第6話 夜闇の槍と二人の聖女

 気合のこもった声が上がる。剣が音を立てて交差する。蒼穹の下、山々を遥かに見る演習場は、息がつまりそうなほどの熱気に包まれていた。

 一方のフェライは今日も、区切られた砂地の片隅で自分の出番を漫然と待っている。


 神聖騎士団の騎士たちは、基本的にはいつもまじめに訓練、鍛錬をする。とはいえ今日はいつも以上に気合が入っていて、団長や副団長の指導にも熱が入っていた。

 当然のことだ。今日は、聖女ギュライが神聖騎士団の本部を訪ねてくる日なのだから。


 聖女は基本的に、日々の務めを淡々と繰り返す。務めのほとんどは礼拝堂で行われるものなので、聖女は大礼拝堂と聖都の小さな礼拝堂を行き来するばかりで、神聖騎士団の方には顔を出さない。だからときどき、今日のように『神聖騎士団を訪ねる日』をつくって、騎士たちの様子をご覧になる、というわけだ。


 いつも以上に熱のこもった騎士たちを見回し、その中に顔なじみの少女の姿を見つける。チャウラはちょうど、飛びかかってきた相手役の騎士の肘を押さえて上に持ち上げたところだった。唐突で、予想外の反撃に騎士はよろめく。その間にも軽やかに後退していたチャウラは、「えいやー」と気の抜けた声を上げながら、剣を相手へ突き出していた。鳩尾に剣を受けた騎士は、聞いている方が痛々しくなる声を上げ、ふらふらと後ろに下がった。そのまま自分の剣を下げ、降参の意を示す。

 刃が潰されているとはいえ、今日の剣は金属だ。切れはせずとも凶悪な鈍器である。あの騎士は後で診た方がいいかもしれない、とフェライは頭の中に書きこんだ。

 チャウラも少しやりすぎたと思ったのか、ひきつった笑みを浮かべて相手の手を取り、なにかを言っていた。いつもは布でまとめている茶色の髪が、首まわりでふわふわと揺れている。慣れ親しんだ同僚の姿に苦笑したフェライは、ふと気になってもう一人の同僚――ルステムの姿を探した。


 ルステムは今日、砂地の右端で同年代の騎士を相手に立ち回りの練習をしている。相手役が誰かは後ろからではわからない。男の騎士団員には比較的珍しい、肩にかかるほどの長さの黒髪がときどき動いているのが見えるだけだ。けれど、ルステムと立ち位置が入れ替わった瞬間、フェライは「あっ」とささやいた。

 騎士の体は細く、それでいて騎士らしく鍛えられている。けれど彼の肌はふしぎなほど白く、端正な顔立ちをしていた。鼻が高く、眉は太いが手入れされている。切れ長の目も相まって、なんとも舞台映えしそうな顔立ちであった。

 フェライは彼を知っている。名を、デナンといった。年齢からもわかるとおりフェライたちの同期で、修行時代はルステムとつるんでいたので、覚えていたのだ。騎士団に正式入団してからは遠目に姿を見かけることしかなかった。ルステムと一緒にいるところは久々に見る。

 フェライは二人を食い入るように見続けた。本当は、誰かが怪我をしないかとか、ルステムの剣技がどれだけ上達したかとか、いろいろと考えるつもりだった。けれど今や、それらのことは頭の中から吹き飛んでしまっていた。



 鍛錬の時間が終わり、フェライによる治療も済むと、帰り際にチャウラが近寄ってきた。フェライはちょうどよかったとばかりに、ルステムとデナンのことを声をひそめて話してみた。チャウラは、さして驚いたふうでもなく、手を打った。

「あー、デナンね。私らはちょいちょい鍛錬で一緒になるけど、フェーちゃんとは接点なくなっちゃったもんね」

「やっぱりそうかあ」

 鍛錬にはふつうに参加しているらしい。彼に近寄らなくなったのは、剣を取ることを禁じられたフェライの方だった。そう思うと苦々しさがこみあげてきて、フェライはため息をついた。

「あーあ。アヤ・ルテ聖院せいいんで修行してた頃は、男も女も巫覡シャマンも従士も関係なくってよかったなあ」

「そうだねえ。従士候補は私らの世代にはいなかったけど」


 アヤ・ルテ聖院は、聖教に身を捧げる人々の修行の場だ。聖都からは少し離れた、ギュルズという町のはずれにある。聖女や従士が正式に任命される前の「候補」時代に修行を積む場であると同時に、見習い騎士たちの下積みの場でもあった。フェライもルステムもチャウラもデナンも、そしてもっとさかのぼれば団長ハサンも、聖院での修行を経て、今、ここにいるのだ。


 フェライはなんとなしに天井を見上げる。翠色の瞳が、つかのま過去をなぞった。

「ルステムが先輩の目を盗んで、本物の剣を持ち出してきたことがあったよね」

「あー、あったあった。それで私とデナンが感触確かめてるときに先輩に見つかってさ、雷落ちたよねー」

「あのときは聖院から追い出されるかとひやひやしたわ」

 少女たちは歩きながら笑いあう。けれども、そのすぐ後、フェライは笑顔をひっこめた。行く先に不自然な人だかりができているのを見つけたからだ。彼らはフェライ達の方、もっといえば自分たちが出てきたばかりの砂地の方を見て、なにかを待っている様子だった。一回り年上の男とぶつかりそうになったフェライは、慌ててよけてから、チャウラにささやきかける。

「な、何を待ってるのかな。いつもだったら、みんなさっさと引きあげるのに」

「うーん。予想は、つくけどねえ」

 答えながら、チャウラはどこにしまっていたのか、白い花の模様が入った紫の布を広げ、ぱっと空を叩く。そうして伸ばした長い布を慣れた手つきで頭に巻きはじめた。頭を包むように巻く町娘たちと違って、彼女は髪をまとめ上げるように布を巻く。

「予想つくの?」

「忘れた? 今日はどこのどなたがいらっしゃる日か」

「どこのどなたって――あっ」

 フェライは思考にふけりかけて、けれどすぐに気がついた。彼女が目を見開いたそのとき、背後がにわかにざわついた。

 フェライとチャウラは慌てて振り返り――その瞬間、目の覚めるような青い瞳を見た。至近距離ではないはずなのに、その瞳はやけに近く見えた。瞳の持ち主である若い男は、なんの感慨もなく、騎士たちの群を睥睨へいげいしている。

「何を騒いでいる」

 低く、短い言葉には、人を圧する力があった。

げいに仕える騎士たちが、猊下の歩みを阻むような真似をするな」

 淡々と言いながら、男は抱くように携えている槍をちらつかせる。丸だしになった槍の穂先が、日光を弾いて白く光った。男も女もたじろいで、そそくさと端に寄る。フェライとチャウラも群の一部になっていた。

 男はいばらなかった。それどころか、みずからも流れるような動作で退いた。彼の進んだ方にいた騎士たちが蒼ざめる。

 空気が一気にはりつめた、そのとき。

「タネル、ほどほどになさい」

 静かな声が降った。鈴の音のごとく清澄な響きが、ふっと空気をやわらげる。

 タネルと呼ばれた男が、恭しくこうべを垂れた。彼が顔を向けた方から、人が歩いてくることに気づき、フェライは息を詰める。

 鮮やかな青の布で髪を隠し、同じ色の長衣をまとった女性だった。すそが床につきそうなほど長い衣には、ところどころにぎんで細かな模様が描かれている。複雑な模様の端々に、いくつか円を見いだせる。なにかの象徴だろうかと、フェライが考えているうちに、彼女は男の前で足を止めた。

わたくしを思ってのことだとは理解していますが、威圧しすぎれば人々がおびえます。ましてや彼らは、ロクサーナ聖教を守る騎士たちなのですから、労わねばなりませんよ」

「はっ。申し訳ございません」

 男はあくまでもきまじめに頭を下げる。彼女は――聖女ギュライは、少し顔をほころばせたあと、左右の騎士たちを見渡した。

「誉れある騎士たちよ、あなたたちの努力を、そして熱意を、今しがたこの目に焼き付けました。わたくしはあなたたち強き騎士を誇りに思います」

 凛とした声が、道に響き渡る。気づけば誰もが黙りこんでいた。その黙りこんでいる騎士たちに、ギュライは丁寧に言葉をかけてゆく。その途上、彼女は少しおどけたふうに言った。

「先刻はわたくしの従士が場を騒がせてしまい、申し訳ありませんでした。――決してあなたたちを脅そうとしたわけではありません。彼は些かまじめすぎるのです」

 そこが美点でもあるのですが、と小さく続けた彼女を、騎士たちは驚きと尊敬をもって見上げていた。

 一方、少女二人は観客気分で彼らをながめている。チャウラが、人混みの中で、少し背伸びした。

「うわーすごい、ギュライ様だ。近くで見たのはじめてー」

「なに町の男の子みたいな反応してるのよ」

 フェライは呆れてため息をついた。しかし、この場の主役の男女二人がこちらへ向かっているのを見つけて、表情をひきしめる。

 再び、青い瞳が光った。

 従士。聖女の従士だ。確か、タネルと呼ばれていた。

 中庭で綿菓子ハシュマッキを片手に話していたことを思い出す。謎多き聖女と従士が、今、こんな近くにいる。そう思うと、妙に息が苦しくなった。

「あら、あなたは――ひょっとして『騎士団の聖女』と呼ばれているですか」

 その声は、すぐ近くで聞こえた。フェライは固まった。視界の端のチャウラも、ぎょっとして後ずさっている。

 聖女の顔が目前にあった。長い布のせいで顔の輪郭はぼやけているが、美しい人だとは、わかった。宝石のような黒い瞳が、きらきらと輝いている。


 まずい。フェライは、蒼ざめた。


 どうして、よりにもよって。『聖女』様に一番知られたくない名が、知られてしまっているのだろう。


 フェライは怖かった。いっそ消えたかった。タネルが槍を自分に向けてくることを少し期待した。

 しかし期待は裏切られる。タネルは聖女のそばに控えているだけだ。そして当の聖女は、なぜか嬉しそうに、フェライの顔をのぞきこんだ。

「あ、あの」

「お会いできてよかった。わたくしと同じ治癒の力を使うと聞いていたから、どんなだろうと気になっていたのです」

 怒られることはなさそうだ。それどころか、なぜか喜ばれている。フェライは目を白黒させながらも、なんとか「こちらこそお会いできて光栄です」という言葉をひねり出した。上出来である。

「あなたからは明るく温かな光を感じます。その光と力は、きっとあなたの助けとなりましょう。これからも務めに励みなさい」

 純真を音にしたかのようだった。少女は軽く目をみはり、それを覆い隠すように、笑みをつくってこうべを垂れた。

「ありがとうございます、ギュライ様」



 間もなくギュライとタネルがその場を去ると、騎士たちは沸騰したように騒ぎはじめた。緊張して疲れきった少女二人は、うるさい人混みを抜けだそうと、ひたすら歩く。しかし、その途中でチャウラが急に背伸びをした。

「あっ、デナンだ!」

「えっ!?」

 チャウラの言葉に、フェライは慌てて振り返る。固まって話す五人の騎士の輪のむこう側に、見覚えのある青年がいた。黒茶の瞳はこちらを見ているような気もする。しかし、チャウラが「おーい」と手を振っても、彼は応じなかった。そっぽを向いて歩き去ってしまったのだ。

 デナンの後ろ姿を残念そうに見送って、チャウラがぽつりと呟く。

「……そういえば、デナン、話しかけてこなくなったなあ」

「そうなの?」

「うん。鍛錬では一緒になるけど、こっちを見ても挨拶しかしないの。ひどいと挨拶もしないときがあるんだよねえ。聖院時代はルスの次にうるさい子だったのに」

 フェライは軽く首をひねった。そういえば、先のルステムとデナンも会話らしい会話をしていなかったように見えた気がする。

 二人の間になにかがあったのか。それとも、デナンの中に気持ちの変化があって、距離をとっているのか。

 そういうこともあるだろう。時が経てば、人も変わる。

「またどこかで出会わないかしら。久々に話がしたいわ」

――だから、きっと、少しさびしいと感じるのは自分のわがままなのだろう。

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