第19話 危機と希望の狭間

「フェライ、どうにかして今の聖女に接触できないか?」

 謎の旅人を案内した翌日。監獄塔を訪ねるなり、メルトがそう言い出したので、フェライは瞠目してしまった。

「私も今、考えているところよ。私みたいなしたっぱ騎士だと、聖女様にお会いするだけでも大変だけど……。なにか方法はないかな、って」

「そうか……。俺もあれから考えていたが、巫覡シャマンたちを味方につけるか、聖女と従士を味方につけるくらいしか思いつかなくてな」

 おずおずとうなずくフェライをよそに、メルトは、「これさえなくなれば後はどうにでもなるんだが」などと手枷をにらみつけながらぼやいている。巫覡シャマンたちの実験にさらされた体の具合や年月の開きなど、ほかにも問題はあるはずだが、それすらどうにかなると思っているのか、あるいはあえて考えから外しているのか。一見しただけでは、古王国の王太子の思考はわからなかった。


 とりあえず、フェライが昨日思いついたのは、メルトが言った『聖女と従士を味方につける』ということである。聖女ギュライと祭司長カダルが対立しているのであれば望みはあった。ギュライとタネルはおそらく、メルトの存在を知らない。それを明かして二人の協力を取りつけられれば、監獄塔からメルトを連れ出しやすくなる。なんといってもギュライは、ロクサーナ聖教の最高権力者なのだ。今のところ、彼女に黙れと言われれば祭司長は黙るしかない。たとえ、内心でどう思っていようとも。


 しかしながら、『協力を取りつける』までの道のりが果てしない。そもそもギュライかタネルのどちらかに会えなければ話が始まらないのだ。フェライが二人に会ったのは、ギュライが神聖騎士団を訪ねてきたあの一回が最初で最後である。


「その昔、メルトはヒューリャ様と普通にお会いしていたのよね?」

「まあ、俺の場合はそうだが……参考にはならんと思うぞ」

「…………そうね」

 メルトは王族、それも第一位の王位継承者だった。フェライとは立場の強さが違う。王族の意見が庶民にとって参考になることもまれにはあるが、この場合はほとんど役に立たないだろう。

 フェライはいつもの確認項目の紙束をにらみつけながら、眉を寄せてうなった。

「いっそ団長にかけあう……? うーん、難しいか。団長も祭司長に強く出られなさそうだし……ルステムやチャウラを巻きこむわけにはいかないし……後は……」

「フェライ、真剣になってくれるのは嬉しいが、のめり込みすぎるな。どこに目耳があるかもわからん」

「あ、そうよね。ごめんなさい……」

 フェライは、我に返ったあとにうなだれた。あの月夜に砕けた石のことを思い出して背筋が寒くなる。しかし、叱られた子犬のような少女を見たメルトは、楽しげに笑っただけだった。

 自分の素性をぶちまけたからなのか、方向性が定まったからなのか。あの日以降少しずつ、彼の中に明るさが出てきている。フェライとしてもそれは嬉しかったが、同時にちょっとした居心地の悪さもあった。

「とにかく、どうにか方法は考える! 聖女様ご本人に直接ぶつかっていくのは厳しいから、ぶつかるとしたら従士のタネルさんになると思うけど」

「承知した。が、無茶だけはするなよ」

「メルトこそ!」

 勢いよく立ち上がったフェライに釘を刺したメルトは、胸を張る彼女を見て、また笑った。温かい声に誘われたフェライも、たまらず小さく吹き出してしまった。

 道のりは険しい。けれど、一人ではないから、なんとかなるような気がしていた。


 ひとまずは、カダルや周囲の騎士たちに怪しまれないよう、いつもどおりにふるまわなければいけない。フェライは祭司に監獄塔とメルトのことを報告した後、騎士団の仕事に戻った。ルステムもチャウラも、フェライの身辺の変化に気づいた様子はない。それは安心できることだが、同時に申し訳なくもあった。


 そして、もうひとつ気にかかる、同僚の騎士デナンのこと。万が一メルトの関係のことでフェライまで騎士団を出奔しゅっぽんすることになったら、彼と和解する機会は永遠に訪れない。そんな予感がどこかにあったから、メルトを連れ出す計画を実行する前に、話だけでもしたかった。だが、当のデナンがあからさまにフェライを避けているので、どうしたものかと考えあぐねていた。


 夕食が終わってからもうんうんうなっていたものだから、おかしそうに口の端を釣り上げるチャウラに、わき腹を小突かれてしまった。食堂から出た二人は、連れだって宿舎まで戻ることにした。騎士たちの中をすり抜けて歩き、人通りの少ない廊下に出たところで、チャウラが突然足を止める。

「どうかしたの?」

「ね、フェーちゃん、あれ」

 チャウラがやけに楽しそうにささやいた。虚空を示す彼女の指を追って、フェライは目を見開く。

 廊下の隅、柱の陰になるところで、二人の男性がなにか話しこんでいる。一人は祭司見習いの若者、そしてもう一人は――忘れようもない長槍を携えた、聖女の従士だった。

「タネルさん……?」

「聖女様の従士が、あんなところでなにしてるんだろう。珍しい」

 小首をかしげるチャウラと違い、フェライは今にも駆けだしそうになっていた。しかし、事情を知らぬ他人の目があることを思いかえしてこらえる。話をするにしても、聖女と従士以外の人間に知られてはいけないのだ。たとえ親しい同僚であっても。

 フェライが逡巡している間に、祭司見習いと従士の話は終わったらしい。白い衣に背を向けるタネルを見、チャウラが「おっと」と半歩後ずさった。

「やっばい、やばい。見つかったら『何をしている』って怒られそう」

 微妙な声真似をしたチャウラが、フェライの腕を二、三度ひっぱった。

「ええ? 別に大丈夫なんじゃない? 盗み聞きしたわけじゃないんだから」

「でも鉢合わせたくないよ。行こう」

「……もう、しかたないわね」

 フェライとしてはむしろ堂々と話しかけたかったのだが、チャウラに追及されるとそれはそれで大変だ。しかたなく今日は、友人に従うことにした。

 宿舎に向けて走り出したその瞬間、しかし彼女は心の底が凍てつくのを感じる。刹那、視界の隅に映りこんだタネルが、冷たい目で二人をにらんだ気がしたのだ。



 翌日、フェライは再びメルトの様子を見にいくことになった。騎士団本部を一度出て、大きく迂回して監獄塔の入口へ向かう。いつもどおりの道のりは、変わらぬ静けさに包まれていた。メルトの部屋にたどり着く、その瞬間までフェライはいつも気が抜けない。誰に見られているわけでもないのに、緊張してしまうのだった。そして、この日はどういうわけか、いっそう緊張が強かった。雨の前でもないのに、背中にじっとりと湿った汗をかいている。この気持ちの悪さがなんなのかわからなかった。


 監獄塔の大きな影を見いだして、ほっとする。今日は祭司の姿もない。妙な石も貰っていない。どこに耳がついているかわからないとはいえ、目に見える形で祭司たちに監視されることなく、メルトと話すことができる。

 彼女が監獄塔の敷地内に一歩を踏み出した、そのとき――背筋をしびれる風がなでた、ような気がした。フェライはとっさに半歩下がり、振り返ろうとする。しかし、彼女が頭を動かす前に、横合よこあいから鋭いものを突きつけられた。

 戦慄せんりつする。しかし、恐怖が通りすぎた後、フェライは気がついた。横に見える刃の形に、見覚えがあることに。

 刃――槍の穂先は、一寸もぶれずに少女の首を狙っていた。

「騎士見習いが、こんな場所で何をしている」

 低く、愛想に乏しい声が揺れる。殺気が全身を刺してくる。フェライは大きく息をのんで、視線だけで槍のむこうをうかがった。

 深い夜色の両目が、少女をころさんとばかりにじっと見つめていた。

「タ――」

「答えろ。騎士見習いがここで何をしている」

 名前を呼ぼうとしたところで、ぴしゃりとさえぎられた。フェライは答えに窮して立ちつくす。どのみち今動けば、彼の槍がフェライの首を貫くに違いない。

 

 フェライは、ギュライやタネルに味方になってほしいと思っている。しかし、おそらく今のタネルは、フェライを敵だと思っている。少なくともカダルの手先だと目されているのだろう。なんと答えれば相手を刺激せずに現状を伝えられるのか、わからない。


 思考がまとまりきらぬうちに、首筋に冷たいものが触れた。同時に、チカリと痛みが走る。フェライは慌てて、喉の奥から声を絞り出した。

「わ、私は……カダル祭司長に頼まれている、お仕事を、しに来ました」

「おまえは騎士団の一員だろう」

「騎士団にも話が通してあります」

げいのお許しを得ずに、か」

 ぞっとした。同時に、好機だと思った。やはりカダルは、聖女にも従士にも、何一つこの話をしていないのだ。

「詳しいことはわかりません。手を回したのは、祭司長です」

 タネルが動きだすより早く、フェライは言葉をつないだ。

「武器を収めていただけませんか。あなたに、そして聖女様に、この件についてお話ししたいことがあります」

「命乞いは聞かぬぞ」

「この先に助けたい人がいるんです!」

 己の鼓動に急きたてられるようにして、フェライは鋭くささやいた。後悔したがもう遅い。タネルの槍が、はじめてわずかに動いた。

「あの監獄塔に人がいるのか」

「――そうです」フェライが息を整えながら答えると、タネルはようやく槍を収めた。今にも倒れこみそうな少女をにらみつけて、そのまま視線を監獄塔へ向ける。

「おまえは、祭司長の指示でこの先へ向かうと言ったな」

「はい」

「ならばこのまま向かえ。ただし」

 タネルが、淡々と続ける。

「猊下にお会いしたくば、この中に人間がいるという証拠を、ひとつ持ち帰ってこい。今日中に、だ」

 区切られた声のひとつひとつが、早鐘のように鳴る少女の心臓に突き刺さる。フェライが呆然としていると、タネルが追い払うように手を振って、物陰に消えていった。暗い影の中から、夜色の目が自分を見ているような気がして、フェライは慌てて監獄塔の中に駆けこんだ。

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