第43話 砂に帰した都

 しょげているフェライの横で、メルトと騎士二人は簡単な自己紹介を終えた。そして、他の騎士たちに気づかれないうちに、と、横道を進みはじめた。徒歩で来たと思われていたチャウラも、少し先に馬を待機させていていた。


 馬を進めているうちに、メルトはこの道がなんなのかを思い出す。――古くからあった、王族用の避難用通路だ。かつてはこの道が王都と王宮の地下にまで細く伸びていた。今は山ごと国が消し飛んだことと、六百年間の地殻変動の影響で、忌み地と化した旧王都の地上と繋がっているらしい。


 メルトが王家の知識をぽつりとこぼせば、チャウラが唇をとがらせた。

「こういう通路って、偉い人しか使えないんだよねー。どこの国でもお約束」

「ちょっと、チャウラ」

「時と場面を選んで言え」

 雑談となんら変わらぬ調子で言った少女に、同僚二人が叱声を浴びせる。メルトは二人に向かって首を振った。

「構わない。事実だからな」

 実際、王都を歩いていてもそのような皮肉や批判にさらされることは日常茶飯事だったのだ。悪意のない少女の愚痴など、王太子にしてみればほほ笑ましいものである。

「それに、この道を使うようなことなどほとんどなかったから、たいていは俺とユイアトの遊び場になっていた。もっと前にはきちんと使用されたこともあるが、それは俺が生まれる前の話だ」

 古きイェルセリアの民らしい手綱さばきで、メルトは進路上に転がっていた岩をうまくかわす。ついでに思い出したことを口にすると、若者たちが目を瞬いた。

「えー……今、さらーっと初代陛下のお名前出ちゃったよね」

「そりゃまあ、従弟だし」

「やっぱりそうなのか。教えてくれたデナンも半信半疑だったから、どうなんだろうって思ってた」

 ルステムがささやいたのを聞き、フェライは思わず馬を止める。メルトも、遅れて止まった。ルステムは一瞬、しまった、とばかりに顔をこわばらせたが、四つの目に見られると観念して小さくうなずいた。

「なるほど。情報源はあの騎士か」

「そういえばさっきも、私のことをデナンから聞いたとかって……」

「あーそうそう、そうなのよー」

 チャウラがあっけらかんと答えて、ついでに経緯を説明してくれる。


 メルトとフェライが聖都を出てしばらくしてから、突然デナンが事の真相を打ち明けたというのだ。彼はフェライに負けた後から、カダルに対して面従腹背めんじゅうふくはいしているようで、これを機にルステムたちも祭司長一派の妨害に少しずつ加わるようになったという。


「今回は、従士様の口ぎきでフェーちゃんの捜索隊にねじ込んでもらって、二人を横から古王国跡地に案内する役を引き受けたってわけ」

「なるほど。タネルさんかぁ」

「今もそのへんに潜んでるかも」

 チャウラが岩山を見渡しながら言うと、フェライは「やめてー」と肩をすぼめる。そして、彼女の肩をチャウラはさらに小突いた。メルトは、女子たちの戯れを見て、失笑してしまった。

「すみません、やかましくて」

「なに、気を抜くことも必要だ。俺もいい気分転換をさせてもらっている」

「なら、いいんですけど」

 ルステムは気まずそうだが、メルトは気にしていない。

 現状を忘れそうなほどのん気なやり取りは、メルトとフェライの心を知らぬ間に解きほぐしていた。


 半刻ほど進んだとき、ルステムが「うわっ」と声を上げる。彼が見やった方を全員が見て、それぞれに表情をこわばらせた。

 近くの空のある一帯だけが、暗い紫色に染まっている。そのあたりだけ、黒々とした雲が激しく渦を巻いていた。間違いなく、かつて王都があった場所だ――メルトは当時を思い出して、目を細める。目陰をさしたチャウラが、不快感もあらわに呟いた。

「うっわぁ……気味悪い。これからあそこに行くんだよね」

「むしろ、俺たちは入らない方がいいかもな」

 チャウラの隣で顔をしかめたルステムが、ふとメルトの方に視線を向けた。

「そういえば……殿下はあの場所で何をなさるつもりなんです? 俺たちは祭司長側の情報しか知らなくて……」

「え、そうなの」とフェライが呟いた。「聖女様たちも、そんなに知らないみたいだったし」とチャウラが言葉を投げ返す。二人の応酬を聞き流しつつ、メルトは少し考えこんだ。考えこんでから、話してもいいだろうと思い定めて、自分の目的と『夜の杖』に関わることをひととおり話した。


 すべてを聞いたルステムとチャウラは、さすがに言葉を失くして、古王国の王太子を見ていた。その目には純粋な驚愕だけでなく、いくらかの戸惑いと、悲しみに似たものが含まれている。

 チャウラが慎重に口を開いた。

「あの、殿下はいいんですか? それって、全部終わったら死んじゃうってことじゃ……」

「その可能性が高い、というだけだ。すぐ死ぬと決まったわけじゃない」

 メルトは言い切って、言葉の終わりにフェライを見やった。彼女は唇を引き結んではいるが、おもてそうな色は浮かんでいない。古王国跡地の方に向けられた翠の瞳に、決意の火が灯っている。

「さあ、行こう」メルトが言って馬の腹を蹴ると、他の三人も黙って歩みを進めた。


 近づくごとに、空気のにごりはひどくなってゆく。巫覡シャマン以外の人間にも、が感じ取れるほどになっていた。メルトとフェライの後ろにつくルステムとチャウラが、蒼白い顔をしている。いよいよ、覚えのある場所が見えてきたという段になり、メルトは二人を振り返った。

「二人はどうする? ここから先は特に危険が伴うから、引き返してもらいたい、とは思うが……」

 ルステムとチャウラは、色の悪い顔を見合わせる。ほどなくして、うなずきあった。

「やっぱり、俺たちも行きます」

 ルステムが言うと、フェライが目を丸くした。すかさず彼女の頭を小突いてから、チャウラが続く。

「撤退のときに人手が多い方がいいでしょう?」

 稚気を残す彼女の表情に気負いはない。それは、ルステムも同じだった。

「わかった。ありがとう。……それじゃあ」

 二人にうなずいてから、メルトは口の中でことばを唱える。おそらくは、十五年前に祭司長たちを守ったものと同じ術を四人ともに施した。フェライは碧眼を輝かせ、二人の騎士はふしぎそうに自分たちの全身をながめまわす。

「なんか体が軽くなった、ような」

「お守りのようなものだ。これでとりあえず、空気に毒されて動けなくなることはないだろう」


 淡々と説明をしつつも、青年の目は前だけを見ている。十五年前に見た景色そのものが、近づいてくる。『地の呪物』に毒された王都。その記憶を思い描いて。過去を、現在いまを、未来を想って。


「行こう、メルト」

「ああ」

 彼らは、古の地へ足を踏み入れる。



 そして眼前に広がった光景は、メルトが覚えているものと、さして変わらなかった。不毛の荒野。むき出しになった灰色の地面には、岩が砕けたような小石や砂がそこかしこに散っている。地面がひび割れているところもあった。馬で進むのは危険だし、彼らは異様な空気に取り乱しかねない。そういうわけで、四人は徒歩で古王国跡地へやってきていた。

 杖の力を強く感じる。感じるが、あまりにも強すぎてどこが出所か、わからない。

「さて、どうやって杖を探そう?」

 フェライが困惑の表情で頬をかく。メルトは、連れに悪戯っぽい笑みを向けた。

「心配はいらないぞ、フェライ」

「え?」

「先導者が来てくれた」

 そうしてメルトは、ななめ前に体を向ける。その先には、リゼバードで会った純白の子どもが立っていた。相変わらず、整った相貌からはありとあらゆる表情が抜け落ちている。

 子どもの存在に気づいていなかった三人が、奇妙な声を上げて後ずさった。彼はそれに構うことなく、色のない瞳を四人へ向ける。

「いらっしゃい。増えてるね」

「ああ、色々あってな」

「呪物の破壊を邪魔する人間でなければ構わないよ。とりあえず、こちらへ」

 子どもは延々と広がる荒野に指をのばし、それから四人を顧みもせず歩きだす。子どもの対応に慣れているメルトとフェライはふつうに彼を追ったが、騎士二人は目を白黒させていた。


 どこまで行っても景色は変わらない。ゆえに、どれほど進んだのかもよくわからない。だが、子どもはある場所でぴたりと歩みを止めた。人間たちがそれにならうと、子どもはメルトを見上げる。

「このあたりでいいだろう。試しに、『夜の杖』を探してみてくれないかな」

「探すって、どうやって探すんだ」

「杖に呼びかける。君たちが精霊に呼びかけるのと同じ要領だ」

「……ああ、なるほど」

 げきの力を持つメルトとしては、そのたとえは非常にわかりやすかった。一歩前に出ると、深く息を吸いこんで、己の意識を穢れた空気の中へ飛ばした。


『よろしいですか、殿下。大切なのは、目をそらさないこと、耳をふさがないことです。精霊たちの声のすべてを受け入れてはじめて、我々はその力を借りることができますから』


 街の巫女の言葉を思い出す。

 目をそらさないこと、耳をふさがないこと。

 たとえ杖の力がどれほど強大で、禍々しいものであろうと。

 そのすべてを受け入れなければ、杖を操ることはできない。


 静寂が広がる。

 闇は深い。

 どこまでも、どこまでも潜った果て。

 忌々しい記憶を超えて、その輪郭に手をのばす。


 風が鳴った。

 空気が渦を巻き、そして――

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