第14話 古(いにしえ)の王家

 真昼の資料室に、ひとけはほとんどない。沈黙した書物の山と、無愛想な管理人が彼女らを出迎えた。今日は機密資料を見るわけではないので、なにも言わなくても管理人は通してくれる。

 黙って薄暗い通路を歩くフェライの背に、チャウラが能天気な声をかけた。

「珍しいね。フェーちゃんが自分からこういう雑用やりたいって言い出すの」

「いつもは言い出すひまがないのよ。……それに、ついでにやりたいことがあるの」

「やりたいこと?」

「調べ物」

 おそらくチャウラは首をひねっただろう。だが、振り返って確かめていないフェライに真実はわからない。余計なことを考えないよう、団長から聞いている目的の棚を探し続けた。


 二人の少女騎士が引き受けた「雑用」は、この資料室から資料を取ってくるという簡単な仕事だ。最初はチャウラ一人が行く予定だったが、珍しく手があいていたフェライが大慌てで志願したのだ。先ほどチャウラに告げたとおり、仕事とは全く関係ない用事があるからだった。


「あー、ここかあ」

 目的の棚を見つけ、チャウラが声を上げる。二人は視線で示し合せ、手分けして資料を探しはじめた。資料を取ってくるだけの仕事、ではあるのだが、いかんせん指定された量が多い。もたもたしていると次の仕事に間に合わなくなる。上司の言葉を頭の中で繰り返しながら、二人は腕いっぱいに書物を積み上げた。そして、指定された資料すべてを回収すると、チャウラが「フェーちゃん、それこっちで預かるよー」と言ってきた。フェライはぎょっとして振り返る。

「え、全部持つの?」

「だってフェーちゃん、調べ物するんでしょ?」

「え、あ、そっか。じゃあその、お願いします」

 フェライは少し頬を赤くして、チャウラに書物の山を渡す。陽気な同僚は「はーい」と余裕の表情で受け取った。見かけによらず力持ちで、平衡感覚も抜群だった。

 フェライはさっそく、手近にあった資料を広げた。ここ十年ばかりの出生記録を簡潔にまとめたものだ。彼女が手にした資料をのぞきこんで、チャウラがふしぎそうに目を瞬く。

「出生記録? 何、人探しでもしてるの?」

「当たらずとも遠からず……というか。名前について調べててね」

 文字の列を目で追いながら、フェライは同僚に答える。「名前ー?」と、さらにチャウラは怪訝そうに呟いた。資料の最後まで目を通し、成果が得られなかったフェライは、ため息をついてもう一人の少女騎士を見やる。書物よりも人の口から情報を得た方が早いかもしれないと、思ったのだ。

「ねえ、チャウラ」

「ん?」

「この国に、ユイアトって名前の人、どのくらいいるのかしら」

 榛色の瞳がいっぱいに見開かれる。予想していた反応とはいえ、実際に見せられると苦いものがこみ上げた。

「ユイアトって、初代陛下のお名前じゃん。んー……そんないないんじゃない?」

 チャウラは、ふっくらとした唇に人さし指を当て、天井に視線を向ける。少し考えこんでから、小さく首を振った。

「最初の王様にあやかるって意味で、一部を借りることはあっても、最初の王様の名前をそのまま子どもにつける人は聞いたことがないよ。そんなん、おそれ多くてできないでしょ。子どももやりづらいだろうし」

「……やっぱり、そうよね」

 気分がどんどん重くなる。そのことをチャウラに悟られないよう必死になりながら、資料を棚に戻した。「あれ、もういいの?」と訊かれたので、フェライはうなずいて踵を返す。背後から足音とともに追ってきたチャウラの声が、愉快な音を紡いだ。

「『夜明けの空のごとき瞳をきらめかせ、苦難に嘆く人々を励まし、導いた新王国の祖』って、よく言われるよね。もともとは古王国の人ってことかなあ」

「そうらしいわね。一夜にしてなぜか滅んだ古王国から、命からがら逃げだしてきた人々が新王国を建てたって。その人たちを率いたのがユイアト王、ってね」

 イェルセリアでは寝物語として聞かされることもある、古王国の滅亡と新王国建国の物語。イェルセリア人の例に漏れず、少女二人はそれを軽々とそらんじた。


 管理人に不審な視線を向けられながらも、資料室を出た二人は、団長に資料を託した。チャウラと食堂の前で別れたフェライは、彼女の姿が見えなくなった瞬間、法衣の裾を翻して走る。


 逃れられないものから逃れようとする。

 いくらでも追いかけてくると知りながら。

 馬鹿らしい想像だ。子どもに聞かせるおとぎ話のような。

 けれど、想像が真実ならば。

 それはおとぎ話よりずっと現実離れして――残酷な現実だ。


『早く、会いたい……ユイアト、おまえに』


 あの日聞いた声が、頭から離れない。



 あの奇妙な日以降、フェライが監獄塔に行くと祭司がいる日が増えた。その日は決まって、『“暴走”しないよう見張っておけ』と指示される。そして監獄塔の青年は熱を出して倒れていた。今のところ、怖いことは起きていない。彼を見守り看病して、気晴らしに話をする、穏やかな日々が続いている。その穏やかさが、フェライにとっては怖かった。


 暴走というのがどういうことなのか、巫覡シャマンたちがいったい何を行っているのか、フェライにはなにもわからない。なにも知らされない。そして、彼もなにも言わない。

 彼の思いははじめて会ったあの日から、ひとつも変わっていないのだろう。フェライに危険が及ぶことを恐れている、その一心なのだ。

 けれど、それでも――フェライはもう、見て見ぬふりは嫌だった。



 平べったい扉を横目に見ながら、フェライは壁に背をつけて立っていた。まだ日の高い時だというのに、相変わらず、あたりにひとけはいっさいない。もともと人があまり通らぬ場所なのか、立ち入ることを禁じられているのかは、わからない。フェライが無益なことを考えていると、なにか妙な音が静寂に割って入った。耳を澄ましていると、それが、布がこすれる音なのがわかる。衣のすそが床につくほど長い巫覡シャマンや祭司たちが歩くとき、よくこんな音がする。フェライは無意識のうちに背筋を伸ばした。布の音は淡々と、こちらに近づいてくる。やがて、人影が見えて、その人は静かにフェライの前まで歩いてきた。そして少女にほほ笑みかけた老人は、扉の前で立ち止まる。

「やあ、フェライ殿。お待たせして申し訳ない」

「……いえ、こちらこそ急にお呼び立てして申し訳ございません」

「お気になさらず。では、行こうか」

 言うなり老人――カダル祭司長は、みずから扉を開けて中へ入った。フェライが後を追いかけている間に、自分で行灯ランプに火を入れる。謹慎前、唐突に呼びだされたときと同じ火の灯りが、本棚でうめ尽くされた壁を茫洋と照らしだした。

 フェライは、息をのみ、後ろ手で扉を閉めた。

 静まりかえる部屋。

 ただ、燃える音だけが耳につく。

「さて――」

 その中で、老人の声は異質に聞こえた。

「私に訊きたいことがあるそうだね」

 フェライは全身に力がこもるのを感じた。

 変わらず、恐ろしい老人だ。表情は穏やかなのに、まとう空気は尋常でなく鋭い。聖院時代のフェライなら、彼を前にしただけで涙目になっていたかもしれない。

 だが、ここに立つのは「今」の自分だ。そう言い聞かせて、深呼吸をひとつして、彼女は全身の力を抜いた。

「……『彼』はいったい、何者ですか、祭司長」

 思い切って声を出す。いらえはない。探るような空気を感じたフェライは、言葉を探りながら続ける。

「監獄塔にいる彼は――いったい、どこの誰なのか。祭司長はご存じなのではありませんか」

「聞いてどうするのかね」

「……わかりません。わからないからこそ、知る必要があると思いました。なにも知らぬまま手伝いをさせられている現状が、私にとっては一番恐ろしくて――不快なんです」

 思いがけず、声に力がこもる。カダルも、いささか驚いたように目をみはった。フェライは己の発言をつかのま後悔する。しかし、もとより嘘をつくのは苦手だ。


 知らされぬまま手駒にされるくらいなら、知らされた上で首をねられた方がよい。偽らざる気持ちだった。


 カダルは少し考えたようだった。それから、おもむろに、口を開く。

「イェルセリアの、滅亡と、建国」

 場違いにも聞こえる言葉が、こもった空気をわずかに揺らす。

「イェルセリア古王国の滅亡から新王国の建国までの話を知っているかね、フェライ殿」

「……はい」

 ぎくりとした。数日前、チャウラと話したばかりのことだったからだ。けれど、その動揺をなるべく出さぬように努めながら、フェライは応じた。

「聖教発祥の地、巫覡シャマンたちの拠り所として発展した古王国は、約六百年前、一夜にして滅亡しました。その原因は今もわかっていませんが、なにか大きな力が国を破壊し尽くしたと言われています。

 当時の王太子と聖女が手を尽くして国民を逃がしたおかげで、多くの者は崩壊する国から脱し、この地に逃れました。そして、国民を導いた青年ユイアトが王として即位し、イェルセリア新王国を建国しました。――そう、ですよね」

「そのとおり。さすがアヤ・ルテ聖院を出ただけのことはあるね。よく覚えている」

 カダルは笑顔で称える。フェライは褒め言葉をすなおに受け取ることができなかった。彼の笑顔を見るたびに、少女の心は少しずつ凍っているようだった。

「もう少し付け加えるとね。ユイアト王は王太子の従弟だったとも言われている。古王国最後の王、オルハン三世に子は王太子一人であったから、若い血族はユイアト王しかいなかったのかもしれないな。

 古王国に何が起きたかはいまだわからぬが、王太子は、多数を救うには自分と聖女がとどまらねばならないと判断したのだろう。だから従弟に後を託した――」

「……祭司長」

「『あのお方』らしい決断だと思わないかね、フェライ殿」

 微妙に話題をずらされている気がしたフェライは、苛立った声を上げていた。しかし、次の瞬間に投げ込まれた言葉に、続きを失って立ち尽くす。


 まさかとは思っていた。

 そんなことがあるわけないと思っていた。

 聖教を知っていて新王国を知らないなど、今の時代の人間ならあり得ない。

 だが、どうして六百年も前の人が今まで生きてこられるというのか。


 少女の混乱を知ってか知らずか――老人の声は冷淡に告げた。

「あのお方――メルト殿下は、イェルセリア古王国の王太子その人だ。あの瞳の色が何よりもの証拠だろう」


 少女が見いったふしぎな色。

 薄明の空のような。

 伝説にうたわれる神秘の色。

 それは古王国の頃、王家の血を証明するものでもあった。


「……どうして。それなら、どうして、メルトは今あんなところにいるのですか」

 フェライは、足もとをにらんだままでカダルに向けて問いかけた。もはや、心を鎮めるだけで精いっぱいだ。恐ろしい老人の顔を見る余裕などなかった。

 それでもカダルは怒った様子をかけらも見せない。それどころか、ほほ笑んでいる気配が伝わってくる。

「祭司長は――それを承知の上で、彼にあんな仕打ちを……?」

 明かりが、動く。カダルが、行灯ランプを少し動かしたのだった。火が、床に映る影が、揺らめく。

「私はね、フェライ殿。古王国を滅ぼしたものの正体を突き止めたいのだよ」

 カダルの声がわらう。顔を、上げられない。

「古王国の跡地で殿下を見つけた私は、最初、について知っていることを殿下にお尋ねするだけのつもりだった。しかし殿下はいつまでも口を開こうとなさらない。しかたがないのでげきに調べさせたらね、古王国の跡地には妙な力が満ちていたらしいのだが、それを殿下の『中』からも感じるというではないか」

 フェライはかぶりを振った。

 カダルの言っていることは曖昧で、嘘くさくて、隠しごとの気配がする。肝心なところがぼかされている。そのせいか、話の半分もわからない。――わかりたくもなかった。

「殿下が教えてくださらぬのだから仕様がない。私たちで調べるしかない」

「だから、閉じ込めたのですか。古代の、とはいえ王族を? 敬うべき先祖を?」

「古代の人間をこの時代で自由にさせるわけにはゆかぬよ。それはことわりに反することだ。ただでさえ殿下のお姿は古王国王族そのものであるから、人目に触れさせるわけにはいかなかった」


 理。あなたがそれを言うのか。


 フェライは、そう叫びたい衝動にかられた。だが、すんでのところで言葉をのみこんだ。叫んだところで、無駄だ。下手をしたら、それこそ自分の身が危うくなる。

 黙ったまま、深呼吸を繰り返す。つかのま目を閉じると、またあの日の声がした。


 その後もなにかカダルとやり取りをしたのだが、フェライはそのほとんどを覚えていなかった。気づいたら、夕方を知らせる鐘が鳴っていて、自身は食堂に向かう騎士の群の中にいた。

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