第36話 騎士たちの企て

 すきとおった青空が広がる。しかし、空の西側には石灰色の雲がかかりはじめていた。

 移ろう空をタネルは見上げる。夜空の色をした瞳からは、感情が読みとりにくい。さりとて、人の心を持たないわけでもない。このときのタネルはとにかく、面倒くさい、と思っていた。


 ざわざわと、湿った風が草木を揺らす。同時、精霊たちが歌いはじめた。どこの精霊も歌が好きだ。彼らにとっての非常事態でない限り、そのことばは独特の歌に乗って伝わってくることがほとんどである。そして――人間にとっての非常事態が、精霊にとっての非常事態とは限らないのだった。


 彼らの歌が風に乗る。風をたどると、また別の力の流れをとらえた。タネルは草を踏んでゆっくりと歩く。歩きながら、流麗な動作で背に手をのばし、そして弓に矢をつがえた。

 弓矢を天に向ける。つかのま目を閉じる。力の出所をつかんだとき、彼は弦を軽く引く。一瞬後に指を離した。矢は、下から上に放たれているとは思えない勢いで、飛ぶ。北から透明な鳥がやってきた。しかし巫覡シャマンによって生み出された鳥は、透明から銀色になる前に、タネルの矢によって存在を消し去られた。

 鳥の消滅を見届けたタネルは、黙って弓を背の筒に戻す。それから黙って踵を返した。矢が痕跡となる心配はない。ただの矢にげきの力などを注いでは、矢に過度な負担がかかる。その矢は、役目を終えた炭と同じくぼろぼろだ。鳥を消すと同時に矢も破裂して、風塵ふうじんと化したことだろう。

「懲りない老人だ」

 タネルは誰にともなく呟いた。その声に、はじめて激しい感情が宿った。あえて言葉の枠にはめるとすれば、それは、いらだちだろうか。


 カダルは、古王国王太子のメルトに逃げられて以降、彼らの足取りを追っているらしい。聖女ギュライは今のところ、ほとんど彼を放置している。彼女やタネルがやることといえば、今のように、彼らの工作を地道に妨害することくらいだ。

 いっそ罷免ひめんしてはいかがか、と、タネルはギュライに提言したことがある。提言は退けられたが、タネルは別に、遺憾いかんの念も怒りの感情も抱かなかった。罷免できないことは、はじめからわかっていたのだ。それができれば、あるじも彼も、メルト殿下も、今こんなに苦労していない。

 古王国の王太子の件は、秘事ひじだ。古代の人間が現在に生きているなどという話が広まれば、無用な混乱を招く。よって、メルト殿下の一件を理由にカダルを罷免することはできない。


 ただ――タネルは最近考えている。フェライをはじめとする、カダルに関わった騎士たちのことは理由になるのではないか、と。管轄かんかつ外の神聖騎士団の騎士たちを不当に利用した、というのは、カダルを糾弾きゅうだんするに足る要素だろう。

 もっとも、タネルの考えが実行に移せるとして、実行に移す時は今ではない。メルト殿下の目的が達成された後だ。それまでは騎士フェライを自由にしてやらねばならないからだ。

「……もっとも彼女は、ここに戻ってくる気はないだろうな」

 立場を捨て、仲間を捨てるだけの覚悟を決めた少女騎士が、今さら古巣に戻ることはないだろう。たとえ、聖女の御意ぎょいと言われても。

 とすると、この案も使えないだろうか。タネルはいささか落胆して息を吐いたあと――遠くを横切る若い騎士に気づき、目を細めた。

 視線の先にいたのは、いまひとりの、カダルの手先とおぼしき騎士だった。



     ※



「えいやー」

 声とともに剣閃がはしり、対面している騎士の肩を打ちすえる。妙な悲鳴をあげてよろめいた彼は、慌てたふうに降参の姿勢をとった。おびえているように見える騎士の表情に気づき、チャウラは自分の頭を布越しに叩いた。

「まーたやりすぎちゃった」

「げえ……チャウラ先輩は相変わらず容赦ねえ」

「先輩、はよしてよねー。立場的には、君たちと同じ見習いだしー」

 チャウラは騎士の手を取って、体勢の立て直しを手伝うと、気の抜けた笑顔を振りまいた。ちょうどそのとき、鍛錬の時間の終わりを告げる、副団長の声が響く。チャウラは騎士に感謝の言葉を述べると、足早に演習場を出た。まずは、剣を武器庫に戻さなければいけない。


 去り際、きびきびと指示を出す副団長を一瞥する。以前は、ハサン団長が様子見がてら指示を出しにきていたのだが、最近は姿を見せない。遠方に騎士を出すことが増えて、忙しくしているためのようだった。

 遠方への任務。その内容は、任務を受けた騎士たち以外には知らされない。しかし、チャウラを含む一部の騎士たちは、言われずとも察していた。――フェライを探しているのだ。


 彼女は脱走者の扱いをされている。騎士団としては、なんとしても彼女を捕らえなくてはいけない。ただ、今のところ、発見の報告はもたらされていないらしい。チャウラは安堵すると同時、友人のことを憂いていた。


 どこにいるのか。ご飯はちゃんと食べているのか。無茶をしていないだろうか。ひとりで大きなことを抱えてはいないだろうか。


 剣をぶらさげるように持ったまま、チャウラは唇をかみしめる。食堂で、デナンから話を聞いて以降、その内容が何度となく頭を巡る。

 思えば、あの頃のフェライはなにかを押し殺しているように見えた。

 それは怒りだっただろうか。悲しみだっただろうか。それとも、決意だっただろうか。


 どうして気づけなかったのだろう。――気づかれないよう振るまっていたからだ。

 どうして話してくれなかったのだろう。――話してはいけないことだからだ。


 事の大きさと異様さを考えれば、フェライの対応は間違っていない。わかっている。わかっているからこそ、考えてしまう。焼けつくような感情を抑えることができない。けれど、感情だけではなにも変えられない。

 変えたければ、自分も腹をくくらなければいけないのだろう。


 武器庫の扉を開けると、先客と出くわした。

「お、チャウラ」

「あっ」

 ルステムだった。彼はそのまま武器庫から出ようとしていたらしいが、すぐに真剣な顔になる。その表情のまま、肩を軽く叩いてきた。そんなに思い詰めた顔をしていただろうか、とチャウラは自分で驚いた。

 ルステムとすれ違い、剣を所定の位置に戻す。そして武器庫を出ると、扉のそばで壁にもたれて、ルステムが待っていた。彼は、チャウラが来ると身を起こし、さりげなく隣に並ぶ。

 どちらからともなく歩きだす。そして、チャウラの方から口を開いた。

「ねえ、なにか進展あった?」

「ん? ああ……団長に会えた」

 まじめなくせして明るくふるまう同僚は、歯がゆそうな表情でそう答える。結果を予想しつつも、チャウラは「どーだった?」と言葉を重ねた。

 ルステムの答えは、案の定だ。

「受け入れてもらえなかったよ。おまえたちはフェライに近すぎる、ってな」

「ううん。そーか。ルスもだめかあ」

 チャウラは唇をとがらせる。

 フェライの追跡が始まった頃から、二人はその追跡部隊に入れてもらえるよう、何度も願い出ている。そして、何度も請願せいがんを退けられている。

 理由はわかりきっていた。先ほどルステムが言ったとおりだ。

 ちなみに、半月前にチャウラも副団長に願い出て玉砕ぎょくさいしたばかりである。

「ま、当たり前だな。フェライに近いがために非情になりきれない。だから任務を遂行できない、と思われているんだろう。最悪、フェライの逃走を手引きするかも、と疑われてるかもしれないな」

「むっふっふ。さすが団長、わかってるぅ」

「……何が、わかってるぅ、だ。そこで開き直んな。そのへんに団長がいたらどうすんだよ」

 ルステムが、半眼になってチャウラを見てきた。しかし、その顔はすぐにこわばった。「団長は今、資料室だ。こんなところにはいない」という声が、背後からしたからだ。

 二人揃って、ぎょっとして振り返る。視線の先にいたのは、修行時代から知っている騎士、つまりデナンだった。

「なんだデナンか。こんにちはーセラーム

 肩の力を抜いたチャウラは、手をあげる。デナンはこたえなかったが、かすかにうなずいた。フェライのことがあったとはいえ、ずいぶんひねくれてしまったものだ。が、今のデナンも悪くはないと、チャウラは思う。

 デナンは、うなずいた後に、ため息をついた。あまりにもあからさまだったからか、ルステムが眉を寄せる。

「なんだよ」

「いや……相変わらず正直だな、と思った」

「はい?」

 二人の声が重なる。デナンは彼らをまともに見た。あきれた、といわんばかりの目つきだった。

「正攻法ばかりでは上手くいかない。特に今回のような場合ではな」

 チャウラは目を丸くする。思わず隣を見ると、ルステムは言葉に詰まったような表情をしていた。デナンはというと、二人の驚きに構うことはない。わずかに顔をしかめて背後をかえりみた。

「フェライに近づきたいなら、使えるものは使った方がいい。――そうでしょう」

 彼が、誰に話しかけているのか、一瞬わからなかった。しかし、白昼の暗がりの中に人が立っているのに気づいた。チャウラは、その姿をまじまじと見て、思わず声を上げそうになる。

「なんだ、カダルの手先はやめたのか」

 なんの感慨もなさそうにそう言ったのは、遠くからしか見たことのない、聖女の従士だった。デナンはいささか緊張した様子で、かぶりを振る。

「あなたとギュライ様には悪いですが、俺は今の立場を貫きます。あなたにとっても、その方が都合がよいのでは?」

「その口ぶりだと、おまえも騎士フェライと同類らしいな。むだに騎士の首をねずに済みそうだ」

「タネル卿。あなたに頼みが……」

「言わずともわかっている。すべて聞いていた。だが、受け入れられるかどうかは、げいのお答えしだいだ」

「……わかりました」

 眼前で、淡々と行われるやり取りを、チャウラとルステムは見ているしかなかった。なにもできない。頭が混乱していて、事態の整理をするだけでせいいっぱいだ。

……なんだか、とんでもないことになってきた。

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