第24話 剣を以って

 朗々たる少女の声が、夜の中、長い余韻をもって響いた。聖院時代と違って仮面のように表情の動かなかった騎士デナンが、このときはじめて目をみはる。

「……何を、言ってるんだ」

 デナンは、うめくようにささやいた。それが、騎士になってからはじめて、フェライに向けられた彼の言葉だ。彼は唇を引き結ぶと、勢いよく前に出る。

「くだらない。時間稼ぎのつもりか?」

「そうよ」

 フェライがあっさり認めたことが意外だったのか。デナンは目を白黒させて黙りこむ。他方のフェライは、同僚の困惑など知ったことかとばかりに、傲然とした態度を装って前を向き続ける。

「でも、それだけじゃない。私はあなたと、本気で剣を交えたいと思ってる。メルトを守るため、そして私自身の都合のために。どう? デナンはメルトを捕らえたいんだから、どのみち私と戦わなきゃいけないってことじゃない?」

「馬鹿なことを……」

「それとも」フェライは憤りに満ちた反論をさえぎり、剣をちらつかせる。「――名ばかりの騎士に負けるのが怖いのかしら」

 デナンの目が静かに細る。少女騎士の、生まれてはじめての挑発は、思惑どおり彼の心に火をつけたようだった。

 青年が、呼吸を整える。

「いいだろう」

 彼の剣の先がフェライを見た。フェライも静かに身構える。

「おまえが二度と騎士などと名乗れぬよう、その剣を折ってくれる!」

「やれるものならやってみなさい!」

 双方が吼えると同時、デナンの剣が雷光のごとく閃いた。フェライは半歩後ろに下がり、鋭い斬撃を受けとめて押し返す。フェライがふっと腰を低くして踏み込み、隙のできた胴へ横ぎの一撃を入れる。寸前でデナンは身をひねり、借り物の剣は空を切った。デナンはすぐ反撃に転じた。打ちおろされた剣を頭上で防いだフェライは、身も軽く飛びすさる。その後、四合ほど剣を交わした二人は、位置を入れ替えて対峙した。

 闇の中で同僚の表情はよくわからなかったが、息づかいの荒さから動揺がにじみ出ている。フェライも、己の感情とどうをぎりぎり制御しているところだった。自主訓練をやめなくてよかった。メルトとの稽古が終わった後も、足や体の使い方を訓練することは、やめていなかったのである。

 短い空白の後、今度はフェライが地を蹴った。二本の剣が交わるたびに、金属の音と飛び散る火花が、静謐せいひつなる夜をかき乱す。再び立ち位置を交換しかかったとき、ふいにデナンが右足を振った。なかなかに強烈な足払いをくらい、フェライは横転する。すぐさま身を起こした彼女は、己の手から滑り落ちた剣を奪われるより先に、身一つで青年につかみかかった。避けはしたものの、さすがにこれは予想外だったのか、デナンは後ろによろめく。その間にフェライは騎士の剣を自分の手に取り戻していた。再び向き合った二人はどちらも、全身に熱い汗と冷たい汗とをかいている。


 鼓動がうるさい。戦いというのは、なんと恐ろしいものだろう。彼女もそしておそらくデナンも、顔には出さずおののいていた。

 フェライたちが聖院に入って以降、イェルセリア新王国は対外戦争を行っていない。ロクサーナ聖教に表だって反発を示す集団もいなかった。神聖騎士団の役割は当面、聖職者と聖都の民の守護であって、新人の騎士たちは人を斬ったり殺したりした経験がほとんどない。フェライとデナンは、実戦経験が皆無という一点において対等だった。


 恐ろしい。そう思う。自らの持つ剣が血にぬれるのも、相手の白刃が自分に迫ってくるのも。だが、恐怖に惑い、立ち止まるわけにはいかないのだ。フェライには、やるべきことがある。


 強烈なデナンの斬撃をフェライは身を低くしてかわす。相手の方へ踏みこんで、首のあたりを狙って剣を振る。もうひと振りがそれを防ぎ、つばと鍔が激しくぶつかり合った。耳障りな金属音が響く。そして二人は、刃ごしに向き合った。

「よく持ちこたえるな」

「そっちこそ」

 棘を含んだ言葉が交わされる。デナンが舌を打ち鳴らした。

「そういえば、取り決めを破って剣の練習をしていたんだったか?」

「それについて、あなたにとやかく言われる筋合いはないはずだけれど」

 デナンの剣がわずかに震える。フェライは、己の得物を支える両手に力をこめる。表面上は平然として、口を開いた。

「ねえ。デナンは私の何がそんなに嫌なの? 治癒の力を使いはじめたこと? 鍛錬に参加しなくなったこと?――『騎士団の聖女』だなんて、名前がついたこと?」

 はじめて、問いかける。正面から向き合って、まっすぐに。青年はつかのまひるんだようだった。一瞬の空白のあと、茶色の瞳に火が灯り、瞬く間に炎と化した。

 激しい音と火花とともに、つばぜり合いが終わる。両者ともに、三歩分飛びすさって、互いの動きをうかがった。

「全部だよ」

 ようやっと、デナンが吐き捨てるように言った。

「今、おまえ自身が言ったこと、全部だ。何が巫覡シャマンの力だ。何が聖女だ。そんな幻想のために、これまでつちかってきたものすべて捨てる気かよ」

 毒気すら感じる言葉に胸をえぐられ、フェライはつかのま沈黙する。


 デナンは騎士だった。下積み時代から、心はずっと騎士だった。だからこそ、誰よりも近くにいた友の変化が受け入れられなかった。カダル祭司長にこうもあっさり取りこまれたのも、フェライに関わる何事か、少なくともいことではないなにかを吹きこまれたからなのだろう。


 剣をとることを禁じられたとき、フェライは団長にも聖教にも反発した。だが、反感は諦観へと変わり、やがては今を受け入れた。神聖騎士団の一員という肩書きを惜しんだばかりに、自分の本音を無視してしまった。

 デナンが本当に受け入れられなかったのはそこかもしれない、と、今ふと思った。反感があるのなら、騎士団を追われようが破門を言い渡されようが本心を無視すべきではなかったのではないかとも。

 その本心が、今になってあふれ出てくる。


「勝手なことを言わないで」

 無意識のうちに、拳をにぎっていた。胸のあたりから突きあげてきた熱が、脳天を支配する。


 どうして、伝わらなかったのだろう。伝えられなかったのだろう

「私は聖女なんかじゃない。ただの小娘。大して偉くも豊かでもない家に生まれて、女の仕事が嫌だからって騎士団に逃げてきた、ただの子どもだったんだわ。聖院で無事に修行して、騎士団に入って、時々みんなと馬鹿みたいな話をしながら仕事をする、それでよかった」


 たとえあきらめていても。圧していても、心はずっと変わっていなかったのに。


「何が治癒の力よ。私だって――私だってこんなもの、欲しくなかった!」


 激情のあとに、静寂がやってくる。だが、それすらもすぐに破られた。両目ににじんだ涙を、かぶりを振って追い出したフェライは、すぐに剣をにぎりなおす。それまで呆然としていたデナンも、彼女を迎え撃つため、構えた。

 両者が再び交差する。そして勝負がついたのは、三合ほど打ちあったあとだった。ななめ上から襲ってきたデナンの斬撃をかわしたフェライは、石畳の上で反回転して起きあがり、そのままデナンの剣をすくいあげてはね飛ばす。彼があっけにとられたその一瞬に、彼女はデナンの首筋に剣戟けんげきを叩きこんだ。

 斬ってしまった、そう思ったが、一撃の速さのわりに、飛んだ血はわずかだった。青年のけいを撃ったのは、剣のひらだったのだ。それでも衝撃は大きく、デナンはその場に崩れ落ちた。


 人間同士の激しい争いが終わり、聖都に再び静寂しじまが戻る。フェライは息をのみ、剣を放り出すとデナンに駆け寄った。呼吸も、脈もある。気絶しているだけのようだ。そうとわかって、フェライは安堵している自分に気づき、苦笑する。

「なんで、もっとうまくできないのかな」

 今しがたのように、感情をぶつけ合うつもりはなかったのだ。剣を交わしたあと、改めてデナンがこちらを見る気になってほしかった。だが、その考えが甘いというものだろう。

 メルトのことを考えれば、これ以上デナンにかかずらっているひまはない。フェライは躊躇ちゅうちょしつつも、ここを離れることを選んだ。剣を拾って、自分の制服の上着を彼の上にそっと掛けてから、背を向ける。これくらいはいいだろう、と自分に言い聞かせながら、駆けだした。

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