第20話 宵の同盟

 監獄塔の奥の一室にたどり着く。重い扉を閉めるなり、フェライはへたりこんでしまった。それを見たメルトが、眉根を寄せる。立ち上がりかけたが、鎖に阻まれてよろめいていた。

「どうした、フェライ」

「メルト……あ、あの……。今、術の気配とか、ないよね……」

 メルトはますます怪訝そうにした。狭い石室を見回して「今はないな」と、呟くように言う。

「それがどうかしたか?」

 フェライは、うなずいてから、立ちあがった。衣を手ではたき、息を整えてから、先ほどのことを話す。案の定、青年は顔をしかめた。

「ごめんなさい……」

「まあ、不可抗力だろう。今回は」

 メルトの慰めを聞きながら、フェライはメルトの対面――自分の定位置までとぼとぼ歩く。その間にも、メルトが、手で目元を覆って考えこんでいた。

「俺がここにいる証拠……か。難しいな……」

「所持品とか、ないよね」

「……ないな」

「だよね……」

 二人は揃ってうなだれる。

 タネルに接触できたのは望外の幸運だった。だが、今日メルトの存在の証拠を持ち帰らないと、聖女に会えないどころか、フェライの首と胴がお別れすることになりかねない。

 フェライは思わず頭を抱えた。しかし、直後、メルトが「待てよ」とささやいた。そうかと思えば彼は、衣のそでを振りはじめる。何事かと思ってフェライが見ていると、やがて、澄んだ音とともに何かが転がり出てきた。

「ああ、よかった。これは祭司に見つかっていなかったんだな」

 寝台の上に落ちたそれを、メルトは優しいまなざしで見やる。それから、その目をフェライに向けた。

「フェライ、持っていけ。相手が聖女と従士なら、これがなにか知っているはずだ」

「これ、って」

 メルトの横に落ちたものを、フェライはおそるおそる拾い上げる。丸い金属板を細やかな鎖でつないだ装飾品のようだった。メルトが監獄塔に入っている間じゅうここにあったからか、少し色がくすんでいる。金属板をめつすがめつ見ていた彼女は――その装飾品の正体に気づいて、目をみはった。

 改めて古王国の王太子を見やると、彼は人の悪い笑みを浮かべる。

「説明の手間も多少省けるだろう。信じてもらえれば、だがな」



     ※



 扉をくぐってすぐの場所、小さな卓を陣取って若い騎士たちが雑談に花を咲かせている。かしましい笑い声が弾けるのを聞きつつ、フェライは彼らの横を通り過ぎた。敷き詰められた石は、もともと丹念に手入れされるわけでもなくごつごつとしていたのだろう。だが、長年人の足に踏み固められた結果、石の表面がすり減って、こじゃれた石畳のようになっている。祈りの時間が終わったばかりだからか、その石畳を踏む靴音がせわしなく行き交っていた。

 フェライは無言でその場所を通りぬけて、部屋の方へ歩いていた。夕食の前に服を替えようと思ってのことだった。しかし、ひとけのとぼしい廊下に差しかかったとき。

「そこの騎士」

 本来あり得ないところ――細い窓の上から、低い声が降ってきた。心臓が跳ねる。だがそれ以上の動揺はない。一瞬震えた肩を抱き、フェライはおそるおそる顔を上げた。案の定、四角く切りぬかれた窓に夜色の瞳の男が腰かけている。いつもの従士の服ではなく、闇夜に溶けこむ黒色の衣を身にまとっていた。そうしていると、聖女の従士というより盗賊のようだ。フェライが反応に困っている間に、タネルは窓から宿舎の廊下へと、危なげなく着地した。フェライの方を振り返り、「ついてこい」とだけ言って歩き出す。フェライはつかのま、大きな背をしかめっ面で見送った。危ないことをするなとか、勝手に入って大丈夫なのかいや大丈夫じゃないとか、色々と言いたいことがこみあげた。けれど突っ立っている場合ではないと思いなおす。言いたいことを丸ごと飲み下して、彼女はタネルを追って走った。


 フェライは宿舎に入ってまだそれほど長くない。それでも、聖女の従士よりは宿舎に詳しいと思いこんでいた。しかしタネルは、フェライが入ったこともない扉をくぐり、通ったことのない廊下を進んだ。騎士団本部は細々と増改築を繰り返しているため、建設計画もへったくれもない複雑な構造になっている。聖都シャラクの市街地にも同じことがいえた。タネルはこの複雑怪奇な都市のすべてを把握しているのではないか――フェライは緊張と疲労の中で、そんなことを考えた。


 やがて、見慣れぬ外廊下へ出る。廊下の横手から外へ踏み出すと、突き刺すような冷たさの風が吹きつけた。なんとはなしに上を見たフェライは、あっ、と声をもらす。彼らがいたのは、なんと騎士団の敷地ではなく、大礼拝堂の裏手だった。

「騎士団員フェライ」

 低い声がすぐそばでささやいた。フェライは、ひきつった声を上げながら振り返る。タネルの瞳は相変わらず冷たかった。

「証拠は持ってきたか」

 前置きもなにもなしに、彼は問う。フェライは軽く息をのんでから、「はい」とささやいた。そして、みずからの首に手を回し、長い髪をかき上げる。巻きつけていた鎖をほどき、服の下にかくしていた『それ』をタネルにそっと見せた。

 刹那、タネルは瞠目する。彼が驚く顔を、フェライはこういう形ではじめて目撃することとなった。

「これは――」

「古王国王家の紋章入り首飾り、の一部ですね」

 ささやくようなタネルの言葉の上に、凛とした声がかぶさる。フェライとタネルは、同時に彼の後ろを見た。外廊下の柱に手を添えて、聖女ギュライが立っていた。聖女は、二人分の視線を受けると、にっこりとほほ笑んだ。

「ギュライ様!?」

「猊下、確認が終わるまでご辛抱を、と申し上げたはずですが」

 フェライはただ驚きの声を上げる。タネルは逆に、顔をしかめて苦言を呈した。そのどちらをもギュライはしなやかに受けとめ、闇のように黒の濃い瞳を細めた。

「すみません、タネル。いても立ってもいられなかったものですから、出てきてしまいました。ですが、この方が話が早くてよいでしょう?」

 聖女はフェライを一瞥してから、タネルに笑いかける。きまじめな従士は眉根を寄せて押し黙ったままだった。ギュライはいっこうに構わず、フェライを、そして彼女の持つ首飾りの一部を見つめる。

「大体の話はタネルから聞いています。それは、監獄塔に囚われているという人物から借り受けたものですか」

「えっと、そうです。タネルさんに言われたことを伝えて、所持品はないかとお尋ねしたら、これを持っていけと……」

「ということは。それが本物であれば、監獄塔の方は古王国の王族で、加えてあなたが事情を話せるほどこちらの状況を把握している、ということになりますね」

「は、はい。本物かどうか、というのは、私にはなんとも言えませんが」


 舌をもつれさせそうになりながらも、フェライはなんとかメルトのことを伝えようとする。頭が混乱していて、すべてを伝えきれた気はしなかった。しかし、メルトの話は、聖教の頂点たる主従を驚かせるにはじゅうぶんなもののようだった。

「王太子殿下があのさいを生きのびておいでだったとは。しかも、六百年近くを年もとらずに過ごした、というのは……」

「非現実的すぎる話です。監獄塔の人物が身分を偽っている可能性はありませぬか」

 険しい顔のギュライに、彼女の何倍も険しい顔のタネルが疑問をぶつける。ギュライは口もとに白い指を当てて考えこむ。その後、フェライの持つ装飾品を手で示し「少し貸していただけますか」と訊いてきた。拒否する理由もないフェライは、金属板を手で支えながら差し出した。しばらく無言でその表面をにらんだギュライは、ふいに目もとをやわらかくして、顔を上げる。

「おそらくは本物でしょう。現存する古王国の書物の中で見た紋章と、まったく同じです」

 意外そうに一瞬だけ目を丸めた従士をよそに、ギュライは首飾りをフェライに返した。彼女の微笑は崩れないままだが、その奥には苛烈といってよいほど強い光がある。

「――それに、たとえその方が身分を偽っていたとしても、大した問題ではありません。カダル祭司長が独断で、罪なき者を監獄に閉じ込めていることの方がゆゆしき事態です。しかるべき措置をとらねばなりません」

 彼女の声は、決して大きくない。それでも、夜の闇を切り裂くように、強く響いた。

「タネル」

「はっ」

「第三監獄塔の現在の状況について調べてください。極秘に、わかる範囲で結構です。それと、祭司長が指揮を執った、十五年前の古王国調査の資料を見なおします。当時の報告書と調査書類をまとめなおしてくれますか」

「御意」

 流麗りゅうれいにこうべを垂れた従士にギュライはうなずく。主従のやり取りを呆然として見ていたフェライは、

「フェライ」

「へっ!? あ、はい!」

 彼女に名前を呼ばれて、飛び上がった。慌てふためく少女騎士に、聖女はひだまりのような微笑を向ける。

「よく教えてくれました。メルト殿下の件、私たちもお手伝いします。殿下に伝えてもらえますか」

「わかりました!」

「それと――これからときどき、タネルが陰から様子をうかがうことがあると思います。気になるかもしれませんが、できるだけいつもどおりにふるまってください」

「……え?」

 素っ頓狂な声を上げたフェライは、思わずタネルを振り返る。タネルは無表情を崩さぬまま目礼した。感情が見えないのが、逆に怖い。肩をすくめて顔を戻したフェライを見、ギュライがくすりと笑った。

「祭司長の息のかかった者が、どこであなたを見ているかわかりませんから、こちらも堂々とは接触しづらいのです。大丈夫、タネルは隠密おんみつ行動が得意ですから、あなた以外には悟られないように動いてくれます」

 いや、できれば私にもわからないように動いてほしいです――とは、言えなかった。作り笑いをしながらその場をやり過ごしたが、正直うまくいった自信はない。

 こうして、フェライの中に個人的な不安を残しつつも、メルト救出のための活動がひそやかに始まったのだった。

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