第二幕 見えざる神に触れる旅
第27話 東西の境にて
乾き切り、茶色い土をむき出しにする大地の上にさらなる陽光が照りつける。この日は風もなく、天も地も灼熱の中で沈黙していた。それでも一見荒野と言っても差し支えない地に、わずかながら生命の色が見いだせるのは、定期的にまとまって降る慈雨のおかげだった。ペルグ王国東部国境、オザルプの町の南の野である。
ペルグ王国は現在、デミトリオス
そんなデミトリオス朝ペルグ王国の貴重な領土の静寂を、突如として馬蹄の響きが打ち破った。南方からオザルプを目指して駆ける、騎馬の一団である。その集団は十騎あまり、王国軍の騎馬隊にしては少なすぎる。実際彼らは、国に属していない傭兵の集団だった。ちょうどひと仕事が終わり、これから拠点としていたオザルプに戻ろうというところである。
騎馬の集団の中心あたりで、
「なあ、あんた」
少しためらってから若者が声をかけると、青年は視線を彼の方へ向けた。意識を乱されても、
「集団での仕事は、はじめてだったんだろ? どうだった?」
「ああ……」青年は、答えているのかいないのかわからない声を上げたあと、目を瞬いた。
「
「そ、そうか。……意外と経験豊富だったりして?」
「ヒルカニアあたりで行われた戦争に、参加したことはある」
「へえ、そりゃすげえ」
顔を輝かせる若者を、青年――メルトはそこではじめて見やり、苦笑した。もちろん傭兵の若者は、彼の表情とその意味に気づいてはいなかった。
ほどなくしてメルトを含めた傭兵の集団は、オザルプに入った。メルト自身はそこで彼らと別れ、単身町の端の宿屋へ向かう。考えごとを巡らせながら歩いていた彼はしかし、宿のやや手前で足を止めた。目的の宿の入口近くに、一人の女性が立っている。まだ娘と呼んで差し支えない年頃の彼女は、光を浴びた小麦の色をした長髪をさらし、粗末な旅衣をまとっていた。
「わざわざそこで待っていたのか」
彼がやや大きめの声で語りかけると、娘は北の草原のごとき翠の瞳を輝かせた。メルトの名を呼び、小走りで彼の前まで来てから胸を張る。
「予定通りなら今日戻ってくるって聞いてたから。予定通りだったね」
「いくらなんでも、こんな暑い中で待っていなくてもよかっただろうに」
「狭い部屋でじっとしていられる
「相変わらずだな」
彼女――フェライの謎の自信に満ちた発言に、メルトは再び苦い微笑を浮かべた。
じっとしていられない性分の娘を連れて、メルトは一度部屋へ戻った。荷づくり――といっても、持ち物はわずかなのですぐに終わる――を済ませて、宿の主人に追加料金を銀貨で払った。そして彼らは、連れだってオザルプの町に出る。
建物という建物に色とりどりの布がかかっていて、じっと行き交う人々を見下ろしている。ペルグ語の飛び交う通りは、西の海辺から来た支配者などいないかのようであったが、大きな建築物の端々には、彼らがもたらした建築技術が取り入れられ、彼らの信じる
怪しまれない程度にそれらを観察していたメルトは、フェライに呼びかけられて観察を中断した。瞳をきらきら輝かせる娘の質問に一つひとつ応じたメルトは、話の終わりに彼女が唇をとがらせるのを見て肩をすくめた。こういうときに続く言葉は、決まっている。
「傭兵の仕事かあ。私も参加してみたいなあ」
「俺とおまえ二人での仕事ならともかく、集団戦闘となると厳しいな。女が剣を持つことに、眉をひそめる連中も多い」
「外に出てもこれなのね……。聖女って言われないだけましかもしれないけれど」
フェライがため息をこぼし、旅衣の
「今日も後で稽古つけてやるから、もうしばらくは我慢してくれ」
「わかりました。私もまずは、基礎を固めないといけないしね」
フェライは元気よくうなずいた。屈託しない彼女の姿勢に、メルトは何度も救われている。
メルトとフェライが、ロクサーナ聖教の総本山・聖都シャラクを脱してから、すでに三か月が過ぎている。途中、祭司長の手先と思しき祭司や騎士をやり過ごしながら、二人はなんとかイェルセリア新王国を脱した。ペルグ王国に入ったのが、およそ一か月半前である。それ以降、追手らしき人々を見かけることはない。聖女ギュライがなんとか
「……それでも、カダルの奴があきらめるとは思えないがな」
「古王国の跡地まで、急いで行かないといけないってことよね」
メルトが不吉な呟きをこぼすと、フェライはうすら寒そうに応じた。聖都での、数々の出来事を思いかえしているのかもしれない。
急いで古王国に行かなければいけない。それは事実だが、現実は厳しかった。今、ようやくペルグ王国の東部国境まで来たところだ。ここからさらに、大国ヒルカニアを北東に抜けていかなければならず、どれだけ少なく見積もっても、古王国にたどり着くまで二か月はかかるだろう。進路上には、遊牧民の領域が点在し、強靭な狩猟民族が放浪しているとも聞く。よけいな揉め事を起こさないように、とは思っているが、どうなるかはわからない。
思考にふけっていたメルトはしかし、すぐそばで響いた乾いた音を聞き、我に返る。振り向けば、フェライがなぜか両手を叩いたらしかった。彼が怪訝の視線を注ぐと、騎士の娘は花のような笑みを顔いっぱいに広げた。
「大丈夫! 私もできる限りのことはするわ。このあたりの人々に面は割れていないし、古王国の伝説も知られていないみたいだし。きっと大丈夫」
メルトは面食らい、その少し後に笑いだす。「大丈夫」にどのていどの根拠があるかは知らない。だが、彼女はそのくらいがちょうどよいのだと思う。難しいことはメルトが考えて、難しくなりすぎたらフェライが喝を入れる。それで、上手く回りそうな気がした。
笑われたのがふしぎだったのか、何度も目を瞬いた。なだめるようにその肩を叩いて、メルトはこれから行くべき方向へ目を向ける。
「差し当たり、東部国境を越えてヒルカニアに入るとしよう。今から行けば、遅くとも三日後には境にたどり着けるはずだな」
「そうね」
「国境を越えるのにまたひと悶着、とかならなければいいが」
「大丈夫……だと思うけど。ペルグとヒルカニアが戦争をしているとも、聞かないし」
メルトは「そうか」とうなずいたものの、憂いが完全に払しょくされたわけではない。ペルグ王国が西方のミルキア人の支配下にある、というのがそもそも想定外だったのだ。彼らが異教であるロクサーナ聖教を許容していたのも意外なことである。フェライもペルグ王国の現状には驚いた様子だった。聖都がかなり閉鎖的だったこともあり、外部の情勢が詳しくわからなかったのだろう。
旧来のペルグ人、ヒルカニア人、アルサーク人などと、新しく来た西洋人たちでは文化も常識も大きく違う。だからこそ、道中で何が起きるかまったく予想がつかなかった。
だからと言ってこんな場所で足を止めるわけにもいかない。二人は市場で必要な糧食や装備を整えると、その日のうちにオザルプを発ったのである。
※
「すっかり調子づきおって。女狐が」
聖都シャラクは大礼拝堂、その奥にある小部屋に、
古王国の王太子に逃げられたあの夜以降も、カダルは祭司長であり続けている。聖女や聖教会議がカダルを罷免できるほどの証拠が、揃っていなかったからだった。今、聖女と従士は張り切って、その証拠をつかもうとしているところであろう。
聖女に王太子のことを知られただけならばよかった。どうとでもごまかせるし、最悪「証拠隠滅」してしまえばよい。メルトに逃げられただけでも打つ手はあった。捕らえたければ追手を差し向ければよい。あるいは彼を泳がせれば、古王国を滅ぼした力にたどり着くことができるだろう。
その両方が重なってしまったのが、カダルにとってはまずかった。
ギュライの追及を逃れようにも、神聖騎士団の一員のうち数名が謎の負傷をし、一人が姿を消したという事実がある。王太子を追おうにも、聖女と従士がにらみをきかせているから、自由に人を動かすというわけにはいかない。
聖女の力を持った騎士と、聖女の従士と、王太子自身をカダルは侮った。その結果が今だ。
だからと言って、カダルはあきらめるつもりはなかった。聖女たちの目を逃れ、メルトたちの
書物を抱えたカダルは、次の手を打つために、荒々しさを押し隠して祭司たちのもとへ向かった。
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