第35話 銀色の鳥

 後味の悪さを覚えつつも村を素通りしてから、二日。クルク族たちがひく荷車は、街道をゆっくりと進んでいた。あと四パラサング(約二十二・四キロメートル)もいけば大きな都市があるらしい。


 商品の量は二日間で半分ほどにまで減っていた。道中で、彼らの商品を買い求める人がいたのだ。アブいわく、商人界隈かいわいで「ものを売り歩くクルク族」の存在は有名になりつつあるらしい。

 拒む者もいれば、受け入れる者もいる。その流れの中を、三人の若いクルク族たちは、上手に渡り歩いているようだった。


 メルトはこのとき、荷車の上で商品の番と周囲の様子の確認をしていた。しばしば旅人や隊商キャラバンとすれ違うが、みなが友好的に手を振っていく。むっつりと座っているだけでも退屈なので、メルトもたまに手を振り返していた。

 メルトはなにげなく空を見上げた。雲ひとつない空は、太陽の姿が見えなくてもまぶしい。まぶしくとも、美しい。

 美しい空にまぎれこむ異物に気づいたのは、軽く目を細めたときだった。ふわり、と視界をなにかが横切ってゆく。一見、ただの鳥のようだったが、なにかが違うような気もした。メルトは、飛んでいったものの後を目で追いかける。

 それは確かに鳥だった。しかし、色が妙だった。まばゆい銀色。地上から見ていてもわかるほどのきらめきを持った白銀の色だった。

 それに気づくと同時、メルトは己の肌が粟立つのを感じる。


 あれは生き物の鳥ではない。巫覡シャマンの術で生み出された、力のかたまりだ。巫覡シャマンたちが偵察にもちいるものだが、あれほど自然に飛行させるには相当の技量が必要になる。


 鳥は、何度もメルトの視界を横切った。そこまであからさまな飛び方をされると、メルトも術の鳥の正体に気づかざるを得ない。

「……ようやく動きだしたか、老いた穴熊が」

 言葉とは裏腹に、青年の表情は険しい。

 鳥を消滅させてやろうか、とも考えた。しかし得策ではない。監視の目にこちらが気づいたことをむこうに教えることになる。メルトに勘付かれたと知れば、カダルはすぐさま次の手を打ってくるだろう。そちらの方が面倒な事態に発展する可能性がある。

 ひとまずは様子を見るしかあるまい。カダルが追手を差し向けてくるなら逃げる。それが無理なら相手を叩き潰す。泳がせるつもりなら、しばらくは実害がないから、あえて策にはまるふりをするのも手ではある。

 いずれにしろ、今回の場合、対応は相手の動きを見て考えた方がよい。

 そう決めるとメルトは、何事もなかったかのように、荷車の上で胡坐あぐらをかいた。


 少しすると「小休憩といこうか」というアブの声がして、車が止まった。

 メルトは空を見上げる。鳥の影も銀の光もない。視線を下に落とすと、連れの少女がメルトに向かって手を振っていた。荷車に乗ってこようとしているらしい。それより早く、メルトの方から荷車を降りた。

「お疲れ様!」

「車の上で座ってただけだぞ?」

 喜色に満ちた声を弾けさせる少女に、メルトは苦笑する。それから、軽く彼女の腕をひいた。驚いた顔がメルトを見た。彼は気にすることなく、ささやく。

「俺は荷車の上にいるとき、銀色の鳥を見た。おまえはなにか見たり、感じたりしなかったか?」

「銀色の鳥?……私は特に、なにも感じなかった。銀色の鳥にも、全然気がつかなかったわ。その鳥が、どうかしたの?」

「銀色の鳥は巫覡シャマンの術でつくられるものだ。おそらく、追手が差し向けたものだろう。俺とおまえ、どっちの追手かは、わからんが」

 フェライが小さく息をのみ、幼さの残る美貌がこわばった。ただ、「見つかったの? どうする?」と返す声は装っているとはいえ静かなものだった。メルトは小さくうなずいて、雲一つない青空を指さす。

「ひとまずは相手の出方を見よう。追手が来たときは奴らをくことを最優先に考える。必要であれば戦う」

「そうではなくて、祭司長が私たちに『道案内』させるつもりなら……?」

「追手は来ないだろう。そっちの方が厄介だな。奴に手を出されないように、杖を壊さないといけない。そうなったときの手立ては、今考えているところだ」

「わかった。私も考える」

 胸に拳を軽く当てて、フェライは自信に満ちた笑みを浮かべた。メルトはほほ笑んだが、すぐに微笑を消して荷車を見やる。

「アブたちとは、次の街で別れた方がいいだろう」

「……そうね。追手が来て、戦いに巻き込んでもいけないし」

「まあ、あいつらが本気を出せば、神聖騎士団なんて敵じゃないだろうが」


 アブもチャクもサンディも、そこらの男の何倍も強い。どちらかというと注意したいのは、クルク族をロクサーナ聖教の抗争に巻き込むことになる可能性だった。しかも、うち二人はメルトを伝承の『災いの子』だと思っている。そしてカダルが狙う杖と『災いの子』には間違いなく関連がある。あの老祭司とクルク族の青少年が結びつくとは考えにくいが、それでも接触してほしくなかった。


 これからについて打ちあわせたメルトとフェライは、アブたちに怪しまれる前にと持ち場についた。今度は、フェライが荷車の上だ。荷車に乗る直前、フェライがぽつりと呟く。

「みんなとお別れするのはさびしいけど……でも、これが旅するってことよね」



「えっ? この街で別れる? いいの?」

 黒に限りなく近い茶色の瞳を見開くアブは、大都市の喧騒も忘れて二人に釘づけになっていた。メルトとフェライは同時にうなずく。示し合せていたわけでは、なかった。

「本当にいいのか。方向的には、もうあと街ひとつくらい一緒に行っても問題ないよ」

 言葉をなくしている青年にかわり、サンディが首をかしげる。フェライが「はい」と申し訳なさそうに答えた。

「ちょっと事情が変わっちゃったんです。すみません」

「いや、あたしは構わないけど……まあ、そちらの事情があるならしかたないか」

 頭をかいているサンディの陰から、ガルード氏族ジャーナの少年が顔を出す。彼は案の定、「構わなくない! しかたなくもないだろ!」とうなったが、サンディに頭をはたかれ、アブにやんわりと制止され、とうとう黙りこんだ。

 少年を黙らせたアブが、メルトにほほ笑みかけた。

「そういうことなら、わかったよ。二人にもなにか事情があるんだろう。詮索はしない」

「……いいのか?」

 ガルードの口伝のことを思い出し、メルトは思わず確認してしまった。狙いすましたように「殺されたいのかい」と言われる。答えようのなかったメルトは、目をそらした。青年と娘がくすくすと笑う。

「なに、今回限りのことさ。次に会ったとき、メルトがまだ『災いの子』だったら、今度こそ命をとりにいく」

「承知した。そうなりたくはないが……そうなったら受けて立とう」

 歩んできた道の違う二人の青年は、どちらからともなく拳を合わせる。フェライが、その光景をどこかまぶしげに見ていた。

 これから商売に行くというクルク族三人とは、すぐに別れることにした。

 サンディが荷車に乗りこむ前、二人の方へ戻ってきて、にやりと笑う。

「そうだ、忘れてた。二人にいいこと教えてあげるよ」

 サンディは、やけに楽しそうに二人を手招きした。何事かと顔を近づけた彼らに、そっと耳打ちする。

 短いささやきを聞いたメルトとフェライは、思わず顔を見合わせた。その間にも、サンディは踵を返して歩きだしていた。

「さ、サンディ! いいの?」

「言っただろう。あたしたちくらいの世代になると、そこまで神経質じゃないんだ。ただ、舌噛みそうだったら、覚えてくれなくてもいいからね!」

 裏表のない明るい声でそう言ったアリド氏族ジャーナの娘は、軽やかに荷車の上の人となる。そして、クルク族の荷車は、隊商キャラバンや商人たちが行き交う道に走っていった。メルトとフェライは、しばらく黙って、去ってゆく荷車と神鳥の旗を見送っていた。



     ※



 異言語の飛び交う道で荷車を走らせていると、上から明るい笑い声が降ってくる。

「あんたがメルトさんを見逃すとは、思ってなかったよ」

 からかうような同胞の娘の声に、アブは静かな笑みを返した。

「さっきも言っただろう。今回だけさ」

「それにしたって意外だ。最初はあんなに、口伝や掟にこだわっていたのにさ」

「そうだね。……情が移ったんだろう」

 アブは呟く。それは半ば、己を叱るような口調だった。


『災いの子』を見逃したことについて、チャクはいまだに不満そうにしている。その気持ちもわからなくはない。だが、それ以上にアブは、メルトという一人の人間と、フェライという一人の人間を好きになってしまったのだ。『災いの子』も結局は人間。そう言っていたのは確か父だったが、言葉の意味を短い旅で実感した。

 だが――だからこそ、気をひきしめなくてはならない。

 私情は私情、掟は掟。今回のような甘いことを何度も繰り返すわけにはいかない。氏族の未来のためにも。


「サンディアクスーマ」

 感情を殺した声で、娘の名を呼ぶ。いらえはないが、彼女は確実に、彼を見た。振り返らないまま、アブは続ける。

「もしまた彼と出会って、命を奪わなければならなくなったら……そのときは、止めてくれるなよ」

 短いをあけて「わかったよ」と声が返った。

「せいぜい頑張りな、アブヒーク」

 棘のある一声を肩に受けて、アブは目を伏せる。

 荷車の車輪の音が、やけに耳についた。

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