第21話 曇る心、灯る炎

 同じ頃、古王国の王太子メルトのもとには客人が訪れていた。客人と言っても、メルトにとって歓迎できる相手ではない。いつものごとく白い衣と白い帽子をまとう祭司の長を、かつての王太子は視線で射殺せんばかりの目つきで見上げる。見上げられた方は、表情こそ穏やかなものであったが、内心ややひるんでいるのだろう。しわだらけの顔に添えられた微笑はほんのわずか、ひきつっていた。

「あれからもう十五年になりますぞ、殿下」

「俺はおまえたちの殿下ではない」メルトは彼の一声を突っぱねて、口もとに嘲笑をひらめかせる。それが彼――カダルに対するものか、己に対するものかわからないまま。

「十五年か。まあ、最初の数百年に比べれば短いものだ」

「……私とて、先祖の命を救ってくださったお方に、ひどいことをしたくはござらぬ。そろそろ、例の質問にお答えいただけませぬか」

「十五年も問答して、まだ飽きないのか。大したものだな、その根性だけは見習うべきかもしれん」

 カダルの鋭い問いに対する、メルトの答えはそっけない。それは、古王国跡地で彼らが出会ってから、ずっと変わらぬことだった。カダルは、己の問いをかわされた不快感を隠そうともせず目を細める。

「いくら問いただそうが、拷問をしようが実験を行おうが……俺の答えは変わらんぞ、祭司長。古王国を滅ぼしたものについて、おまえたちに教えるつもりは一切ない。わかったらとっとと帰って明日の儀式の準備でもしていろ」

 穏やかなように見えて激しい老人に、メルトは、揺るがぬ言葉を叩きつけた。カダルは今度こそ怒りをあらわにしたようで顔を歪めた。が、さすがに遠き王家の血族に対し、乱暴なふるまいはしなかった。「失礼いたします」と表面上は恭しく礼をして、重い扉のむこうに去っていった。

 メルトはそれを冷やかなまなざしで見送りながら、内心ではやや慌ただしく計算を行っていた。

 そろそろ祭司長の我慢も限界だろう。このまま監獄塔にいれば、彼自身の身が危うい。あの老人が暴走する前にここを出なければ、古王国跡地に残る杖を壊す機会は永遠に訪れない。そのために、今の自分に何ができるか……メルトはフェライにすべてを打ち明けた日から今日まで、考え続けている。少女騎士にすべてを丸投げして自分だけ待っているというのは、王族としても個人としても、したくはないことだった。

 まんじりと床をながめていたメルトは、足もとに石が転がっているのに気づき、目を瞬く。この部屋は祭司たちや監視役のフェライが定期的に掃除をすることになっているが、完璧にきれいにするのは難しい。人の出入りにともなって、たまたま石ころが転がり込んできたのだろう。メルトは鎖にわずらわされながらも、石を拾い上げる。なんの輝きも魅力もないそれを彼は、品定めするようにしばらくながめていた。



     ※



 あの宵の刻に聖女ギュライがささやいたことの意味を、フェライはその後の日々で実感することとなった。行く先で、ときどき温度のない視線が突き刺さる。まるで、存在を主張するかのように。そしてフェライが陰をうかがえば、タネルの姿を見いだせることもあったし、短い伝言が書かれた葉っぱが落ちていることもあった。そして、フェライのまわりにいる人間のほとんどはそれに気づかない。入団して長い騎士たちが、たまに不審げにするが、聖女の従士が彼らに見つかった試しはなかった。


 タネルが本気を出せば、フェライにすら気づかれないようカダルの身辺を監視することもできるのだろう。あえてフェライにのみ存在を誇示するのは、聖女からの伝言や手にした情報の破片を彼女に伝えるためだった。最初の頃には残忍な狼かなにかのように見えた男は、現在のところ、聖女の命令を淡々と実行するだけの青年である。


 ギュライとタネルは、カダルの身のまわり以外にも色々と嗅ぎまわっているようだった。その情報はやはりタネルを通じてフェライにもたらされたが、それもすべてではないかもしれない。彼らがそうして仕事をしている間、フェライができることといえば、カダルに反逆を疑われないように過ごすことと、メルトと情報を共有することだけだった。


 そして、聖女たちと手を組んでからひと月が経ったある日。フェライは久々に、騎士たちの訓練の場に来ていた。もちろん、救護要員としてだ。日に日に動きがよくなる若い騎士たちの動きをじっと観察し、それが終わると怪我をした騎士たちを手早く治療した。そのすべてが終わって本部へ帰ろうとしていた途中、フェライは思わず足を止める。彼女のそばを見知った姿が横切った。だがルステムやチャウラではない。

「デナン!」

 フェライは思わず叫んでいた。多少人目はあったが、それを気にするどころではなかった。デナンには間違いなく、声が届いていたはずだ。しかし彼はフェライに一瞥もくれず、淡々と歩き去ってゆく。フェライは肩を落として彼を見送っていたが、ふと違和感に気づいて目を瞬いた。

 デナンはほかの騎士たちの流れからはずれて、一人で別の方向へ歩いていった。聖教本部の出入り口へ向かう方向だ。巡回任務であっても、一度は上官に報告をしにいくはずなのに、その様子すらない。

 心に薄い雲がかかった気がした。フェライは慌ててかぶりを振り、不穏な雲を意識の外に閉めだすと、みずからは騎士たちの流れの中に身を投じた。そのとき、ちょうど知った声が肩を叩く。同僚の中でも特に親しい騎士の一人――つまりはルステムが、元気のない目で彼女を見おろしていた。

「どうかした、ルステム?」

「あ、いや……」

 フェライが小首をかしげると、ルステムは口ごもった後に「なんでもない」と告げて、足早に立ち去ってしまう。フェライはますます首を傾けて、去りゆく同僚を見送った。いつもなら、彼女がなにも言わなくても話題のひとつやふたつ持ち出してくるルステムが、今日はいやに無口だ。それだけでなく、どこか消沈しているようにすら見えた。いったいどういうことだろうか。

 しばらく考えこんだフェライだったが、いくら考えても答えは出ない。それに、同僚の態度が腑に落ちる前に、すぐそれどころではない事態が起きた。突き刺すような気配を感じたと同時、肩にかたいなにかが当たる。フェライが驚いて足もとを見ると、灰色の石が落ちていた。意地の悪い騎士たちの悪戯――ではないということは、すぐにわかる。視線を上向けると、柱の陰に聖女の従士の姿が見えた。彼はこちらを見ているだけでなにも言わない。

 フェライは改めて石を見た。表面になにかが彫ってあることに気づく。よく見たら文字だった。細かい文字を目で追ったフェライは、息をのむ。とっさに柱の陰をうかがったが、すでに従士の姿はなかった。フェライはもう一度石を見て、彫りこまれた文字のうち、最初の一文を目に焼き付ける。

『決行だ』――無愛想な彼らしい、丁寧すぎる文字が反撃のはじまりを告げていた。


 一方のルステムは、本部に入ったところでチャウラと鉢合わせていた。

「あ、ねえルス。今日はフェーちゃんに会えそうかな」

「……さっき会ったよ」

 ため息まじりにルステムが返すと、チャウラは危うく転ぶのではないかというほど勢いよく、身を乗り出した。

「どうだった? なにか聞けた?」

「いや、なにも」

 青年が口ごもっていると、少女騎士はその言葉の裏に隠れた別の意味に気がついて、形のよい眉を寄せる。

「何してるのさ。最近フェーちゃんがこそこそしてるから気になるって言ったの、ルスじゃんか」

 たっぷり十数秒黙りこんだあと、ルステムは「悪い」と返す。その声はうなり声に近かった。彼の悩める姿に思うところがあったのか、それとももともと責める気はないのか。ふだん陽気でのん気な同僚は、軽く肩をすくめてルステムの隣に並んだ。

「こんなときまで変に遠慮しちゃって。惚れた弱みってやつ?」

「馬鹿なこと言うなよ」

 ルステムは、布越しにチャウラの頭を小突いた。自分がわずかに赤面していることに自分では気づいていない。ただ、その赤みもすぐに消えうせた。

「なあ、チャウラ」

「なにー?」

「もしも、もしもだ。フェライが騎士団や聖教に逆らって、あいつと敵対しなくちゃならないとしたら、どうする」

 仮定の話をするにしては、声も口調も深刻だった。チャウラもふだんのようにおどけず、少し考えこむ。考えこんだあと、数回かぶりを振った。

「そりゃ、戦わなきゃいけなくなると思うよ。私はそんなのすごく嫌だけど。でも、しかたないとも思う。そうなったらきっと、騎士団や聖教に逆らうことが、フェーちゃんにとっての正しいことなんだから」

 ルステムは、渋面のまま黙りこんだ。チャウラがさらに、言葉を継ぐ。

「きっと、私たちの敵になっても。フェーちゃんはフェーちゃんだよ。あの子は、自分の欲望とか誰かへの怒りとか、そういうもので動く子じゃないからさ。フェーちゃんが聖教に逆らうとしたら、たぶん、困ってる人を助けたいとか、そういう理由なんじゃないかな」

 ぽつり、ぽつりとこぼれる少女の言葉は、自分自身に言い聞かせるようでもあった。

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