第17話 やり残したこと 2

 どうすればよいだろう。青年に寄り添ったまま、フェライはじっと考えた。自分とて、ロクサーナ聖教の騎士でしかない。祭司長や巫覡シャマンたちをどうこうできる力など、持っていない。


 メルトと出会ってから今日までの、さまざまな出来事が脳裏を通りすぎてゆく。何度も彼に救われた。今度は自分が助けたい。そう思っても、どうしていいのかわからない――。


 顔をしかめたとき、ふとフェライの耳に、老人の声が聞こえてきた。あ、と思わず叫びそうになって、口を押さえる。ふしぎそうなメルトの方へ、彼女は身を乗り出していた。

「そういえば、祭司長がふしぎなことを言っていたわ。古王国の跡地に満ちる力と同じ力が、メルトの中にある、って。巫覡シャマンたちがそう言っていたって」

 それを聞いたメルトは跳ね起きた。フェライはあせって止めようとしたが、その前に「本当か?」と詰め寄られた。しかたなくうなずくと、メルトは目もとを右手で覆う。

「……それが真実なら、俺がこのままここにいても、悪いようにしかならないということだな」

「そ、そう……なのかも」

「なら、やはりここを出るしかない」

 フェライは目を瞬いた。メルトの声が急に力強くなった気がする。戸惑う彼女をよそに、青年は鉄格子の先の夜空をにらんだ。その表情は六百年分の諦観を抱えた男のものではなく、強気な王太子のものだった。

「強行突破しようにも、俺の体がどこまで弱っているかわからんからな……危険が多すぎるか。味方はいない、つてもない。カダルに従う巫覡シャマンを丸めこむのが一番かな」

「あのー……い、今は安静にしてなきゃだめよ」

「わかっている。心配するな。枷がある限りは動こうにも動けないからな」

「いえ、そういうことじゃなくて」

 フェライの言うことを聞いているのか、聞こえていて無視しているのか。熱心に考えこみはじめた青年を彼女は唖然として見つめていた。しかし、考えてみればこれが彼の本来の姿なのだろう。

 フェライは、呆然自失の状態から立ち直ると、くすりと笑った。

「私に手伝えることがあったら、言ってね」

 そう声をかけると、メルトは一瞬物言いたげに顔をしかめたが、すぐに「わかった、頼む」とうなずいた。

 実際のところ、フェライに大人たちを動かす力はない。それでも、メルトよりは身軽に動けるはずだった。神聖騎士団の一員という肩書きもある。

 ちょっとした調べ物くらいならできるはず――と考えていたフェライは、ふとかたい感触に気がついた。白濁した色の石のことを思い出す。結局使わなかったそれを、フェライはそっと取り出した。石をのぞきこもうとする。

 次の時、目の前で石が粉々に砕け散り、乾いた音が監獄塔に飛び散った。

「フェライ!」

 メルトの鋭い声を聞くと同時、フェライは後ずさった。石を持っていた手はひりひりと痛んでいるが、腫れたり傷ついたりしている様子はない。

「な、な、何今の……」

「怪我はないか」

「う、うん、大丈夫」

 うなずいて、フェライは石の床を見る。石は白い粉になり果てて、そこらじゅうに散っていた。遅れてそれを見つけたメルトが軽く顔をしかめる。

「おまえ、何を持っていた?」

「何って……にごった白色の、てのひらくらいの石よ。ここへ来るときに祭司様から、持っておけって渡されて」

「……なるほど。フェライを使って杖のことを聞きだそうとしたのか」

「えっ?」

 思いがけない言葉に、フェライは目をみはった。最初に若い祭司の顔が思い浮かんで、その顔がじょじょに穏やかな微笑の老人へと変化する。もとより白い彼女の相貌から血の気が引いて、蒼白くなった。

「わ、私――」

「大丈夫だ。すべては漏れていない」

「本当?」

 フェライが震え声で問うと、メルトはうなずいた。フェライの衣についた石の名残を指ですくって、にらみつける。

「おそらく、おまえが渡された石は巫覡シャマンたちが遠方での意思疎通に使う石だ。その石に力を通すことで、お互いの思考や石を持っている人間のまわりで起きていることを読みとることができる。おまえの力を通すことでここでのやり取りを盗み聞きしようとしたんだろうが……その前に、俺の力に圧迫されて、石の方が耐えきれなくなったんだ」

「メルトの力って、そんなに大きいの?」

「おそらくな。昔から比較対象が少なかったから、正確なところはわからない」

 そう、と曖昧にうなずいて、フェライは再び床を見る。白濁したような色の石だった粉は、いつの間にか灰色に変じていた。



     ※



 夜も深まりきり、そして朝へ向かいはじめた頃。聖都の空気はいまだ冷たく、壮麗なる街はすべてが死したかのように沈黙していた。その街のただ中で佇む白い衣の男は、この世で唯一の異物であるかのようだった。まだ若いその男は、掌ほどの大きさの石をにぎりしめ、まんじりとそれを見つめる。


 雑音混じりに『意思』が流れこんできていたのが、いつしかなにも聞こえなくなってしまった。そのことに、彼は密かに安堵していた。相手の頭の中をのぞき、ひいては盗み聞きをすることに、仕事であるにしても罪悪感を覚えていたのだ。


 そっと息を吐きだした男は石を衣に隠して踵を返す。本来の仕事場に戻り、彼らの長にこのことを報告しなくてはいけなかった。歩きだそうとしたそのとき、彼はふと違和感を覚え、静かな通りを見上げる。しかし、そこには何者もおらず、冷えきった建物群だけがあった。覡としての力を少々有する彼はしかし、己の力がたちの足もとにも及ばぬものであると知っている。違和感も今すぐ仕事に差し支えるものではなさそうだ。ひとまずは無視することに決めて、彼はそっと歩きだした。


 一方、夜の通りを去る白い衣を、建物の屋根の上から見送る男がいた。取り立てて変わったところもない旅装だが、腰に剣をき、弓と矢筒を背負っている。その男は、町娘たちが熱を上げそうな美貌に不敵な笑みを刷いた。

「あの石……それにあの男、聖教の祭司か。なるほど、栄光ある聖都も、ずいぶんときな臭いことになっているようだな」

 ひとりごちた男は、かなり小さくなった白い衣を追い続けた。それからふいに、膝を叩いた。機敏な動きで屋根から窓、窓から窓へ跳び移り、最後に踏み固められた地面へ華麗に着地する。

「ひとまずは、あれを追うか。が引けなくても、尻尾くらいはつかめるだろう」

 歌うように呟いた男は、悠々とした足取りで、夜の聖都を歩きだす。街の最奥さいおう、聖教の本部を見すえて。

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