第33話 ガルードの口伝

 木の車輪がかたい地面をこする音を聞きながら、メルトとフェライはしばらく景色をながめていた。しかし、わりえのしない景色にはすぐに飽きてしまった。もう少し北の方を通ればいろいろな花が咲いているのだけれど、と、サンディが残念そうに教えてくれた。

 町を出てよりこっち、人馬とすれ違うこともない。道の上に横たわる静寂を、クルク族の荷車が踏み越えていく形になった。

 メルトは景色に飽きてからも思案にふけっていた。


 ややしてアブが「休憩しよう」と言い出すと、三人は荷車から下りて、チャクは飛び跳ねるようにひらたい大地を駆けまわりはじめた。フェライとサンディは二人で何やら盛り上がっている。そしてメルトは、車のすぐそばに腰を下ろしたアブに話しかけた。――一度断られたことを追及するのは気がひけるが、やはり訊かないわけにはいかなかった。

「アブ。『災いの子』の口伝について、少しでも教えてもらうわけにはいかないか」


 案の定、アブは驚きと困惑の目でメルトを見てきた。非難の色すら、見てとれる。古王国の王太子は、それでも静かに言葉を重ねた。

「実は――俺が『災いの子』と呼ばれることに関して、ひとつだけ心当たりがあるんだ。今、俺たちがこうして旅をしている理由も、その心当たりに関っている」

「……なんだって?」

 反問はんもんする声は、二重だった。アブのものと、チャクのもの。いつの間にか三人ともが寄ってきている。フェライの気づかわしげな視線に気づきつつも、メルトはあえてそちらを見なかった。

「俺の国は、かつてによって滅ぼされた。そのときのことを考えると、俺自身が多少に染まっていても、おかしくはないと思う」

 先のサンディの話を思い出しながら、言葉をつむぐ。

 アブのみならず、その場にいた全員――フェライさえも――が、目をみはった。

「俺たちは、その力の源を探して、壊しにいきたいんだ。もしかしたら、『災いの子』の口伝が、手がかりになるかもしれない。だから、口伝のことを詳しく教えてほしい。無理を承知で、頼む」


 メルトは静かに言いきった。アブは、すぐには答えない。何やら考えこんでいるふうだ。フェライはひたすらに息を詰め、チャクは大きな瞳をきょろきょろ動かして青年たちを見ている。


 果てしないように思われた沈黙を破ったのは、楽しげな娘の一声だった。

「いいんじゃないか、教えてやっても」

 チャクの隣にいるサンディが、温かく笑ってアブを見つめる。思わぬ方からの言葉を受けて、青年はやりにくそうに肩をすくめた。

「サンディ、君はアリド氏族ジャーナだからそう言えるのかもしれないが……」

「なんだ。あんたまでじじいどもみたいなことを言うのか? 伝統や掟を守るのが大切ってのは否定しないけどね、それ以上に大事なものもあるんじゃないの?」

 少し目をすがめたサンディは、芝居しばいがかった手ぶりをつけながら、青年たちの方へ歩み寄る。

「あんたたちに伝わってる『災いの子』がどういう存在かは、あたしも知らない。だが、少なくともメルトさんは、あんたにこうして頼んできている。それだけの誠実さは持っているように見える。しかも多少とはいえ、自分の手の内まで明かした」

 とどめとばかりに、しなやかな褐色の指が、アブを指さした。


「対するあんたが理由をつけてだんまりってのは、不公平じゃないか。アブヒーク」


 本名を突きつけられたアブが、顔をしかめた。メルトやフェライが、アブのこういう表情を見るのは、はじめてのことだった。少しの間、クルク族たちはなにも言わなかった。ややして、アブがため息をつく。クルク族の言葉と思しき、独特の長音がある言葉で、何事かを呟く。サンディが、おもしろそうに応じた。

 彼らの言葉を知らないメルトたちには、その内容はわからなかった。しかし表情からして、ちょっとした軽口の応酬なのだろうとは想像がつく。


 ひとしきりやり取りが済んだところで、アブが再びメルトに目を向けた。

「わかったよ。『災いの子』にまつわる口伝について、知っている限りのことを教えよう」

「……ありがとう」

 メルトが感謝を述べると、それにならってフェライも頭を下げた。二人に対して、アブは「ただし」ときれいなイェルセリア語で釘を刺す。

「このことは、ほかの誰にも口外しないでいただきたい」

「無論だ。天地あめつちの精霊に誓って、約束しよう」

 メルトはアブと目を合わせ、約六百年ぶりに、信仰をもとにした誓いを立てる。ガルード氏族ジャーナの青年はおごそかにそれを受け取った。


 休憩が済み、再び移動をすることになった。荷車の上の面子が変わる。サンディは車をひく側に回って、アブが彼女のいた場所に腰を下ろしていた。移動しながら口伝をメルトたちに話すためだった。


 アブは最初に、クルク族の言葉で静かに語った。歌のような語りが、荷車の跡をなぞって響く。その語りがすべて終わると、彼はペルグ語に切り替えて話しはじめた。


「いつの頃かは誰も知らない、遥か遠い先祖の時代、この地に大きな力を持つ人々がやってきたという。天上の人スヴァル・カ・ディフターとあがめられた彼らは、たびたびこの地に干渉した。やがて、この地に関わるか否か、という方針を巡って、天上の人スヴァル・カ・ディフターの間で争いが起きた」

 語りだした彼の声を、メルトは静かに聴いた。フェライも真剣に聴こうとしているのか、前のめりになっている。


「大きく二つの派に分かれたとされている。この地をあくまで見守るべきとした一派と、自分たちの力で徹底的に管理すべきだとした一派。争いの果てに後者が負けて、彼らは故郷を追われたという。反逆者と呼ばれるようになった彼らがどこへ行ったのかは、伝わっていない。ただ、争いの最中に反逆者の天上の人スヴァル・カ・ディフターが作りだしたふしぎな道具が、この地のあらゆる場所に散らばって、残った。もう一方の天上の人スヴァル・カ・ディフターの一部は、そのふしぎな道具を壊すため、再びこの地に降り立っている、とされている」

 道具、という言葉を拾い、メルトは身をかたくした。考えが先走っているのかもしれない。それでも、意識せずにはいられない。


「反逆者の天上の人スヴァル・カ・ディフターが残した道具は、いずれも、自然の在り方を歪め、人の心を壊すようなものばかりだったという。国の公式の記録に残るようなものもあったらしい。私が別の氏族ジャーナの同胞から伝え聞いたところによると、大昔、アルサークに『掲げるだけで雨をもたらす杖』が持ち込まれたという記録があるそうだ」

 アブはそこで、一度、息を吐いた。

「ふしぎで強大な道具は、それを手にした人々を惑わせ、思いあがらせ、時には破滅に追いやった。道具を手にした者は、道具の力に染まって狂っていく。それだけでなく、もっと直接的に人を傷つける道具や、人の心に入りこむ道具もあるらしいけどね」

 青年の黒に近い茶色の瞳が動く。同じ氏族の、少年を見やったようだった。

「私たちが『災いの子』と呼ぶのは、この、道具の力に染まった者だ。道具を壊すのは天上の人スヴァル・カ・ディフター。けれど彼らは、人にはほとんど干渉しない。人には人が干渉しなければいけない。だから、『災いの子』に出会ったら戦って命を奪え、といわれている」


 強大な力を得た人間を殺すのは、別の強大な力を持った人間でなければならない。ゆえに『地上最強の狩猟民族』であるクルク族の間に、このことが伝えられているのではないか――アブは、そう付け加えた。


 この口伝がそのまま伝わっているのは、ガルード氏族ジャーナだけらしい。おそらくは、彼らがいまだ、昔ながらの生活をほとんど変えないことと、関係しているのだろう。


「とりあえず、私が聞いているのはここまでだよ」と、アブは穏やかに締めくくる。メルトとフェライはそれぞれに、考えこんだ。メルトの脳裏にはやはり、父が執着した杖のことが思い浮かぶ。


 ガルードの口伝に出てきた、自然を歪めて人心を壊すという道具には、あの杖を連想させるところがあった。禍々まがまがしい力で山を吹き飛ばし、オルハン三世を狂わせた杖は、もしかしたらその道具なのだろうか。

 メルトは一度、あの杖に触れている。杖に触れたことで力に染まった可能性もなくはない。それにしても疑問は残る。

 父は少しずつ杖に狂い、その力にのまれて死んだ。

 自分は杖を一度にぎっただけで妙な空間に飛ばされ、先の時代の故郷くにに戻ってきた。

 どうしてこうも違う結果になったのか。どこで道が分かれたのか。父の身に何が起きたのか。自分の身に何が起きているのか。

 手がかりをひとつ得たことで、さらに複雑な迷路へといざなわれてしまった気がする。


 終わりのない思考にふけるメルトの耳に、言葉が届いた。ぽつりと呟くような、アブの言葉だった。

「ロクサーナ聖教が発展するより前には、このあたりにも似たような伝説があったみたいだよ。天上の人スヴァル・カ・ディフターも、地域によって別の呼び方をされていたらしい。探せば資料が見つかるかもしれないけど……まあ、難しいだろうな」

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