攣けいれんして、それきり動かなくなった。

「えっ」

「なんだ!?」

 フェライとルステムの声が重なった。先にそのことに気づいたのは、フェライの方だった。


 頭がまっ白になる。けれども、すぐにフェライの思考は動きだした。

 精霊の、術の気配を感じる。メルトの言葉を思い出す。フェライは目を巡らせた。なだれ込んでくる騎士たちにまぎれて、南方に二人の巫女の姿が見える。彼らが口早になにかを唱え、そのまわりに精霊の気配が濃く渦巻いていた。


 フェライは眉を寄せた。なんとか剣をふるうが、ぎりぎり一人を斬り伏せられただけだ。遠すぎる、多すぎる。それでもフェライはことばを唱えた。メルトに教えてもらったものだ。腕が、少し軽くなる。


 息を吸い、腹に力をこめた。次の時、彼女は空気を切り裂くような絶叫を上げた。ルステムがぎょっとした表情で振り返る。しかし、それを無視してフェライは南方へ駆けだした。騎士たちを威嚇するように剣をふるいながら、とぎれとぎれにことばを唱え続ける。強行突破。しかし、これくらいしか思いつかない。

 腕が、だんだんと軽くなる。遠くをうかがえば、ルステムも調子が戻ってきているようだった。ほっとしたとき、近くから別の声が飛ぶ。


「フェーちゃん、後ろ!」


 鋭い警告。それに気づいたときは、遅すぎた。殺気と、男の声と、剣のうなりが背をなぜた。


 だが、予期していた痛みはやってこない。

 代わりに、骨の砕ける音がした。耳をふさぎたくなるような音とともに、うめき声があがって、フェライを斬ろうとしていた騎士が倒れた。


 そのときになって、フェライは立ち止まって振り返る。誰も襲ってはこなかった。誰もが言葉を失っていた。

 四十代くらいだろうか。白の混ざった茶髪の騎士が、白目をむいて倒れている。切創せっそうは、ない。


 騎士のざわめきに誘われるように、フェライは視線を動かした。そして、絶句した。まるでフェライの後ろで倒れた騎士への道を作るように、ほかの騎士たちが七、八人ほど倒れていたのだ。全員、鈍器で殴られたかのような気絶の仕方をしている。中には絶命している人もいるかもしれない。


 何が起きたのか、そう思ったとき、フェライの横で再びうめき声が上がった。

 フェライは振り返り、あっ、と声を上げる。


 倒れ伏す騎士のむこうに、女性がいた。浅黒い肌と大きな黒茶の瞳。鮮やかな布を巻きつける特異な衣装を身にまとい、銀の飾りをあちこちに身に着けたその女性は、彼女の知らない恐ろしい形相で戦場を睥睨している。

 騎士たちの、いや、この場のほぼ全員の視線が女性に集中した。それに気づいたかのように、彼女は両足で荒野を踏みしめた。


「皆の者、聞け!」


 よくとおる声がイェルセリア語の叫びを張り上げ、空気を殴る。


「我はアリド氏族ジャーナのドリラージャの娘、サンディアクスーマ! 目の曇った騎士どもから友を救うため、はせ参じた者だ! 友を――貴様らが裏切り者と呼ぶ騎士を捕らえたくば、その剣で我らの首を刎ねてみせろ!」

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