第30話 騎士たちの憂鬱

「今、巫覡シャマンたちにメルト殿下を探させている」

 ひび割れた声は、灯火のすぐそばに落ちて、どろりと闇の中に溶けこんだ。穏やかな声にはけれど、わずかないらだちが感じられる。それが誰に向けられたものなのかはっきりとはしないが、おそらく自分はいらだちを向けられている一人だろうと、デナンは思っていた。ゆえにこそなにも言わず、机の前を行ったり来たりする老人を見ている。

「二人の居所がつかめたら、君に捜索してもらうこともあるかもしれない。ああ、騎士団にはうまく言っておくから心配はいらんよ」

 老人、つまりカダルはデナンを横目で見た。デナンが「承知しました」と答えて礼をすると、彼はそれで満足したようである。「わざわざ呼び出してすまなかったね。さあ、職務に戻りなさい」と、さも寛容そうに言って退室をうながしてきた。


 大礼拝堂の小部屋を辞したデナンは、無言で足を進めた。騎士団本部の敷地に入って、ようやく重いため息をこぼす。

「何をやっているんだろうな、俺は」

 祭司長のもとと騎士団を行き来するようになって、どれほど経っただろう。ふとそんなことを考えて、けれどすぐに考えるのをやめた。何度も繰り返したことだった。


『騎士団の聖女』は、神聖騎士団に媚を売り、本来の務めを放棄している――ある祭司に突然そう言われたのは、おそらく、フェライが鍛錬や武器を携帯する任務に参加しなくなってふた月ほど経った頃だった。薬箱、などと彼女に対する陰口が叩かれるようになった頃でもある。彼女が騎士の仕事をほとんどしなくなったことは事実だったが、今考えるとずいぶん大げさな言葉だ。けれども、フェライが聖女と同じ力を発現したことに驚いていたデナンの心に、祭司の言葉はすんなりと入ってきた。その後、彼女を騎士に戻す手伝いをしてやれるかもしれない、と言ったカダルにデナンはまんまと釣られた。そのおかしさに気づいたのは、久しぶりにフェライを間近で見る、その少し前。イェルセリア古王国の王太子のことを知らされたときだった。


 結局、カダルは己の野望のために動いているだけだ。青臭い騎士たちのことなど、都合のいい道具かそれ以下にしか見ていない。そして、彼の言葉に踊らされたデナンの方こそ、本来の務めを放棄していると非難されるべきだろう。


『何が治癒の力よ。私だって――私だってそんなもの、欲しくなかった!』


 冬の夜をつらぬいた、少女の慟哭どうこくが耳の奥によみがえる。苦い記憶は何日経っても、若い騎士の心をかき乱し続けた。

「俺は結局――名ばかりの騎士の女に、負けたんだよな」

 呟いたデナンは、己を笑ってやろうとした。しかし、うまくいかなかった。笑みのかわりに険しい表情を貼りつけ、笑声のかわりに息を吐き出して、騎士団本部へ入ってゆく。

 胸におこった決意の火に、彼自身気づかぬまま、まっすぐに宿舎を目指していた。



 ルステムはここ数か月、思考と体が分離してしまったような心地で日々を過ごしていた。おそらく、同僚のチャウラも同じだろう。食事の時に、ぼうっと壁や天井をながめていることが、よくあるから。


 フェライの失踪という一事が、彼らを静かに狂わせている。


 どうしてフェライが姿を消したのか、いったいどこへ行ったのか、いまだにわかっていない。確かなのは、昨年末のさる夜に本部を出て以降、戻ってこないということだけだ。「薬箱」扱いに耐えかねて逃亡したのだろう、と騎士たちの間ではまことしやかにささやかれている。


 ルステムたちは、そうは思っていなかった。『騎士団の聖女くすりばこ』という扱いに不満があったことは確かだろう。だが、それを理由にここで築いたものをすべて放り出して行ってしまうような子ではなかった。ほかになにか理由があるはずだ。彼女が騎士団を飛び出すほどの、大きな理由が。


 仕事のことと二人の同僚のことを代わる代わる考えていたルステムが、いま一人の同僚とすれ違ったのは、巡回任務から戻ったときのことだった。特になにか言葉を交わしたわけでもなく、ただすれ違っただけである。ルステムはしかし、彼の姿が見えなくなったところで、違和感を覚えた。なんとなく剣帯を触ると、ざらりとしたものが指先に触れる。――紙だ。見てみるとそれは、偉い人が報告書や書簡に使うような獣皮紙の切れ端だった。

 ルステムは少し考えて、紙を懐にしまうと、なにもなかったふうに騎士たちと言葉を交わす。ひとけのない列柱廊に出たところで、紙を再び取り出した。

 紙にはそれこそ切れ端のような言葉が、脈絡もなく並べられているようだった。筆跡は間違いなくデナンのものだが、発言も文章も理路整然としている彼が書いたとは思えない。

 ふしぎに思いながらも、ルステムは書かれた言葉の一つひとつをめつすがめつ見ていた。その中に、姿を消した同僚の名前を見いだして息をのむ。

「どういう、ことだ?」

 漠然と心に浮かんだことを口に出し、そしてもう一度文字を追っているうち、ルステムは指先が冷えてゆくのを感じていた。気温のせいではない。今は春先、それも昼間だ。


 列柱廊に足音が響く。ルステム以外の誰かのものだ。ルステムは慌てて紙を懐に押しこむと、心の内を人に悟られないよう、つとめて穏やかに歩く。むろん、内心は穏やかどころか大荒れだった。


 どうしてデナンがそんなことを知っているのか、なぜ今になって知らせてきたのか。意味のない問いが、頭の中でぐるぐると躍る。今、考えていても意味がないことは、わかっていた。直接デナンに尋ねなければどうしようもない。それでも、考えることをやめられなかった。


 その夜、夕方の祈りの時間も終わると、ルステムはいつもよりじゃっかん早く、食堂にやってきた。まだ人はまばらだが、同期の騎士の中でもすばやいチャウラは、すでに食堂にいた。彼女は、フェライが施しで忙しいときに夕食を確保するのを自分の使命と心得ていた。その習慣がまだ残っているらしい。

 チャウラは、ルステムの姿を見いだすと、紫色の布を巻いた頭を傾けた。

「あれー? ルス、今日は早いね」

「ああ、うん。ちょっとな」

 笑みをつくって言ったルステムは、それからチャウラに近寄り、なるべく声を落としてささやきかける。

「な、チャウラ。今日、一緒に飯食いたいっていう奴がいるんだけど。構わないか?」

「え? 誰だれ?」

 チャウラはふしぎそうにまばたきした。声色は陽気で、少なくとも真っ向から反対する気はないらしい。ルステムは明確には答えず、ただこう付けくわえた。

「俺はそいつに訊きたいことがあるから――色々思うところはあっても、突っかからないでくれると嬉しい」

 チャウラの頭の傾きが、ますます急になった。名前をはっきり告げるかどうするか――ルステムが逡巡しゅんじゅんしているところに、彼の名を呼ぶ声があった。チャウラが、ぎょっと目をみはって、振り返る。

 ルステムも、後からゆっくり振り向いた。

「……よ、デナン」

 返答はなかったが、彼は顎を動かした。少し目が泳いでいる。

「『詳しい話は食堂で』ってことで、よかったんだよな」

「ああ……」

「俺も、詳しく訊きたかったんだ」

 それだけ言ってルステムは、自分の食事を取りにいく。ついでに娘の肩を叩くと、二人の男を交互に見ていた彼女は、慌ててルステムの後を追う。デナンがそれに、従士のように続いた。


 取るものを取って、誰からともなく食堂の端に座った。祈りを済ませ、食事に手をつけはじめてすぐ、ルステムは獣皮紙をチャウラに渡した。文字の羅列に少女は顔をしかめたが、はしばみ色の瞳はすぐに、驚愕と疑問に塗りこめられる。

「え……ルス、デナン、これどういうこと?」

「俺も知りたいんだよ」

 ため息まじりに呟いたルステムは、そのままデナンを見やる。四つの視線を受けたデナンは、シミット(ごまをまぶした麺麭パン)を食べながらそれを受けとめる。

「おまえとフェライは、いったい何に巻きこまれてるんだ?」

 ルステムが訊くと、デナンはシミットを一度置いて、二人を見た。

「俺は自分の意志で飛びこんだ。巻きこまれたのはフェライの方だ」

 ルステムとチャウラは、黙りこむ。その間に「先に結論から言うぞ」と切り出して――つかのま昔に戻ったかのように、熱のこもった声で続けた。

「フェライは、祭司長が隠していたある人物と接触した。そしておそらく、その人物を連れ出すために、自分も騎士団を出奔した」

 彼の声は、二人の同僚に衝撃をもたらした後、食堂の喧騒にのみこまれた。

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