第28話 神鳥の旗
金属同士がぶつかり合う澄んだ音が、木々の合間を縫って響く。音を聞きつけた鳥たちが、一斉に飛び立って、群となり
音のもとにいる二人、つまりメルトとフェライは、鳥の行方を気にしてはいなかった。剣を手に向かいあい、そしてまた刃を打ちあわせる。剣を交えた数は、すでに二十合に及ぼうとしていた。一向に終わらないかに見えた戦いが、けれど唐突に動く。
フェライが繰り出した突きをかわしたメルトが、張り出した木の根につまずいてよろめく。その隙に、フェライが大きく踏み込んだ。だが、メルトはフェライが間合いに飛びこんできたところで、何事もなかったかのように体勢を直し、フェライの喉もとに剣先を突きつけたのである。
つかのまの静寂の後、フェライが深く息を吐いた。
「……参りました」
剣をそらし、そして鞘に収めたメルトは、落ち込んでいる生徒を見おろしてあわく笑った。
「だいぶいい動きになってるぞ。後は思いきりと……引っかけに乗らないよう気をつけることだ」
「今のはずるい」
「実戦にずるも卑怯もないからな」
「ううー」
フェライはなにか言いたそうにしつつも、自分の剣を鞘に収める。メルトは彼女の手をひいて、木の根を踏み越え、野営地を目指した。ふくれっ面をしつつも楽しそうな連れあいの足音を背後に聞きながら、彼自身も口もとをほころばせている。
一時中断していたフェライの剣の稽古は、旅の合間の息抜きという形で再開していた。お互いが願っていた実戦形式での稽古が実現して、メルトはもとよりフェライがここ三か月、ことにご機嫌である。
「そろそろ実戦に出てもいいくらいにはなってきてるな」
出立の準備をしながらメルトがそう呟くと、フェライは「本当?」と目を輝かせる。しかし、すぐに眉根を寄せた。
「でも、メルトもどんどん強くなってきてる気がするわ」
「俺の場合、勘が戻ってきた、という方が正しいだろうな」
「くっ、下地と経験の差か……!」
少女は焚火の跡を消しながら、それに不満をぶつけるように呟く。
手早く、そしてぬかりなく、即席の野営地を引き払った二人は街道をゆく。ペルグ王国とヒルカニア王国の国境ともなれば、人の往来は盛んなはずだが、今日はふしぎなほどにひとけがない。のどかというより
「妙だな」
メルトがひとりごつと、隣でフェライがうなずいた。二人とも現在の情勢に詳しいわけではない。が、このひとけのなさが異常だということくらいはわかる。
ここへ来るまで、東部国境でなにかが起きているという話は聞かなかった。いったいどうしたことだろう。二人は首をひねっていたが、ややしてメルトの方が、流れてくる音と尋常でない気配を察した。
「フェライ、いつでも剣を抜けるようにしておけ。ただし警戒しすぎないように」
「え? どういうこと?」
フェライが疑問を呈すのも、当然のことだ。それでも、彼女は最終的にメルトの言うとおりにした。経験者に従っておいて損はない、というところである。
ほどなくして、メルトが聞いた音にフェライも気づいたようだった。気づけるほどに近づいていた。岩と土を削るような、重い車輪の音である。馬や獣の足音はない。車は、人力でひかれているようだった。視線をめぐらせたメルトは、広い街道の端を進む荷車と人の一団を見つける。
「……あれか」
「商人かしら」
「どうだろうな」
メルトは肯定も否定もしなかった。事実どちらともいえない。遠くからでもわかる、荷車の先端でひるがえる旗が気にかかった。
「もう少しだけ近づいてみるか」
「気づかれて、面倒なことになりそうだけど……」
「心配いらない。俺たちは旅人、むこうだって似たようなものだろう。偶然出会ったところで、なんら問題にはならないさ」
奇妙にずぶとい王子様は、笑って言うと、足を進める。フェライが苦笑していたことには気づいていたが、なにも言わなかった。
さりげない足取りで荷車との距離を詰めたメルトは、ふいに顔をしかめて足を止める。早くも、荷車を伴って歩く人々の正体がわかったからである。
「メルト?」追いついてきたフェライが、
「……これ以上は近づかない方がよさそうだ」
メルトは、荷車の方をにらんだままそう言うと、「あれを見ろ」と旗を指さした。
旗は小さなもので、材質は二人のところからでは判然としない。ただ、色は黒に近い茶色だった。暗い色の布地に、明るい色の、鳥をかたどった紋章が描かれている。
「……鳥?」
「神鳥、と呼ばれている。精霊信仰が盛んだった頃は、精霊たちが集まって鳥の形をなしたのだとか、精霊の声を伝える使いだったとか、そういう伝説が信じられていた」
フェライが相槌を打つ。その声には困惑の響きがあった。メルトは構わず、言葉を継いだ。
「奴ら、ガルード
「
フェライが、思わず、といったふうに叫んだ。叫んだ後に慌てて口を両手で覆う。荷車と人々の動きに、乱れはなかった。声に気づかなかったのか、気づかぬふりをしているのか。
それゆえ、メルトはフェライを咎めなかった。彼女の困惑も無理はないと思うからでもある。クルク族は、大型の獣すら身一つで殺せるといわれるほど高い身体能力を持つ狩猟民族だ。かつては放浪しながら生活をしていたが、今ごろは氏族ごとに集落を作っていることが多いらしい。
その中で、数少ない例外がガルード
「荷車が必要なほど、荷物が多いとも思えんしな」
「だとしたら、あの人たちはなんなのかしら」
「俺にもわからない。クルク族なのは確かだろうが」
メルトはまた、風にはためく神鳥の旗を見やる。彼らはメルトたちのことなど一顧だにせず、東へと車を進めていた。
ここで考えていても答えは出ないだろう。そう結論づけ、メルトとフェライも国境方面へ向かうことにした。荷車の一団と向かう方角が同じなことは気になったが、下手に刺激しなければ、クルク族相手に揉め事を起こすことにはならないはずだ。
そうメルトは踏んでいたし、フェライもその意見に同意していた。
しかし――やはりというべきか。想定外の事態は、どこで待ちうけているかわからないものであった。
「想定外の事態」に出くわしたのは、港町ラディオキアをのぞむ道でのことである。ラディオキアはその名からわかるとおり、デミトリオス朝に入ってから建設された都市だ。今回、メルトとフェライはこの港町に用事はないので、素通りした。そして、ひとまず国境の様子を確かめるためにメルトが少しばかり先行することにしたのだ。
フェライと別れて、メルトはひとり道を行く。やはり、ひとけがない。ひょっとして先ほどのガルード
誰にも見られずヒルカニアに入ることもできるかもしれない。メルトがそんなことを思ったとき――うなじに、そして背全体に、冷たい感覚が走った。
メルトの反応は速い。すぐさま横に二歩分跳んで、身をひねって剣の柄に手をかけた。それでも、彼の鼻先を、破壊力をまとったなにかが通りすぎる。あまりに俊敏で強烈な一撃に、さすがの彼が戦慄した。
「よく避けたな、ほめてやる。だが、次はそうはいかないぞ」
ややぎこちないペルグ語が、前方から聞こえてくる。姿は見えない。さらに、その声は幼い男子のものだった。純粋な驚きを本能の警告で圧されたメルトは、こめかみのあたりから冷や汗がつたうのを感じながらも、前を見すえる。
「何者だ」
「おまえに名乗る名はない、と言いたいところだが……。礼儀をつくすのが、ぶじんというものだからな」
やたら尊大に言いきった声の主が、姿を現す――背の高い岩の上から抜き身の剣を持ったまま飛びおりるという、荒業を見せつけて。
メルトの眼前に現れたのは、やはり少年であった。黒い髪、褐色の肌。黒に限りなく近い茶色の瞳は大きい。体に巻きつけた長い布の下から、亜麻色の
メルトはきわめて冷静に、少年の素性を看破した。少年はメルトを親の仇とばかりににらみつけると、手にしている剣をまっすぐに突きつけてきた。
「ガルード
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