第42話 騎士たちの再会

 二人は翌朝早くにリゼバードを発った。日の出の直前、空は明るいが空気は冷たい。町は少しずつ目覚めはじめている。焼けるほどに暑い日中に備えて、男も女も今のうちにできる仕事をせっせと始めているようだった。メルトとフェライは彼らの姿を横目に町の外へ出ていったが、同じように考える旅人がほかにもいたから、見咎められることはない。


 北へ、馬の足を向ける。水を飲んで食事をし、たっぷり眠った馬たちは元気いっぱいだった。馬に乗る人間たちも身体的には満ち足りているが、精神は張りつめている。さすがのメルトでも、顔がこわばっているのを自覚していた。

 終わりへ向かう旅が、すんなり行くとは思っていない。彼は、腰にいた剣の感触を確かめた。


 北方へは、途中まで細い街道が伸びていた。しかし、ある地点から少しずつわだちも足跡もない不毛の地へと変わってゆく。乾き切った地面に大小の石が転がって進路をふさぐことが増えた。古王国が忌み地となって以降、人が寄りつかなくなってしまったせいだろう。


 二人は黙って馬を進める。お互い話したいことはいっぱいあるのだが、なかなか話しだすことができないでいた。目的地を前にして気持ちが落ちつかないからか、その先に待つものを直視することを恐れているからか。メルトにはよくわからなかった。きっとフェライは、メルトよりもわからなくなっているのだろう。


 その日は追手が来ることはなかった。二人は、休憩の合間には剣や術の稽古をし、夜は大きな岩の陰で体を休める。翌朝になるとまた黙々と馬を駆る。この繰り返しであと二、三日も行けば、今は忌み地と呼ばれる故郷が見えてくるはずだった。


 追手はない。どこかで人がこちらを見ている、ということもない。それどころか、北進するにつれて生き物の気配がなくなってきた。灰色の乾いた大地に、太陽だけが黙ってひたすら光を注ぎ続けている。ただ、不毛の道なき道の中、気配を研ぎ澄ませてみると、覚えのある巫覡シャマンの術の気配がした。おそらくカダルの手の者だろうが、神聖騎士団が聖教側に巫覡シャマンの協力を要請した可能性もある。


 メルトがある休憩の折に自分の感じたことを打ち明けると、フェライは頬に手を当てて首をかしげた。

「どうだろう。神聖騎士団は『親の手を借りない』っていわれるから。巫覡シャマンがいないとどうにもならないと判断しない限り、聖教側に協力要請をすることはないんじゃないかな」

 言いながら、彼女はあいた右手を空に向けて、人さし指をまっすぐに立てる。そのまま空をゆっくりなぞった。楕円だえんを描き、途中で動きを反転させる。

「なるほどな。フェライは治癒のわざしか使えないとし、俺も監獄塔にいた頃、力を使ったことはほとんどない。騎士団側は、自分たちだけで対処できると思っている可能性が高い、か」

「うん。それに、騎士団の指揮権は団長にゆだねられているけれど、聖教の最高指導者はギュライ様だわ。聖教本部に仕える巫覡シャマンを外へ出すには、ギュライ様の許可がいる。ギュライ様は私たちの事情をご存じだから、そこのところの判断は上手にしてくださると思う」

「となると、よけいな巫覡シャマンがくっついてくることはない、と思っていいかな?」

「多分」

 短く答えた後、フェライは軽く顔をしかめた。天へ向かって立てた指先が、わずかに揺れる。

「気分がよくないのはわかるが、あと少しそのままで」

「う、うん。……それにしても、このあたりは本当に空気が悪いのね。リゼバードまでとは大違い。精霊の気配も、いつも以上にわかりづらいわ」

「そこまでわかれば上出来だ。精霊が感じ取りづらいのはしかたがない。俺も、正直きつい」

 古王国が近づいている証左しょうさではあるのだが、杖の力の名残を感じるのは気分がよくない。それに、ほとんどの精霊はどこぞへ隠れてしまっているようなのだ。やはり、精霊にとっても杖の力は有害なのだろう。裏を返せば、仮に聖教の巫覡シャマンが来ても大したことはできない、ということでもあるが、もしギュライ並みの実力者がいれば話が変わってくる。

 こればかりは憶測を並べたてていてもしかたがない。今はとにかく、故郷にたどり着くことだ。そろそろ休憩を終わりにしようかと思い、メルトがフェライに話しかけようとしたとき、フェライが「え?」と素っ頓狂な声を上げた。メルトは、フェライが声を上げた理由にすぐ気づいたが、あえて問う。

「どうした」

「え、えっと、なんだかざわざわするの。精霊……ではなさそう、なんだけど。……これ、動物?」

「ふむ」

 メルトは形だけの相槌を打ち、立ちあがった。

「フェライ、『探索』はそこまででいい。いつでも動けるようにしてくれ」

「え、それって――」

 言いかけたフェライはしかし、すぐに真剣な顔で立つ。最近だいぶ仲良くなってきた若馬に駆け寄り、くらや装備を手早く整理して、その背に飛び乗った。メルトもすぐに馬上の人となる。

「行って」

 フェライがささやき、馬に合図を出すと同時、かすかな人の声が聞こえてきた。メルトでもなんとか聞きとれる程度だが、イェルセリア語を使っているのがわかる。二人はすぐさまその場を去って、さらに北へと進んだ。


 行けば行くほど空気は悪くなってくる。しかも、背後からだけでなく、左右からも追手と思しき人の気配が迫っていた。すでに数人と剣を打ちあわせて退しりぞけているが、その間に距離を詰められた。乱戦になるのも時間の問題だろう。


「メルト、もしかしたらこの先に伏兵ふくへいがいるかもしれない。このあたりは身を隠しやすいし……」

 少し息を乱したフェライが、メルトに叫ぶ。彼自身も周囲を見回して顔をしかめた。フェライの言うとおり、地面が隆起りゅうきして岩山のようになっているところが多い。

「無理に突っ切ってもよけいな戦闘をすることになるか。どう行くかな」


 考えながら、メルトはふと、リゼバードで出会った〈使者ソルーシュ〉と名乗る子どものことを思い出した。先に古王国跡地へ行くと言っていたが、大丈夫だろうか。しかし追手のことは伝えたし、彼ならどうにかなるだろうという、信用とも確信ともつかぬ感覚もある。今はともかく、自分たちが無事に着くことだ。メルトは軽くかぶりを振って、雑念を頭から追い出した。


 熱のこもった声が追ってくる。馬蹄の響きが天地を揺らす。メルトは舌打ちしつつも、冷静に馬を走らせた。今は囲まれないようにするので精いっぱいだ。いざとなれば全員斬り捨ててゆく。フェライには決して言えない言葉を心に刻み、彼は片手で手綱を持って、片手で剣を構えた。


 そんなとき、眼前に一人の騎士が躍り出る。巧みに馬を操る騎士はしかし、まだ年若いようだった。砂埃を吸わないためか、汚染された空気への対策か、顔の下半分を布で覆っている。そのため顔はわからないのだが、メルトは遠い記憶を刺激されたように感じた。


 騎士の目は、メルトを一瞥した。しかし彼は進路をずらして、フェライの方へと駆けていった。メルトがとっさに名を呼ぶと、フェライは慌てて身構える。

「面倒な!」

 悪態をついた青年のすぐ近くで、剣と剣がぶつかり合った。メルトはわずかに逡巡する。フェライの助けに入ろうかとも思ったが、すでに四方八方から騎士たちがやってきていた。一見、数は少ないが、彼らの背後にも仲間がいるのだろう。ここへ来ていよいよ、鉄環をせばめるつもりらしい。

「……デナン?」

 フェライの声が聞こえた。メルトは目を見開く。先ほどの妙な感覚の正体を知った。彼は、聖都を出る直前に立ちふさがった、フェライの知り合いの騎士だったのだ。しかし、名を呼んだ少女の声には、驚愕や勢いよりも困惑の色が強かった。


 どういうことかと考える間もなく、メルトは馬上で剣を一閃する。メルトの左から躍りかかってきた騎士は、剣を受けることはせず、すばやく後退した。違和感に眉をひそめたそのとき、デナンと同じように顔半分を覆った騎士が、他の騎士にまぎれるように近づいてくる。メルトが再び身構えたところで、ささやいた。

「お待ちください」

 布のせいでくぐもった声が、メルトの耳朶じだを打つ。若い男の声だ。ひょっとしたら、最後に見たユイアトほどの年齢かもしれない。――そこでメルトは、ひとつの可能性に思い至る。

 騎士が一度後退し、また突っこんできた。メルトは、今度は冷静に剣をふるい、騎士と三合ほど打ちあった。直後、「こちらへ」というささやきが聞こえて、騎士が身をひるがえす。まるで、慌てて引き下がるように。メルトは数人の騎士を落馬させてからその後を追った。あの若馬の足音が、後ろから追いかけてきた。


 追いすがってくる騎士たちを相手にしながら駆けていくと、ややして険しい道に入った。地面の起伏は激しく、連なる岩山に挟まれた道の幅も狭い。気づけばメルトは、奇妙な青年騎士についていく格好になっていた――後ろに続くフェライとともに。


 道幅が広くなり、追手の気配がなくなった頃。青年騎士が歩みを止めた。メルトとフェライも並んで立ち止まる。と、そのとき、青年騎士の背後から人の足音がした。足音に重なって、誰かの名を呼ぶ声が響く。それを聞き、フェライがぎょっと目を見開く。メルトがその意味を尋ねる前に、声の主が青年の馬のそばに姿を見せた。紫色の布を頭に巻き、騎士の制服を着た娘だ。彼女の布はヒルカニアの方のマグナエとは素材が違うが、用途は同じだろう。その娘は、騎士を見上げると、悪戯っぽく目を細める。

「あっ、よかったー。ルスにしては上手くやったねえ」

「俺にしては、は余計だ。チャウラ」

「え……えっ!?」

 能天気なやり取りをする二人を見、フェライがひっくり返った声を上げた。その顔は、メルトが見たことないほどひきつっている。フェライが二の句を継げないでいるところ、青年騎士が顔の下半分を覆う布を取り外す。美丈夫というほどでもないが、すっきりと整った相貌があらわになった。

 彼は、少し戸惑った様子で、メルトにイェルセリア式の礼をとる。

「お初にお目にかかります、メルト殿下。……突然のご無礼、お許しください」

 メルトは一応返礼した後、悪童のような笑みを浮かべた。」

「いや、先刻は助かった。ありがとう。それと一応言っておくが、俺は君たちの殿下ではない。その敬意は今の王族たちに取っておけ」

「しかし、あなたもユイアト王の親族でしょう」

「……なるほど、そういう考え方もあるか」

 しかし、今さらかしずかれるというのは、やはり居心地が悪い。メルトが正直にそう言うと、青年は少し表情を和らげた。一応、会話が一段落したところで、メルトは硬直している少女騎士を振り返る。

「それで、フェライ? おまえの反応を見るに、この二人はおまえの同僚か何かだな」

「え、あ、ええと、うん。ルステムと、チャウラ……。あの、なんで二人が、こんなこと……」

 いつになく動転している少女を見て、メルトは危うく吹き出しそうになった。そこへ、青年――おそらくは、ルステム――が馬を寄せてくる。何かと思ったら、彼はやにわに左手をフェライに向け、親指と人さし指で輪を作り、彼女の白い額を力いっぱい弾いた。

「ぁいったあ!」

「お、ま、え、は……一人でコソコソしやがって! 毎日毎日一緒に飯食ってたのに、なんで一言の相談もないんだ、ええ?」

「だ、だって話したら二人を巻きこむことに……」

「ああわかってる、わかってるともフェライ。デナンから全部聞いた。確かにきな臭いことになってたな、そりゃ事情知ったら祭司長のじいさんに命にぎられるから危険だわなそうだわな。けどな、危険度で言ったらおまえだって同じだろ。だいたいなんか隠してるってバレバレだったぞ逃亡直前のおまえ。俺たちだって馬鹿じゃないんだ、ばれないよう努力はできるよ今回みたいに。少しくらい信用してほしかったな、信用ならないか俺たちは」

「ああああ……すみません、ごめんなさいー!」

 淡々と、しかしすさまじい勢いでまくし立てるルステムに立ち向かうすべは、フェライにはなかった。彼女はとうとう馬の背にしがみつくようにして、半泣きで謝る。しがみつかれた若馬は、呆れたように鼻を鳴らした。


 メルトはなんだか申し訳なくなった。見るにあの青年騎士は、相当うっぷんが溜まっていたらしい。気の置けない同僚がいきなり脱走したとなれば、それは動揺もするし傷つきもするだろう。メルトは思わず「ちょっといいか」と声をかけていた。自分でも驚いたことに、発した声は少しうわずっていた。

「あまりフェライを責めないでやってくれ。彼女のことは俺にも責任がある。こちらの事情に巻き込んでしまったのは、きっかけを作ったのは俺だ」

 ルステムは、それまでの静かな怒りを少しおさめ、気まずそうに目をそらす。

「それは……確かに、あなたに思うところはあります。しかし」

「やっぱりフェーちゃんにも責任がありますから。殿下と違ってまわりに話せる人がいたのに、頼らず無茶したんですからね、この人。ギュライ様たちと接触するまでは、もっと無茶してたんじゃないかなっと」

 決まり悪そうなルステムの後を、騎士の娘、チャウラが引き継ぐ。メルトが目を丸くしている横で、フェライはおそるおそるといったふうに、彼女を見おろした。

「あの……チャウラからも、何か……?」

「いんや、何もー」

 独特の雰囲気を持つ少女は、首を振って、満面の笑みを浮かべる。


「その他言いたいことは、ルスが全部言ってくれたから」


 まばゆいばかりの彼女の笑顔を見て、フェライは「うあー」と情けない声を上げ、再び縮こまる。

 若馬がうっとうしそうに鳴いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る