幕間

第26話 歌の終わり

※『マーレファ奇譚』読者向けサービスカット。やや同作品のネタバレありです。







  すえの酒場でさかずき交わし

  思い出と夢を語り合う

  嫉妬も恋慕れんぼ寂寥せきりょう

  すべてに知らぬふりをして


 遠き大国ヒルカニアの言葉でつむがれる歌が、夜の丘に響き渡る。一世代ほど古い時代に庶民の男の間で流行した歌であるが、それを音楽的な声で歌いあげる本人は、古かろうが新しかろうが構わないらしかった。腰に剣を下げ、背に弓矢を負った男は、ぽつりぽつりと草の生えた丘で、ゆっくりと馬を駆る。


 そこは、イェルセリア新王国の町、ギュルズの郊外こうがいだった。神聖騎士団員と、聖女と従士の下積みの場として知られるアヤ・ルテ聖院せいいんがある丘だ。現に、少し視線を外せば、薄暮はくぼを背にして立つ巨大な建物が見える。一見して礼拝堂のようでもあるが、それ以上の機能を備えていることは、大きさからして明らかであった。その姿は今でこそ闇に沈んでいるが、ひとたび日の出を迎えれば、精霊を模した彫刻や金銀の屋根飾りが光をうけて、さぞや壮麗にきらめくことだろう。


 彼は心地よく酔うように歌い続けていたが、ふとその声を止めると同時、馬も止めた。体をごそごそと探ると、外衣の、ものを入れられるように穴が開いているところから、妙な石を取り出した。水晶や宝石ではない。さりとて路傍の石でもない。ふしぎな輝きを放つ石であった。

『シャラクの方はどうだった?』

 その、石の中から、子どもの声が流れ出る。玻璃はりを打ち鳴らすような美しい声ではあるが、温かみだとか思いだとかいうものがいくらか欠落しているように思われた。男はその異様さを気にすることもなく、石に向かって話しかけた。

「ああ。おまえの言う宿主やどぬしは、無事にシャラクを脱したぞ。イェルセリアの跡地に向かうらしい」

『イェルセリアの跡地? ひょっとしてそれは』

「いや、おまえが考えている可能性とは逆のようだ。『夜の杖』を探しだして、壊すつもりだな」

『壊す? 自分がその力の宿主だと知っていて杖を破壊する気なのかな。それとも、知らないのかな』

 平たんな声がふしぎそうに言うものだから、男は少し考えこんだ。

「両方じゃないかね」

 返答はない。しかし、首をかくんと傾ける姿が容易に想像できたので、男は言葉を続けた。

「今はおそらく、己の身に何が起きているのか知らんのだろう。しかし、知ったところで意志を曲げるわけでもない。あの王子様はおそらく、そういう頑固者だ」

『彼を知っているの』

「一度遠くから見たことがあるだけだ。今のは全部俺の想像。女の勘ならぬ、男の勘というやつだ」

『……よくわからない』

 男は短い言葉を聞き、爽やかな笑声を立てる。

「まあ、わからぬならそれでも構うまい。それより、俺は一度そちらに戻ろうと思う。ほかに何事かあるなら、戻る前にくらいはしていくが、どうだ?」

『今はなにもないよ』

「承知した。それでは一度、館に戻ろう」

『うん。お願いね』

 善意も悪意もこもらないお願いを最後に、声はすっかりとぎれた。男はそれを確かめて、再び石を衣服の内側にすべりこませる。何事もなかったように手綱をにぎり、馬の腹を軽く蹴った。

 男は再び口を開きかけ、少し考えるそぶりをする。どこから歌を歌おうか、少し迷っていたのだった。迷った結果、歌うのをやめた少し前のところから、始めることにした。


  場末の酒場で杯交わし

  思い出と夢を語り合う

  嫉妬も恋慕も寂寥も

  すべてに知らぬふりをして


  このままでいいのかい

  問いかける声に耳をふさぎ

  知らぬふりをした感情を

  安っぽい酒で流すのさ


 歌詞に似合わぬ陽気な声と、馬蹄の響きだけが、夜のギュルズの町外れを流れてゆく。俗世を愛する男は神聖なる建物には目もくれず、そうして再び旅を始めるのだった。

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