第41話 王族の務め

 王の子として生まれ、王になるべく育てられた。

 彼自身でさえ、王になるのだと思っていた。

 未来を疑っていなかった。

 定められたはずの未来は突如崩壊し、彼だけが生き残った。

 生き残って、生き残って――

 ずいぶんと長い時を生きてしまった。



「『天の呪物』を使ったら、君はおそらく壊れるだろう。心身の苦痛に苦しみ、遠からず命を落とすことになる」

 そう宣告した〈使者ソルーシュ〉の表情から、心の内を読みとることはできない。けれど、彼が真剣に言おうとしていることは、わずかだが伝わってくる。


「天に近づく覚悟はあるか」――繰り返し聞こえた問いかけを、その声を、メルトは思い出した。性別も感情も読めない声。あれが天上人アセマーニーのものなのだとしたら、天上人アセマーニーとはみな、感情に乏しい人々なのだろう。そうなるとむしろ、人間に歩み寄ろうとするそぶりの見える純白の子どもは、天上人アセマーニーの中では異端な存在、ということになる。


 彼と巡り合えたのは、幸運なことだったかもしれない。

 自分から目をそらさない子どもを見ながら、メルトはそんなことを考えていた。

 死を予告されたことへの恐怖はない。どうあっても道の先に、近い死が待っていることには気づいていた。だから、無感情な子どもに向かって強くうなずく。

「――構わない。『夜の杖』を壊すことができるなら」

「わかった」

 子どもはあっさりとメルトの言葉を認めた。食い下がらないところが、彼らしい。彼はメルトからわずかに視線をそらし、体をひねる。フェライも視界に入れたかったらしい。


 フェライは、もはや言葉を失くしていた。血の気の失せた顔で、しかし動揺をあらわにしないように、唇をぎゅっと引き結んで二人を見ている。彼女には〈使者〉の言葉の意味も、メルトの心中も、ある程度わかっているのだろう。わかっているからこそ、なにも言えないのだ。


「それなら君は古王国の跡地に向かって。現場に着いたら『天の呪物』を渡す。今ここで渡した方が早いけど、そうすると君の体がもたないから」

「現場に……ついてくるのか?」

「いや。極力人間に干渉しないというのが、僕たちの掟だ。僕は僕で跡地に行く」

「承知した」

 メルトは短く了承したが、よくよく考えると、子どもの言葉の端々には気になる点がある。しかし、それこそ追及していてはきりがない。知らない方がいいことも、世の中にはあるだろう。

 怪訝けげんに思っているのが、顔に出たのだろうか。子どもはメルトを見て、無表情のまま首を傾けた。しかし、何事もなかったかのように、すぐ頭の角度を元に戻した。


「『夜の杖』の対抗呪物は『あけぼのの杖』という。『夜の杖』の力を封じ、壊すだけの呪物だ。呪物にゆかりのある人間なら、振るだけで力を扱うことができる」

 子どもの話を、メルトはうなずきながら聞いていた。――その途中、彼は自分たちの現状を思い出す。祭司長カダルが、古王国跡地でメルトに手を出そうとしているのなら、そのことを〈使者ソルーシュ〉にも伝えておいた方がよいかもしれない。そう思い、右手をあげて話を止めた。


「一応、伝えておきたいことがある」と前置きし、メルトはロクサーナ聖教の祭司長のことなどを、子どもに打ち明けた。子どもはやはり、一切表情を動かさなかった。すべてを聞き終えて「なるほど」とうなずいたが、声の響きはひらたい。

「その男性の動向には注意するよ。教えてくれてありがとう」

「……ああ」

 胸がざわざわするのを感じながら、メルトは相槌だけを打った。

使者ソルーシュ〉の子どもはメルトから半歩離れる。話すべきことは話した、ということなのだろう。彼は、二人分の視線を受けながら、無表情のままで右手を掲げた。広げられた五指に、薄い光が灯る。光は広がって、薄絹のごとく子どもを包みこんだ。


「それじゃあ――古きイェルセリアの地で、待っているよ」


使者ソルーシュ〉が情感なく言うと、その姿は光ごとほどけて、消える。


 後にはなにも残らなかった。子どもが現れる前と同様、狭い道に煉瓦の粉が舞っているだけだ。メルトもフェライもしばらく立ちつくしていた。だんだんと正気に戻っていったのか、少しずつ街の空気が感じられるようになる。人の声や馬のいななき、日差しの熱さや、むせかえるほどに甘い花の香り。それらが五感をつついてくると、頭も働きはじめる。

「メルト」

 かすれた声が響く。メルトは静かに、隣の少女を見やった。フェライは彼に顔を向けてはいるものの、名前を呼んだその先、なにも言わなかった。いや、言えないでいるのだ。口はかすかに開いて閉じることを繰り返している。

 メルトは、自分からなにかを言うことはしなかった。ただ、待った。待っていると、フェライがしぼり出すようにささやいた。

「いっ……いいの? 本当に、あれで……」

 なんと答えたものか、メルトは迷う。しかし、迷う時間はほんのわずかだった。

「ああ。いいんだ。もともと、杖を探しだして壊すことが目的だっただろう?」

「でも――でも、そうしたら、メルトは……」

 少女は叫んだ。消え入りそうな声ではあったが、それは確かに、慟哭どうこくであった。

 メルトは、はじめて自分の中のなにかが揺らぐのを感じる。

「そうだな。……でも、いいんだ、フェライ」


 涙がこぼれ落ちるのを見た。それでも彼は、言葉を変えない。つかのま、故郷の方角を見やる。それからフェライの方へ歩み寄り、少し考えてから、彼女の小さな頭に左手をおいた。


「思えば、俺はずいぶんと遠くまで来た。知らなかったこととはいえ、俺自身が人の理を外れて、生きすぎてしまった。……長く、生きすぎてしまったんだ」

 軽く叩くような感じで、頭をなでる。フェライの体が小さく震えた。

「俺を野放しにしない、という一点だけを見れば、カダルの判断は正しかった。俺は本来なら、すでに『魂の庭園』にかえっているべきなんだ。――だから、そろそろ終わりにしたい。古王国の王族としても、いち個人としても」


 生きているべきではない。

 いるべきではない時代にいる。

 ずっと、胸の底に隠れていた思いだった。口に出すと、はっきりと形を持った。同時に、ふっと心が軽くなった。心のおりは、気づかないうちにずいぶんと重い荷物になっていたらしい。


 澱を吐息とともに吐き出したメルトは、フェライの頭から手をどけた。マグナエ越しの、やわらかい髪の感触は、乾いた風に流されて消える。

 フェライは、まだなにも言わない。それでも、自身を急きたてるような雰囲気は消えていた。

 今度はメルトも、あえて声音を明るくして言う。

「だが、今話したことも、『夜の杖』を壊した後の話だ。まずは北に行って、杖を壊す。――王族の務めは果たさなければ、な」

「わかったわ」かすかな声が返った。フェライは一度顔を伏せ、両手の甲で目もとをぬぐうと、また顔を上げた。頬には涙のあとがある。目は赤くなっている。それでも、表情は力強かった。神聖騎士団の騎士フェライそのものであった。

「わかった。私は変わらずメルトに力を貸す。ううん、それだけじゃない。あなたの魂が『庭園』に還るまで、その瞬間まで、私はあなたのそばにいる」

「――フェライ」

「それが、あなたを世界そとへ連れ出すと決めた、私の責任、私の務めだと思うから」


 海のように濃い瞳を。明けの空のように優しい瞳を。その先に映る決意に満ちた顔を二人は見る。そして、どちらからともなく、手を差し出してにぎった。


「……すまない。ありがとう」

「お礼なんて。私の方こそがお礼を言わなくちゃいけないわ。いっぱいいろんなこと、教えてもらったんだから。ありがとう、メルト」

 互いに向けてほほ笑んで、二人は改めて北を見やる。

「では、行くか」

「うん」

 ひとまずは、リゼバードの市場バザールで物資を揃えて、それから忌み地へ向かわねばならない。二人は馬を連れて、再び大きな通りに出た。メルトは熱気に満ちた通り、その先を見すえる。


 死にゆくことに恐れはない。この選択に悔いはない。

 ただひとつ、後悔があるとすれば、それは――心優しい娘に、辛く悲しい思いをさせてしまうことだった。

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