第12話 新たな仕事
「よし!」
声を張って叫んでから、左右の頬を軽く叩く。通りすがった騎士がふしぎそうな目を向けてきたが、フェライは気にしていなかった。
今日は昼過ぎから『施し』がある。よって昼まではひまだ。ひまとなったら、やることは決まっていた。謹慎が解けてから九日経ったこの日、フェライは気合十分で晴れわたった空の下に飛び出した。向かう先は大礼拝堂、以前祭司長に呼び出されたあの小部屋だ。
爽やかな青空の端で輝くまっ白い太陽が、熱の
暑さの中で
大礼拝堂の入口近くに、信者の集団があった。朝の祈りを終えたばかりで、これから街に帰るところなのだろう。頭に桜色の布を巻いた少女が、すらりと背の高い女性に手をひかれながらフェライのすぐ横を通りすぎていった。フェライは彼らの視線から逃れるように大礼拝堂の横手へ回ると、柱の陰になってわかりづらい入口から礼拝堂の中へ滑りこんだ。
外と打って変わって冷え冷えとした廊下を歩き、小部屋の前まで行くと、祭司が一人、立っていた。謹慎中にフェライを訪ねてきたあの祭司だ。彼は見知った少女の姿を見つけるとひとつ礼をして、衣の下から書類を取り出した。
「ここに書かれていることを確認すること。漏れのないように気をつけなさい。報告は、私か祭司長の方に」
くぐもったような低い声でそう言うと、祭司は紙束を押しつけるように渡してきた。慌ててそれを受け取ったフェライは、「説明不足にもほどがあるわ」と内心で悪態を突きながら、書類にざっと目を通した。少し眉をひそめている間に、祭司が背を向けてしまう。呼びとめようとしたが遅かった。遠くなった白い衣に、今度こそ声を出して毒づきながら、少女はしぶしぶその場を去る。
騎士団本部へ戻る道すがら、フェライは少しずつ、書類を読みこんでいった。『確認するように』とぶっきらぼうに押しつけられた項目は、「顔色」「食欲」等のわかりやすい項目から始まり、「生命の強さ」「波の幅」など、一見しただけでは意味のわからない項目も並んでいる。おそらくこのあたりは、
「これ、メルトに見せてもいいのかしら……。いや、見せたくはないけど……意味がわからないんじゃ話にならないし……」
うんうんとうなったフェライは、つかのま足を止める。先の小部屋の前に引き返そうかという考えがよぎったが、おそらくあの祭司は、すでに自分の仕事に取りかかっているだろう。人に
『初仕事』から重い泥のかたまりを胸中に抱えて、フェライは騎士団本部――翠の庭の監獄塔に向けて、足を進めた。
「おはようございます!」
フェライは笑顔で声を張った。明るい声は、監獄の壁という壁、天井という天井に反響したように思われた。
それを聞いたメルトはというと、驚いた顔をしつつも怒ることはなかった。堅い寝台から気だるそうに身を起こし、苦笑している。
「ああ、フェライか……。おまえは本当に、元気がいいな」
「はい! 今のところ元気の良さと治癒の力だけが取り柄なもので!」
底抜けに明るい自虐発言を、メルトは気に留めなかったようだ。「そうか」と言いながら自分の手枷を確かめはじめた彼のところへ、フェライは慎重に歩み寄る。
はじめて監獄の中へ来たときは、いろんな感情がないまぜになっていて、あたりを観察する余裕がなかった。今は少しずつ、まわりの状況、環境を見ることができはじめている。メルトがいるこの部屋は決して広くない。騎士団の宿舎の部屋と同じくらいか、それよりやや狭いか。その狭い部屋の壁際に寝台がある。寝台のそばに、おまけほどの小さな
メルトの手枷は両端に鎖が伸びていて、その鎖はさらに壁に固定されているから、どうしても動ける範囲は限られてくる。だからなおのこと、この部屋でできることなど知れていたのだろう。フェライであれば気が狂いそうな日々の中、メルトはいつも、寝台のふちに腰かける形で鉄格子の外をながめていたのだ。
冷静に、
「おまえ、祭司からなにか押し付けられなかったか?」
「えっ? あ、ご存じなんですか?」
慌てふためいたフェライは素っ頓狂な声を上げる。しらを切った方がよかったかと後悔したのもつかのま、彼から思いもよらぬ言葉が返った。
「見せてみろ。あの確認項目、わからないものがあっただろう」
フェライは唖然としてしまった。メルトの方から書類を見に来るとは思っていなかったのだ。わからない部分があったのは事実なので、すなおに書類は差し出したが、紙束を渡すときに手が震えてしまう。
項目が淡々と並んだ紙面は、彼女が見ても快いものではなかった。メルトは怒ったり、傷ついたりしないのだろうか。それとも、そんな感情すら麻痺してしまっているのか――。
少女がぐるぐると考えこんでいる間にも、青年は淡々と紙をめくってゆく。ひととおり見たところでフェライを呼ぶと、彼女が首をかしげた項目について、説明してくれた。抽象的なそれに最初は理解が追いつかなかったが、「生命」や「波」と書かれているのはどうも、フェライが力を使うときに感じている熱と同類のものらしい。
「要は呼称がいろいろあるというだけだ。俺の中の『それ』をおまえがどう感じたかを報告すればいいんだろう」
「か、感じる……と言われても。そもそもどうしたらいいんでしょう」
「人の傷を癒すとき、自分の力を相手に送り込むだろう。あのときの感覚を思い出して、『力』は使わず意識だけを相手の中に潜り込ませる」
「ええ……? よくわかりません……」
「
平気な顔で腕を差し出してくるメルトに、フェライは困惑する。立場が逆転しているような気がしてならない。が、嫌そうな顔をされなかったことに安心しているのも、確かだった。フェライはありがたく、青年の腕をとった。
『施し』と同じ、ただ力を使わないだけ。そう己に言い聞かせ、いつものように意識を集中させる。
人の傷を癒すときは、傷がどのように修復していくか、その過程を詳細に自分の中に描くことが重要になってくる。どこか一所でも間違った道筋を描けば、傷をきれいに治すことはできない。フェライは昔、何度も失敗した。
今回も考え方は同じだった。祭司たちが「見たい」「知りたい」ものがなんなのか、丁寧に考えながら、慣れない海を泳がなければならなかった。
格調高い字が綴る言葉をひとつずつ思い出して、道標として、波を、流れをつかんでいく。
その果てに、彼女は、白い空の下に広がる草原を見た。
奇妙に高く、それでいて獣じみた声がした。それが自分の声だと、フェライはすぐに気付けなかった。
冷えた空気が肌に触れ、黴臭い空気が鼻と口から入ってくる。どこかで石がぱきりと鳴って、ようやくフェライは現実に戻ってきた実感を得た。よろけるように二、三歩下がって、額ににじんだ汗をぬぐうと、心配そうな青年の顔を見つめ返す。
「なんですか……今の……」
「何が見えた」
「よ、よくわかりません……草がいっぱい生えてて……でも、空はまっ白で、風もない……おかしなところ……」
フェライは顔半分を手で覆った。何が言いたいのか自分でもわからない。ただ、要領を得ない言葉を聞いたメルトは神妙に考えこむそぶりを見せた。
「それは、感じすぎだな。よけいなものまで見てしまっている。巫女と同じ訓練をしないと、おまえ自身が壊れるぞ」
「うう……仕事どころじゃありませんね……」
「……まあ、カダルもおまえに最初から完璧を求めてはないだろう。
気負うな、という声に肩を叩かれ、フェライはようやっと顔を上げた。
気を取り直して、ほかの項目を確認していく。自分が医者か研究者になったような違和感と戦わなければいけなかったが、メルトが協力的だったのは救いだった。
すべての項目を確認し終えたフェライは、そこでやっと、心からほほ笑むことができた。
「さて。それじゃあ、今日は何をしましょうか」
項目の確認と報告だけしてくれれば、後は時間内に何をしてもいいと、カダルは言った。つまり、庭で稽古と話をしていた頃と変わりない。しかも、二人の間の鉄格子は取り払われたのだ。――祭司たちの監視下に置かれることを条件に。
だから、フェライは悪事の片棒を担ぐことを受け入れた。どうしてこんなことを調べるのだろう、という疑問に目をつぶって。
しかし、目をつぶってばかりもいられないと思うようになるまで、そう時間はかからなかった。
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