第40話 終わりの選択

『夜の杖』。

 はじめて聞く言葉だった。

 しかし、メルトはその言葉をすんなりと受け入れていた。

 腑に落ちた、とはこういうことを言うのだろう。


 純白の子どもは知っている。

 古王国を滅ぼした杖のことを。新しき時代にいるメルトのことを。


 ようやく、知ることができるのだ。メルトは感慨深く子どもを見つめる。彼に対する畏怖に似た感情は消えないが、先刻に比べてメルトの心は穏やかだった。「殺すことになる」と言われたにも関わらず。

「ど、どういうこと?」

 動揺して声を上げたのは、フェライだ。蒼ざめる彼女に子どもは一瞥をくれたが、首をかしげただけで答えはしなかった。しかたがないので、メルトが後を引きとることにする。

「それを今から教えてくれる。そういうことだな」

「知りたいんだね」

「無論だ。今さら退かんさ」

「本当に、聞いたとおりだ」と、子どもが呟く。その意味はわからなかった。意味を尋ねることもできなかった。その前に、子どもが口を開いたからだ。

「君たちはどこまで知っているの。どこから知りたい?」

「最初から、というべきかな。差し当たり……」

「あなたが何者か、とか」

 メルトの言葉をフェライが継ぐ。少女の顔色はまだ悪かったが、動揺は少しおさまったようだ。相手がとことん無表情だから、かえって冷静になれたのかもしれない。

 子どもは「わかった」と答え、そのまま流れるように語りだす。

「僕たちは多くの場合、〈使者ソルーシュ〉と呼ばれる。もっと広い範囲を指して、このあたりでは天上人アセマーニーと呼ばれることもある」

 メルトとフェライは、思わず顔を見合わせた。全体的に何を言っているのかわからない。しかし、メルトにはひっかかることがあった。

 アセマーニー。ヒルカニア語の『天空アーセマーン』という単語に似ている。

 空。空の者。どこかのなにかと繋がりそうだ。

 思考にふけりそうになったとき、まるで鉄槌のごとく、無感情な声が叩きこまれた。

「僕たちは外から来た者。かつてこの地に干渉し、争い、退いていった者。けれど僕たちは、反逆者がこの地に残した、ことわりを歪める物を壊すため、対抗できる物を携えて、再びこの地にやってきた」


 干渉、争い、反逆者。

 理を歪める物――

 言葉の断片が青年の頭の中で躍り、そしてひとつにまとまった。


「まさか……天上の人スヴァル・カ・ディフター?」

 フェライが息をのむ。子どもは首をかしげた後、緩やかにうなずいた。

「そう呼ぶ人々もいる」

「……そっちの伝説なら、少し知っている。ただ、すべてではないと思う」

 子どもがまたうなずく。一瞬、石に視線を落とした後、また二人を見てきた。

「僕たちは、この地に残ってしまった物を『地の呪物じゅぶつ』と呼ぶ。『地の呪物』を壊すために作りだされたのが『天の呪物』。僕はこの地域に散った『地の呪物』を探している。『天の呪物』で壊すために」

 白い指が、ピンと立った。まっすぐにメルトの胸をさす。

「君が欠片を宿している『夜の杖』は、『地の呪物』だ」

 フェライが悲鳴を押しこむように両手で口を押さえている。それを見たのち、メルトは静かにまぶたを下ろした。予想はしていたことだ。


 反逆者と『地の呪物』。人を狂わせ自然を歪める道具と、『災いの子』の口伝。

 これまで聞いてきたことが、一本の線で繋がった。

『災いの子』とはすなわち、『地の呪物』に関わった者のことだ。今しがたこの子どもが語ったことが、形を変えてガルード氏族ジャーナの口伝となったのだろう。なぜガルード氏族ジャーナなのかは不明だが、いくつかの謎は解けた。


「『夜の杖』は、力を発すると周囲に『夜』をもたらす。それは人心じんしんにも影響を及ぼす。『夜』に魅入られた者は、杖に執着し、最後には杖の力で死ぬ。古きイェルセリアの国王もそうして死んだ。しかも、彼はおそらく杖の扱いを誤って、暴走させた。『夜』とは別の、純粋な呪物の力が、国を滅ぼして山を消し飛ばした」

 語られたのはまさに、古王国滅亡の全容だ。だが、メルトの知らなかったことも多かった。

 滅亡の日、王宮の中の風景がまなうらによみがえる。杖のまわりが暗かったのは、『夜』がもたらされたからだったのだ。


 子どもは、別の方角に顔を向けた。北――古王国跡地の方角へ。

「山が呪物の力で消えたとき、僕とシャハーブ――僕の人間の友人――は、あの場所へ調査に行った。『夜の杖』を見つけるために。けれど、なぜか杖は見つからなかった。あの場所にあることは確実だけれど、あの場所のどこにあるのかがわからない」


 子どもが、顔を戻した。色のない瞳が陽光を弾く。

「ふしぎなことではない。作り手や〈使者ソルーシュ〉や、呪物にゆかりのある者が操れば、呪物は存在していないように見せかけることができる。作り手の力は感じなかった。〈使者ソルーシュ〉が『地の呪物』を操ることはない。であれば、杖のそばにいた人間が杖の力の一部を宿し、『ゆかりのある者』となってしまったのだろう。そして、その人間が、いや、人間の中にある呪物の欠片が、己を守るために杖を見えなくしたんだ。僕はそう考えて、力の宿主やどぬしを探し続けた」


「その、力の宿主というのが、メルトなの?」

 フェライが問う。耐えきれない、としかめられた顔が語っていた。

 子どもは静かに肯定する。フェライは絶句していたが、メルトはたいして驚かなかった。驚きはしないが――疑問はある。

「しかし、なぜ俺なんだ」

「杖に触れたのだろう。記憶にない?」

「ああ――触れた記憶はある。杖が暴走したあの日、なんとかそれを壊せないかと思って、にぎった。ただ……おそらく俺より杖に触れていた父上は、力にのまれて亡くなった。なのに、なぜ俺は、一度触っただけでそんなことになるんだ?」

 メルトは、考えこみながら問う。長年の疑問を一気にぶつけたせいか、少し早口になった。

 子どもは少し黙った。頭の中で情報を整理しているふうだった。整理が終わると、こともなげに言い放つ。

「おそらくは性質の問題だ」

「……性質?」

 素っ頓狂な反問の声が重なる。メルトとフェライは、同じように子どもの言葉を反芻はんすうしていた。


「『地の呪物』に限ったことではない。僕たちの力を人間が浴びると、人間の魂の深いところに影響を及ぼす。そうなったとき、人間は死ぬか、僕たちに近い存在になるか、どちらかの道をたどることになる。僕たちの力に耐えきれない人間は死に、耐えきれる人間は魂が変質する。君は力に耐えきれる人間だったから、『夜の杖』の欠片を宿し、僕たちに――とりわけ反逆者たちに近い存在となった」


「ちょ、ちょ、ちょっと待って! あ、頭がこんがらがってきた」

 フェライが慌てて顔の前で手を振ると、子どもは口を閉じた。ちょうど、からくり人形のように、ぴったりと。無論、そこに奇妙さを覚えはするが、いちいち気にしていてはきりがないような気もする。

 フェライがため息をつく横で、メルトも一度、頭の中で情報をまとめてみる。

 納得できないところはある。意味がわからないところも多い。それでも、色々なことが明らかになったのは確かだ。

「つまり……俺が新王国の時代までのは、杖をにぎったときに、その力を宿してしまって、文字どおりふつうの人間じゃなくなったからか。おそらくチャクとアブが俺を『災いの子』と呼んだのも、杖の力に気づいたから……」

「その人間は、もしかしてクルク族?」

 やにわに子どもが訊いてきたので、メルトは首肯した。彼は「なるほど」と言ったが、「なるほど」と思っている声音ではない。

「クルク族は人間の中でも感覚が鋭敏といわれる。呪物の力に気づいても、おかしくはない」

「……で、その呪物は本来なら壊すべきものである、と。おまえが俺を殺すことになるかもしれない、というのは、本来なら杖の欠片諸共もろとも殺してしまわなければいけないから。そういうことだな」

「うん。分離できるならよかったんだけど、君の場合、だいぶ強く『夜の杖』と結びついているから」

 そこで、フェライが「あれ?」と声を上げる。メルトと、表情のない子どもの視線が、彼女に集中した。

「でも、確か『夜の杖』の本体を隠したのも、メルトの中の欠片なんでしょう。だったら、メルトを殺しちゃったら、本体は隠れたままなんじゃ」

「いや、原因を取り除けば杖も元の場所に現れるはずだ。ただ……」

 子どもはそこで言葉を切る。珍しく、もったいぶっているようだったが、人間たちがそう思っているだけなのかもしれない。

 ややして子どもは、メルトに目をやった。

「君が隠れた杖本体を見つけ出す、鍵になる可能性もあるんだ。君の意志で欠片を動かすことができれば、同じように杖を元の場所で見えるようにすることもできるだろう」

 子どもの――〈使者ソルーシュ〉の言葉は難解で、すぐには頭に入ってこない。

 それでもメルトは、次の時には彼の言いたいことを理解していた。

「だから君に問う」


 だから。だから「選択次第では」と前置きされたのだ。


 おそらくどんな形であれ、『夜の杖』を壊せばメルトは無事では済まない。〈使者ソルーシュ〉の側からしたら、メルトに対して直接手を下すか下さないか、それだけの違いだ。

 しかし、メルト自身にとって、その違いは大きい。


「僕がここで欠片を壊すことと、古王国の地で本体を壊すこと。君はどちらを望む?」


 結果が同じでも、過程が違う。

 どちらの過程を望むか――それを、彼は問うのだ。


 残酷な問いだろう。

 だが、残酷さは問題ではない。

 答えは最初から、決まっている。


「悪いが、どちらでもないんだ。〈使者ソルーシュ〉どの」

 メルトは静かに言う。

 子どもは、目を軽く見開いた。


 両手を広げる。

 杖をにぎった手。

 守るべきものを、守れなかった手。

 ゆえにこそ、この手で――


「俺は、俺自身の手で杖を壊したい。なにか方法はないのか」


 ひときわ強く、風が吹く。しかしそれ以外に音はない。街の喧騒が、ずっとずっと遠ざかってしまったかのようで。

 日差しは強く降り注ぐ。けれど冷たい静寂の中、天から来た子はおもむろに口を開いた。

「『地の呪物』を壊すには、『天の呪物』を使うしかない。君は呪物と繋がりがあるから、『天の呪物』を使うことができる。自分で壊したければ、自分でそれを使えばいい」

 子どもは一瞬、顔をそらした。北を見たわけではなく、どこか建物を見上げているかのようである。その顔はすぐに、メルトの方へ戻ってきた。


 そして、透明な声は未来を告ぐ。

 どの道を通っても避けられぬ、変わらない未来を。


「ただ――『天の呪物』を使ったら、君はおそらく壊れるだろう。心身の苦痛に苦しみ、遠からず命を落とすことになる」

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