第13話 虚構の平穏

 聖都の巡回を終えたルステムは、神聖騎士団本部前まで戻ってくると深く息を吐いた。彼が今いるのは聖都シャラクと聖教の施設の境目のような細い道だ。この時間、人通りはほとんどなく、静まり返っている。ふと脇に目をやると、柱のまわりを掃除している修行者の姿があった。毛髪をった頭に地味な白い帽子をかぶった青年は、ルステムの視線に気づくと目礼もくれいしたが、すぐに視線をそらして自分の仕事に戻った。ルステムも、短い休憩を切り上げて再び足を進める。


 先ほどの道を抜けると、とたんにあたりが騒がしくなった。任務への行き帰りで交わる騎士たちの波は、絶えることがない。波の一部となっていたルステムは、途中で誰かに声をかけられた。同期の騎士だ。ルステムとは逆に本部の方から出てきた彼は、ルステムに軽い労いの言葉をかける。その後、すぐには立ち去らず、彼を呼びとめた。

「そういえばルステム、フェライは最近、何をしてるんだ?」

 思いがけない名前を出されて、ルステムは目をみはった。

「何って……ああ、なんか違う仕事が増えたらしいな。言っとくけど俺もなにも知らないからな。機密事項だから教えられない、って言われた」

 先手を打つと、騎士はあからさまに残念そうな顔をする。ルステムは思わずかぶりを振った。


 フェライは謹慎が解けてからというもの、ずいぶんと忙しそうだ。『施し』だけでなく、別の仕事もしているらしい。聞いたところによると、『力』の扱いの訓練をする時間も以前の倍になったという。彼女をうかがう騎士たちの中には「団長に監視ついでの使い走りをやらされてるんじゃないか」とか「騎士団をやめて聖教の巫女になるのでは」などという、変な噂を流す輩までいる。

 一緒にいることの多いルステムやチャウラも、詳しいことは教えてもらえず、首をかしげあうしかなかった。


「なんの仕事してんだろうなー」

「あんまり詮索するなよ。おまえが気にすることじゃないだろ」

「ルステムは気にならないのか」

「気にはなるけど、機密なんだから知りようがない。本人が楽しそうだから悪い仕事じゃないんだろうし」

 これが本当に、騎士たちの噂のとおりなら、フェライはもっと落ちこむはずだ。例えば、そう――謹慎前のように。それが『新しい仕事』を始めてからは、楽しそうというか、はつらつとしているのだ。笑顔も増えた。いいことではないか、と、ルステムは自分に言い聞かせる。

 調子のいい同期は、そんな彼の心の隙をついてきた。

「優等生のふりしなくていいんだぜ。フェライが訓練や演習に顔出すことも減ったし、会える時間がどんどん少なくなってさびしいんじゃねえの?」

 まわりに聞こえるか聞こえないか、微妙な声量で話しかけてこられると、ルステムは思わず唇を噛んだ。――これだから同年代の騎士は面倒だ。こちらが嫌がるわかっていて、わざと隠している部分をつつこうとする。

「――るっさいな、ほっとけよ」

 思いがけずきつい声が出た。同期の戸惑ったような顔を見て、ルステムは舌打ちする。

「ほら、あんま油売ってると先輩にどつかれるぞ。これから警備かなんかじゃないの?」

「わーかった、わかった。行ってきますよっと」

「はい、行ってらっしゃいっと」

 唇をとがらせ、走り去って行った同期をルステムは手を振って見送る。その姿が完全に見えなくなると、ため息がこぼれた。今日はため息をついてばかりだった。



     ※



 同じ頃、古い監獄塔の一室に、噂の少女の脱力しきった声が響いていた。

「ま……負けた……」

 フェライは文机に突っ伏してうめく。対面では、メルトが喉を鳴らして笑っていた。二人の間にはます目の描かれた盤があり、その上には石でできた赤と黒の小さな駒が並んでいる。イェルセリアに関わらず、大陸中部地域に古くから伝わる盤上遊戯の道具だった。

 この盤上遊戯は、将棋シャトランジと呼ばれている。王、将、象、馬、戦車、歩兵、に見立てた駒を先手後手に分かれて動かし、相手の王を追いつめた方が勝ちである。

 メルトの監視役せわがかりの任に就いているフェライはこの日、先輩騎士に頼んで、道具一式を貸してもらった。いつもの項目確認の後にメルトと対戦しはじめ――惨敗したのだった。

「フェライもなかなかやるじゃないか」

「うう、勝者の慰めは染みませんよ……」

 フェライが天板に顎をつけてうめいていると、メルトは軽く肩をすくめた。自分が使っていた黒の駒をかき集めながら、なにげないふうに訊いてくる。

「聖院とやらでは用兵も習うのか?」

「習わない……。習わないけど道具はあって……娯楽なんてこれくらいしかなかったから、みんなでやってたんです」

 ちなみに、フェライは聖院の中ではそこそこ強かった。だから自信をもって勝負にのぞんだのだが、結果はご覧のとおり、である。しょせん自分は狭い世界しか知らなかった、というわけだ。

 気を取り直して起きあがったフェライは、赤い駒を手早く集めた。そして道具を片付けている最中、気だるそうに背を伸ばしたメルトが、笑い混じりに話しかけてきた。

「おまえ、ふだんはあんなふうにしゃべるんだな」

「え?」

 一瞬、なんのことだかわからずに、フェライは首をひねった。しかし、対戦中のことを思い出し、「あっ」と声を上げる。この手の遊戯は熱中すると自制がきかなくなるもので、フェライもついついふだんの口調で話してしまっていたのだった。

「わー……すみません」

「いや、新鮮でおもしろかったからいい」

「お、おもしろいって」

 笑顔でメルトに手を振ったフェライは、しかしその手をふと止めた。こちらを見つめるメルトの瞳が、見たことのない感情の色を持っている気がした。


 懐かしむような。そして――少し、悲しげな目だった。


 フェライは少し考え込んだ。駒をまとめ、盤を畳むと、「よしっ」とひとつうなずいた。怪訝そうなメルトに向き直る。

「あの、メルト……ふだんどおりにしていい?」

 メルトが軽く目を見開く。「なんだ、やぶから棒に」裏返った声を上げる青年に、彼女はなんと答えたものか迷いながらもほほ笑んだ。

「私ばかり他人行儀なのも、どうかなって、少し思って……生意気に聞こえたら悪いんだけれど……」

「いや、おまえがやりやすいならそれで構わない」

「本当?」

 フェライがぱっと顔を輝かせると、メルトは真剣にうなずいた。彼女はひとり「やった!」と拳をにぎる。向かいからの温かな視線に気づかないまま、盤の上にいつもの紙束を置いた。

「そういえば、メルトはどうして将棋シャトランジが得意なの?」

 ふと思いついたことを訊くと、メルトは小首をかしげた。

「どうして、と言われても……よくやっていたからかな。俺のまわりには強い奴が多かったし」

「へえ……メルトより強い人なんて想像したくないけど」

 相槌を打ったフェライは首をかしげた。メルトのまねをするみたいになってしまったが、偶然だ。


 小さな、棘のようなものを感じる。違和感というほどでもない、小さな小さな棘。

 けれどそれは、思いかえせば、日々増えていっていた。

 例えば、食事。食事時にフェライがここへ来ることはめったにないが、たまに重なることもある。そのときに、メルトの上品な食べ方を見て感動したことがあった。騎士たちの食事風景に慣れてしまっているフェライにしてみれば、落ちつかないくらいだった。貴族の人のようだった。

 それは食べ方だけではなかったのではないか。新王国のことをなにも知らなくても、それを補って有り余るほどの知識と教養があって、武術の経験もあって、文字も当然のように読める。

 見ないふりをしてきたが、とても大事なことを見落としているような気がする。


「――フェライ? どうした?」

 フェライは、呼びかけられると、うわずった声を上げた。それすら自分の耳に遠く聞こえた。考えごとをしすぎていたと、ようやく自覚する。

「あ、ご、ごめんなさい! なんでもないわ」

 フェライは慌てて首を振った。

 今、尋ねればいいではないか。そんな考えがよぎったが、フェライの声は望む言葉をつむがない。


 胸中に刺さった棘をそのままに青年と別れ、仕事をして食事を摂り、眠って起きる。『施し』を終えて監獄塔へ向かったフェライは、この日もいつものように過ぎると思いこんでいた。

 しかし、監獄塔の入口に立ったところで、ぎょっとして足を止めてしまった。いつもは無人の入口に、例の祭司が立っていたのだ。祭司はフェライに気づくと、「こちらへ」と言う。嫌々ながらも彼の前へ立ったフェライは、礼をした。

「何かございましたか」

「――今日はいつもの確認は必要ない」

「え?」

 フェライは思わず、祭司の顔を凝視した。

 確認が必要ないということは、今日は監獄塔に入るなということか――彼女の疑問を読みとったのか、祭司はそのまま続けた。

「任務にはついてもらう。しかし確認は必要ない。暴走が起きぬよう見張っているだけでよい」

「……暴走?」

 フェライは、慣れない言葉を反芻した。嫌な響きがある。「どういうことですか?」と訊いたものの、祭司はそれ以上ものを言わなかった。早く行けとばかりに、流し目で入口をにらむだけだ。フェライはしかたなく質問をあきらめた。


 中に入って祭司の姿が見えなくなったとたん、駆け足になる。心臓の音が、呼吸の音がうるさい。逃れられないものから逃れようと走っているうちに、扉の前に着いた。すっかり息が上がっていたフェライは、その場でしばらく膝に手をついて休んだ後、扉をにらんだ。

 どうか、なにも起きていませんように。彼女は一言唱えてから、扉を押しあける。

 フェライはせめて、いつもどおりに挨拶しようと顔を上げ、その場で凍りついた。

 今日のメルトは座っていなかった。かたい寝台にぐったりと横たわっていた。瞼が閉じられているから、蒼紫色の瞳は見えない。うなされているようで、ときどき小さな声はした。

 フェライはわずかな間だけ呆然と立ち尽くし――ぼうの呪縛が解けると、扉を閉めることも忘れて駆けだしていた。

 青年の体にすがりつく。何度も名前を呼んで揺さぶると、落ちていた瞼がゆっくりと持ちあがる。彼がほんの少し顔を上げたところで、やっとフェライは相貌をまともに見ることができた。頬が赤くて、額が汗ばんでいる。いつもは硬質な雰囲気を漂わせている青年が、今日に限ってひどくもろく見えた。

「……フェライ?」

「メルト、大丈夫?」

 茫洋としている目が自分を認識したことに安心し、フェライは少し落ちついた。メルトの方も、少しすると状況がわかってきたらしく、ため息混じりの声を上げながら、上半身を起こす。フェライは慌ててその肩をつかんだ。

「あの、無理はしない方が……」

「いや、平気だ。慣れてる」

 メルトはしんどそうな声で言う。平気には見えないが、慣れていると言い張る声に偽りの気配はない。フェライが戸惑っているのをよそに、彼は平然と向き合ってきた。

「すまん。驚いただろう」

「いや、驚いたというより、ただただ心配なんだけど……本当に平気?」

「平気平気。一晩寝れば戻るだろ」

 相変わらず声色は重たげなのだが、それを指摘すべきかどうか――少女は戸惑う。だが、その困惑は続いた言葉に打ち消された。

「どうも巫覡シャマンたちが、俺を使ってなにかしたいらしくてな。知らない術を使って効果を見ていくことがある。で、その反動で翌日には熱が出る」

 メルト自身はこともなげに言い放った。しかし、フェライは蒼ざめた。


 知らない術を人にかけて効果を見る――それは、人体実験というのではないか。


「しかし、いい加減、うんざりして……きたな……」

 もはやなにも言えずに、フェライが固まっていると、目の前の体が急にかたむいた。フェライは、慌ててそれを支える。

「やっぱり、平気なんて嘘じゃない」

 思わずそう呟いた彼女は、重くなった青年の体を横たえた。額に手を当てると、やはり熱い。なにかした方がいいのではないか、と悩むフェライの耳に、かすれた声が届いた。

「早く、会いたい……」

 続けてささやかれた名前を聞いたフェライは、全身が冷えるのを感じた。

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