第39話 純白の子ども

 出発してから二刻ほどで、二人は町にたどり着いた。町の名をリゼバードというらしい。オアシスの町で、交通の要所としてにぎわっているようだ。ヒルカニアで有名な美しい絨毯を売る店が目についた。

 リゼバードと古王国跡地は近い、と、フェライが興奮したように言ったのを見て、メルトも思わず笑顔になる。このまま問題なく北進できれば、目的地に着くだろう。


 メルトとフェライは、しばし町を歩くことにした。今夜の宿を探すついでに、色々情報収集をしようという算段である。

 煉瓦れんがの塀に囲まれた家いえが、風情ある道をつくっている。端の方を歩いていると、行商人だろうか、のいい男が日焼けした手をのばし、西洋人らしき若者を捕まえて何やら熱心に語っているのが見えた。メルトは二人をじろじろ観察することはせず、フェライを目で追う。彼女は、ものやわらかな老人に呼びとめられていた。

「おや、まあ、あんたら北へ向かうのか」

 老人は、訛りの強いヒルカニア語で、感じ入ったふうに言う。メルトがフェライに追いついたところで、彼は声を低くした。

「なら、街道を外れねえよう気いつけた方がええ。間違っても、に近づいちゃならんよ」

「忌み地、ですか?」

 フェライの肩がぴくりと動いた。彼女はそれを隠すようにほほ笑み、首をかしげる。メルトは沈黙を貫くことにした。

 老人は大仰にうなずく。

「そう、忌み嫌われる土地さ。滅びたイェルセリア古王国の跡地のことだよ」

 メルトとフェライは、顔を見合わせる。それをどうとったか、老人はさらに言葉を重ねた。

「古王国はそりゃまあおかしな滅び方をしたそうだ。そのせいで何百年と経った今も、あそこにゃ生き物は寄りつけねえ。悪い空気が溜まってるからな、下手に寄りついたらおしまいよ」

 二人は、険しい顔をしている老人の言葉を半分取り入れ半分流していた。それでも表面上はしおらしく「気をつけます」と答えると、老人は目もとを和らげて去っていった。


 メルトたちは観光するようなそぶりをしながら、ひとけのやや少ない通りに入る。住人の気配がない民家の軒先に、どちらからともなく入った。

 風が崩れた煉瓦の粉を舞いあげ、薄いもやを作り出す。黄色がかった景色を見ながら、フェライが気まずそうに切り出した。

「メルト……今の話、どう思う?」

「忌み地に、悪い空気、か。杖の影響が残っているんだろうな」

「やっぱりそうなのかな。近寄ったらおしまいって、本当かなあ」

「あながち嘘でもないだろう」

 メルトはため息混じりに吐き捨てた。

 実際に古王国跡地に行った人間が戻ってこなかったのだと、彼は予想していた。だから「忌み地」などと呼ばれるようになったのだろう。

「でも、祭司長たちは調査に行ったのでしょう」

「その調査のときには、巫覡シャマンが何人かついていた。少人数を悪い空気とやらから守るだけなら、彼らの術で対応できたのだと思う」

「そういうものなのかな。ってすごい……」

 フェライが己の両手を広げて、そんなことを言う。メルトはどう返したらいいのかわからなかった。時の空隙くうげきを持て余した彼は、連れてきた馬の頭をなんとなくなでた。


 直後――ふっと、頭の中でなにかがひっかかったような感覚をおぼえる。

 なんだか覚えのあるような、しかし実際には経験したことのない感覚だ。メルトは首をひねり、地面を見た。なぜ地面を見たのか、自分でもよくわからない。妖魔に化かされたような気分である。


「メルト、どうしたの?――あれ、それって」

 フェライの声が降ってくる。彼女がしゃがみこんだことで、メルトは、はじめて自分の足もとに小さな物が落ちていることに気づいた。それは、小石だ。道端に落ちているような石ではない。玻璃に近い透明感がある。そして、よく見ると、石の中になにか模様が浮かんでいるように思われた。

「わあ、きれい……。でも、何かしら。さっきまでこんな石、なかったよね?」

「ああ。地面に少し跡が伸びているから、どこかから転がってきたのかもな。それにしても、この模様はなんだ……」

 考えこむメルトをよそに、フェライは瞳をきらきらさせて、石に見入っている。とりあえず石をよく見ようと、メルトは手をのばす。


 指先が石に触れた瞬間、背筋に稲妻のような衝撃が走った。


 メルトはとっさに、伸ばしかけた手をひっこめる。それを見たフェライが、ふしぎそうな表情で石を拾い上げた。もやのかかった空に石を透かした彼女は、「あれ? ふしぎな柄」と呟いている。今しがた模様のことに気づいたらしかった。

 青年は視線を連れあいに戻す。

「フェライ、触って平気なのか」

「え? 平気よ。どうしたの?」

 フェライは、何を言っているんだというふうに返したあと、石についた砂埃を落としはじめた。本当に、なんともないらしい。


 この違いはなんなのか。考えて、メルトは思わず目を細める。

 古い記憶、はじめて杖を目にしたときのことを思い出す。

 その杖の異様さに気づいたのは、当初彼だけだった。同じことがこの石にも言えるのならば、うかつに持ち歩いたり見つめたりしない方がよいのではないか。

 胸が騒ぐ。急きたてられるように、メルトは口を開こうとして――


「見つけた」


 ――響いた声に、さえぎられた。


 メルトは剣に手をかける。胸騒ぎが強くなった気がした。フェライも、石から目をそらしてきょろきょろしている。

 確かに近くで声がした。けれど、声の主は見つからない。追手だろうか。メルトは身をこわばらせる。しかし、彼の危惧した事態ではなかった。

「見つけた」

 再び言ったその人は、幼い子どものようである。見てくれは子どもだが、色々と妙だった。肩口のあたりまで伸びた髪はまっしろで、肌も雪のように白い。瞳は一見して色がないようにも思える。これまた純白の長衣の下から細い足がのびていて、地面を踏みしめる素足には砂の一粒もついていなかった。顔だちは精巧な人形のように整っているが、そこに感情を見いだすことはできない。


 そして、子どもはいつの間にかフェライの前に立っていた。足音も気配もなかったが、気がつけばそこにいたのだ。

 怪しい、気をつけろ、と青年の本能が警鐘を鳴らす。


 一方、フェライは驚いて身をひいていたが、相手が子どもだと知ると緊張を解いた。

「あ……もしかして、この石、君のもの?」

 問われると、子どもは「今気がついた」と言わんばかりに、少しだけ目を見開いた。それも、よく見なければわからないほどの変化だ。

「確かに、その石は僕のものだ」

「やっぱりそうなのね。じゃあ、お返しするわ」

「ありがとう、とこういうときは言うのだよね」

 子どもはにこりともせず石を受け取る。声に抑揚がない。石を子どもに返したフェライが、わずかながら眉根を寄せた。彼女も子どもの奇妙さに気がついたのだろう。


 子どもが見ている手前、彼に関してなにかを言うわけにはいかない。別の話題を振って様子を見てみようか、とメルトが思ったとき。子どもは、硝子がらすのような目でフェライの顔を見上げた。

「君はふつうの人間だね。精霊に近いようだけれど、僕たちにゆかりはない」

 淡々と言われ、フェライは困惑した様子で自分の顔を指さした。

「え? ゆかり? いや、まあ、確かに私はふつうの人だと思うけど、いきなりどうし……」

「ふつうの人間は、僕たちに関わらない方がいい。彼にも。知らないのなら教えておく」

 子どもはやはり、淡々と語る。彼の目が、言葉の途中でメルトに向いた。


 メルトは子どもをにらんだ。――いや、目の前の人間は、ただの子どもではない。

「どういう意味だ?」

 考えるより先に問うていた。声は思いがけず低かった。


 はりつめた空気が広がる。しかし、子どもはそんなものがないかのように、小さく首を傾けた。

「知らないんだね。シャハーブの言うとおりのようだ」

「どういうことだ? おまえ……何を知っているんだ」

「知りたい? 知りたいなら教える。君には知る権利がある。――本当に知りたい?」

 子どもは問う。挑発ともとれる言葉だが、そこに嫌な感情は介在しない。――ただ、良い感情もない。

 メルトはおぞましさを覚えつつも、小さくうなずいた。

 子どもはそれに応じた。決まった文章をそらんじるように、言う。


「ならば教えよう。けれど、最初にこれだけは言っておく。――君の選択次第では、僕は君を殺すことになる」


 風が吹く。煉瓦の粉がまた舞いあがる。

 時は流れる。空は青い。

 しかし、青年と少女の世界は止まり、色を失う。

「心を決めることだ、『夜の杖』の欠片を宿す人間よ」

 子どもの瞳は、いだ湖面のごとく静かなままだ。

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