第32話 いまどきのクルク族
「で、どうする? 今度こそ俺の命を取りにくるか?」
「チャクはやる気満々のようだけど、町中でやるようなことじゃないよね」
「
メルトは、チャクを一瞥したのち、ため息をついた。
こんな形で彼らと再会するとは思ってもみなかった。相手が挨拶だけして去ってくれるようなら良かったのだが、そうはいかない。三人ともメルトに対して、
「いや、ヒルカニアでまたお会いするとは思っていなかった。まあ、考えてみれば当然かな。あんな場所にいるということは、国境を越えようとしていたということだからね」
愛想のよいアブに、メルトは曖昧にうなずいた。態度は友好的だが、メルトはなぜかアブに心を許す気になれない。今にも襲いかかってきそうなチャクの方が、まだ相手がしやすかった。
「アブ、この人は誰だ? まさか、あんたたちにイェルセリア人の知り合いがいるとは思わなかったんだけど」
「知り合い、というか……」
緑を基調とした長衣と大きな耳飾りを揺らす娘が、アブに好奇の目を向けた。振り向いた青年は苦笑する。それまでの、真意の読めない笑みとは違う困ったふうな表情だ。メルトは、おや、と思って見ていたが、次のアブの言葉に表情をひきしめざるを得なくなった。
「『災いの子』だ。チャクがペルグの国境でちょっかいを出そうとしたんだよ」
「ちょっかいじゃない! しんせいな戦いだ!」
「神聖な戦いは、正面から堂々とするものだよ。それにおまえ、負けていたじゃないか」
突っかかる少年に、アブはあきれ顔を向ける。一方、娘は両目を瞬いた後、食い入るようにメルトを見てきた。彼はとっさに剣をつかみかけたが、寸前で思いとどまった。娘の顔からは、チャクのような敵意もアブのような警戒心も、読みとれなかったからである。
「へえー……『災いの子』か。実在するものなんだな」
彼女はそう呟いてから、視線をそのまま二人の若者に向けた。
「確かにちょっと変な感じはするけど、殺さなきゃいけないほどじゃないんじゃないか? ま、どのみちあたしは、ガルードの口伝になんか興味ないしね」
「サンディ、失礼だぞ!」
「誰に対して失礼だってんだ。おたくらの集落のじじいどもかな。だとしたら失礼上等、あたしは特にガネーシュとガルードのじじいどもが嫌いなんだ」
チャクがすぐさま食ってかかるが、サンディと呼ばれた娘はすぐさま言葉を投げ返す。一言えば十返ってくる、とはこのことだろう。
どうしたものかとメルトが思っていると、背後からメルトを呼ぶ声がした。苦々しく思いながら、メルトは声のした方を見る。店の戸口から、マグナエを巻いたフェライが顔を半分出しているところだった。
「フェライ、無事に買えたか」
「うん。それより……これは何事?」
「国境で出くわしたクルク族と再会したところだ」
とりあえず事実だけを告げると、フェライは目を丸くして、メルトの隣に駆け寄ってくる。それから、クルク族の三人を順繰りにながめた。どうしたらいいのか、彼女も迷っているらしい。
そうこうしているうちに、チャクを黙らせたサンディがメルトに向き直った。
「勝手に騒いで申し訳ない。あたしはアリド
少年とやりあいながら、きちんとメルトたちの方も見ていたらしい。悪戯っぽく笑ったサンディに、フェライは安堵したふうな笑みを向けた。メルトも、彼女の名乗りを聞いてようやく納得する。彼女とチャクたちは、氏族が違うのだ。だから『災いの子』のことも知らず、メルトに敵意を向けてくることもなかった。
ここでようやく、メルトとフェライは三人のクルク族たちにきちんと挨拶をすることができた。もっとも、チャクやアブにとっては、メルトの名前など、どうでもよいかもしれないが。
「で、メルトさんたちはどこへ向かってるの?」
サンディが、イェルセリア語で楽しげに話しかけてきた。彼女はあちこちを放浪しているから、母語やヒルカニア語はもとより、大陸中央地域の言葉はひととおり話せるのだという。
「ここから東北方向へ向かうところだ」
「へえ……」
サンディは、一瞬、なにかを探るような目つきになる。けれども、すぐに元の快活な表情に戻った。
「それなら、途中まであたしたちと方向が一緒だね」
「すると、なんだ。道中ずっと、あの小さな戦士に狙われなきゃならんのか」
「そういうことになっちゃうね。チャクの奴、妙に張り切っているし」
サンディが声を立てて笑う。それから、おもしろい悪戯をひらめいたといわんばかりの表情で、チャクとメルトを交互に見た。
「ああ、なんなら、途中まであたしたちの車に乗ってかない?」
「ええっ」
声を上げたのは、フェライだ。しかしメルトも、少なからず驚いている。さらにガルード
「どうせチャクが付きまとうなら、あんたの目の届くところにいた方が安心できるんじゃないかなあ、と思ってさ」
「安心、かどうかはわからんが……まあ、否定はできない」
「でしょ」
サンディは、指先で銀の耳飾りを揺らす。その顔はどこか得意気だ。
真剣に考えはじめたメルトに、フェライがそっと近寄る。
「ね、ねえメルト。大丈夫なの」
「見たところ、チャク以外は割と話が通じるようだ。今のところ、近くにいても問題はないだろう」
「う、うーん」
「……それに、俺たちは馬も持ってないからな。荷車でもなんでも、運んでもらえるのはありがたい」
フェライは不安をぬぐいきれない様子だったが、移動手段のことを言われると神妙な顔で考えこんだ。一方、サンディの方にはチャクがなんのかのと噛みついているが、彼女はまともに相手をする気がないらしい。
メルトは笑いそうになるのをこらえて、もう一人のクルク族を見やった。
「アブ、といったか。おまえはいいのか?」
「んー、まあ、思うところがないわけではないけど。こちらが損するわけではないし、構わないよ」
ものやわらかにそう言ったアブは、何やら思わしげに、褐色の両手を見つめて呟く。
「それに、クルク族だけだと絡まれたり、逆に避けられたりすることも多くてね。たまには、よその人間と行動してみてもいいのかもしれない、とは思っていたところだった」
「……そうか」
クルク族の三人は、工芸品や狩った動物の毛皮、羽根、角などを売りながらヒルカニア近辺をうろうろしているらしい。同胞たちのもとで暮らさないのかとメルトが尋ねると、「今時、決まった生き方に縛られる必要もないだろう?」とサンディなどは笑ったものである。それにしたって、まだ幼いチャクまで一緒にいるのはふしぎではあったが、本人が楽しそうなので誰もなにも言わなかった。
メルトとフェライは、かつて遠目から見た荷車に案内される。荷車の上に「商品」は少ない。クルク族の若者たちが、すでにマーレラーフでの商売を終えたであろうことがうかがえた。
メルトとフェライ、それにサンディが荷車に乗りこんでしまうと、アブとチャクが御者のように荷車をひきはじめる。重い音を立てて動きはじめる荷車の上で、フェライが縮こまった。
「えっと……なんだかすごく、申し訳ないんですけど……」
「ん? 何が」
フェライに話しかけられたサンディが、首をかしげた。
「アブさんとチャクくんにだけ、働いてもらっているような気がして」
「あー、気にしなくて大丈夫だよ。あの二人、体力有り余ってるから。それに、チャクはあんたたちに迷惑をかけたみたいだしね」
からからと笑いながら、サンディはガルード
メルトは、三人のやりとりを静かにながめていたが、それが終わると、慎重に口を開いた。
「ところで、サンディ」
「なんだ?」
「ずっと確かめたかったんだが……『チャク』というのは
すると、これまで
「もしかしてチャクの奴、あんたにちょっかい出したとき、もう少し長い名前を名乗ったの?」
「ああ。一応、クルク族の通り名のことは知っていたから、もしかしてと思ってな」
「――馬鹿だなあ、本当」
サンディが頭を抱える。メルトにとっては、それが肯定となった。少年は真剣にメルトとの戦いを「神聖な戦い」だと思っていたのだろう。そう考えると適当にあしらってしまったのが申し訳なく感じられるが、あのときは彼に付き合っているひまがなかったのも確かだ。
荷車を微妙な空気が取り巻く。その中でひとり、フェライだけが首をひねっていた。
「通り名?」
「クルク族がふだん使っている名前のことだ。たいていは本名を短くしたものだな」
「ってことは、『サンディ』さんというのも……」
目を丸めたフェライがサンディを見やる。気さくな娘はにやりと笑って「そうだよ」と、応じた。
「クルク族では、本当の名前というのは特別なものだと考えられている。神聖なものであると同時に、悪いものに本名を知られると呪われるともいわれていてね。だからふだんは、本名を縮めた『通り名』を使っているんだよ。本名を使うのは、生まれたとき、成人の儀、結婚式、『神聖な決闘』の前、それと葬式の時さ」
流れるように説明したサンディは、右手の親指と人さし指で、耳飾りを揺らす。感心した様子のフェライが、やや身を乗り出した。
「ということは、サンディさんの本名も、軽々しく教えられるものではない、ということですか」
「そうそう。と言いたいことだけど、あたしたちくらいの世代になると、そこまで神経質じゃないんだ。民族問わず、仲良くなった相手に、こっそり本名を教える奴もいる。あとは……」
いったん言葉を切ったサンディはそこで、意地の悪い笑みをひらめかせた。
「本名で呼ばれると、あたしたちは自然と緊張しちまう。だから、大事な話の前に子どもを本名で呼ぶ母親もいるよ」
「……とはいえ、さすがに、『災いの子』相手に本名さらすのは、馬鹿としか言いようがないけどね」
サンディの解説にかぶせるように、ため息まじりの声がする。三人が声のした方を見やると、アブがチャクことチャコルの耳をつまんでひっぱっているところであった。
雲ひとつない青空に、少年の「痛いって! 離せアブ!」という絶叫が響き渡った。
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