第29話 災いの子

「……災いの子?」

 メルトは、耳慣れない言葉をペルグ語で反芻はんすうした。なんのことだか、知るはずもない。けれど、よくない意味をはらんだ単語であるということは嫌でもわかる。

 少年はこたえない。踏み込む機をうかがっているのだろうか。黒に限りなく近い茶色の瞳は、爛々らんらんと光っている。獲物を狙う肉食動物のそれだった。彼と向きあうメルトは、口の端を持ち上げる。心からのものでない笑みが、少年にどう見えているのかはわからない。が、この手の演技は過剰なくらいがちょうどよい。

「俺も今まで色々な呼ばれ方をしてきたが、その言葉ははじめて聞くな」

 少年が、あからさまに眉根を寄せる。メルトは剣に手をかけたまま、しかし鞘からは抜かずに相手を見た。

「『災いの子』、それに口伝といったか。いったいなんのことだ? ガルード氏族ジャーナだけの教えか」

「おまえに教えるつもりはない。おとなしく刃にかかれ」

「そう言われて、はいわかりましたと応じる奴がいるか?」

 メルトはため息をついた。少年が眉を動かし、それでもまだ飛びかかってはこなかった。メルトに向かって突きつけていた剣を下ろし、堂々と胸を張る。

「戦え、『災いの子』。正々堂々戦って、おまえのいのちをもらう。そういう決まりだ」

「そちらの決まりとやらに、巻きこまないでいただきたいものだが」

 低い声でさりげなく奏でられた抗議を、少年は無視した。

「おれも、半人前とはいえ、だ。だから、決まりは守る」

「最初に奇襲をかけるのも、決まりか?」

「あれは……違う。けど、ころす気じゃなかったから、いいんだ」

「言ってることが支離滅裂だぞ」

 たまらずメルトが指摘すると、少年はけんをむき出しにして何事か叫んだ。クルク族の言葉だろうが、それをひもとく前に、再びつたないペルグ語が飛んできた。

「さあ、名乗れ、そして剣を抜け」


「参ったな」とメルトは思わずうめいた。さっさと国境の様子を見て、フェライと合流しなくてはならないというのに、とんだ面倒事に巻きこまれたものである。相手がただの「武人」であればどうとでもあしらえるが、眼前の少年はクルク族――「地上最強の狩猟民族」だ。そう簡単にあしらえぬし、逃がしてももらえないだろう。

 少年の気が済むまで、そしてこちらが死なないように、相手をするしかなさそうだ。それに、彼が先ほどから口にしている災いの子という言葉も気にかかる。


 いったん決めると、メルトも思考を戦時のものに切り替えた。名乗って、剣を抜けと少年は言う。見たところ、それがクルク族の流儀なのだろう。己の素性をさらしてから戦いにのぞむいさぎよさは嫌いではないし、そういう形式は古王国の時代にも存在した。こちらが応じぬ理由はない。

 メルトが流れるような動作で古王国式の礼をとると、少年は瞠目した。

「俺はメルト。今はそれしか名を持たぬ旅人だ」

 幼少期から仕込まれた作法というのは、何十年、何百年経っても忘れないものらしい。名乗る声によどみがないのを己の耳で聞きながら、メルトは密かに苦笑する。

 だが、感慨に浸っていられるのもそこまでだった。形式を終え、場にしびれるような熱気と闘気が満ちていく。メルトもとうとう、確かめるように剣を抜いた。ここまでくれば、なんとかして小さな戦士を黙らせるしかなかった。


 少年が、また知らない言葉でなにかを叫ぶ。同時にメルトは半歩踏み込み、剣を構えていた。一瞬さえも終わらぬうちに、強い力が叩きつけられ、高い音が響く。先ほどまで遠くにいたはずの少年が今は眼前にいて、刃ごしにメルトをにらんでいた。改めて見ると瞳が大きく、彼の顔立ち人形のようですらある。が、人形にはない生命力の炎が目の中で燃えていた。


 刃がかみ合って互いを強く弾いた。勢いよく飛びすさった少年をメルトは注視する。まだ子どもということもあってか、少年の腕力は思っていたほど強くない。しかし、その瞬発力と闘志の強さには、さすがのメルトも舌を巻いた。二、三年後に同じ形で出会っていたら、本当にメルトの命が危うかったかもしれない。


 再び少年が剣を構えて飛びこんでくる。メルトはその瞬間を冷静に見て、わずかに姿勢を低くした。クルク族のつるぎが振り上げられて風を切り裂く。打ちおろされるそのとき、メルトは己の剣を一文字にして相手のそれを受けた。耳障りな音が弾け、右腕にしびれが走る。しかし同時に、少年自身もひるんだのか動きがにぶった。彼の足取りがわずかにおぼつかなくなったそこで、メルトは大きく踏み込んで、空気をすくいあげるように剣を振るい、少年の手首を打つ。

「わっ」

 声が上がるのと、少年の剣が宙を舞うのとは、ほぼ同時だった。彼が唖然としている間に、メルトはその剣を左手でつかんだ。

 ようやく、静寂が戻る。驚きと、戸惑いと、おそらくは信じられないという思いで目を白黒させている少年を、古王国の王太子はただ見すえた。

「さて、まだ続けるか。ガルードの小さな戦士よ」


 クルク族は甘くない。彼らは得物を失ったくらいでは退かない。もともと、狩猟を生業なりわいとしてきた人々だ。一度獲物の命を頂くと決めれば、そこらの石を投げてでも戦い続ける。なんなら徒手空拳としゅくうけんでも一向に構わぬ。そういう民族だ。わかっていて問いかけるのは、相手がまだ年端としはもいかぬ少年だからだった。戦争でもないのに子どもを傷つけるのは気が引ける。少年自身もどこか冷徹になりきれないところがあるようだ。

 その証拠に少年は、すぐには応じることができずに戸惑っていた。だが、メルトが思っていたよりは早く気を取り直し、「あたりまえだ!」と叫んで身構える。長期戦になりそうだ。メルトが肩をすくめたそのとき――救いの手は、思わぬ方向から差し伸べられた。


「こら、! 何をしているんだ」


 褐色の大きな手が、いきなり少年の後ろからのびてきて、猫の子を持つように首根っこをつかんだ。チャク、と呼ばれた少年が、ぐえっ、と苦しげな声を上げる。彼はつかまれたまま、背後の人物に向かって抗議した。

「アブ、離せ!」

「旅の方にいきなり襲いかかるような奴を、野放しにできるか」

 少年を咎める声はけれど、隠しきれない愛情をもって響く。


 チャクの首根っこをつかんだのは、背の高いクルク族の青年であった。チャクとよく似た衣装をまとい、腰に帯を巻いてはばの広いの剣を差している。首飾りは着けていない代わりに大ぶりな耳飾りと銀の腕輪をつけていて、そのどちらもに神鳥や天空を連想させる装飾が施されている。


 青年、アブは腰に手を当ててチャクを見おろした後、その目をメルトに向けた。

「私の連れが迷惑をかけたようだ。申し訳ない」

 穏やかな声が、流暢りゅうちょうなペルグ語で語りかけてくる。メルトは内心の驚きをおもてに出さず、「いや、気にしなくていい」と応じた。ついでにチャクの剣をアブに返すと、彼はまた申し訳なさそうに苦笑した。

「ほら、チャクもお礼と謝罪をきちんとしなさい」

「どうして謝るんだ。あいつは『災いの子』なんだぞ!」

「うん、。けど、それとこれとは話が別だろう」

 メルトは、目をすがめた。アブというらしい青年が少年の言葉を肯定したということは、彼もメルトを災いの子とやらだともくしているらしい。アブの言葉は優しい声にくるまれていたが、その真意を見逃せるほど、メルトはすなおな気質ではない。

「その、『災いの子』というのは、いったいなんなんだ」

 慎重に問うと、四つの黒眼がメルトを見る。チャクが口を開こうとしていたが、その前にアブがゆるくかぶりを振った。

「それをあなたに教えることはできないんだ。『災いの子』の口伝を共有してよいのは同胞だけだと、決まっているのでね」

「と言われてもな……。俺が当人だというのなら、知る権利があるはずだろう」

「あなたの主張はごもっともだ。しかし、私たちには私たちの掟がある」


 青年からは敵意を感じない。優しい笑みも崩れない。だが――いや、だからこそ、厄介な相手だ。メルトは苦々しく思いながらも、それ以上追及することができなかった。アブが「では、失礼」と言って、チャクを引きずったまま歩き去ってしまったからである。少年はクルク族の言葉で何事かまくし立てていたが、それもやがて小さくなり、最後には聞こえなくなってしまった。


 メルトは今度こそ、心の底からため息をついた。心地の悪さと謎だけが残った。あの二人を追いかけてでも問うべきかと一瞬考えたが、すぐに考えを改めた。フェライを待たせている。今は国境をうかがうのが先だ。しかたがない、と毒づきながら、メルトは予定どおりの道を静かに歩いていった。



 国境には、警備の者らしき歩兵が立っていた。しかし彼らは、行き交う者らに長々と質問をするでもなく、怖い顔で威嚇するでもなく、事務的な口調と態度で彼らの往来をうながしているだけであった。時折身分証明を求められている人々もいたが、必ずではない。現在のところ隣国と事を構えるつもりはないのか――あるいは、事を――警備はメルトが眉をひそめるほどに雑だった。自分たちにとってはありがたいことだが、それでペルグ王国は大丈夫なのかと心配にもなる。


 それはさておき、メルトは国境で見たものをフェライに報告しなくてはいけなかった。フェライのもとへ戻ると、案の定、ひどく心配されてしまった。必要な情報を伝えた後、国境へ行く前に起きたことを説明すると、少女は青い瞳がこぼれ落ちそうなくらい、目を見開いた。

「そのクルク族って、荷車の人たちかしら」

「そうだろうな。まったく、妙なことになった」

 メルトが頭をかいている横で、フェライは口もとに手を当てて、何やら神妙に考えこむ。

「『災いの子』……いったい何かしら。教典にそんな記述はなかったし……」

「ああ。ロクサーナ聖教とは関係ないだろうな」

 メルトはうなずき、おさえた声でフェライを呼んだ。

「俺にはひとつだけ、心当たりがあるんだが」

 そう切り出すと、少女は一瞬きょとんとした。しかし、すぐに勘付いたのか、息をのむ。

 メルトが「災い」から連想する、聖教と関わりのないもの。それは、ひとつしかない。

「古王国を破壊した、杖……?」

 フェライが、うすら寒そうな表情でささやく。メルトは相槌すら打たなかった。しかし、沈黙こそが何よりの肯定だった。

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