第61話

 楠原が階段から転落し、満の家に石が投げ込まれた日から二日が過ぎた。


 あれから満の母親は警察に緊急通報をし、その十分後には近所にある駐在所から警察がやってきた。警察は満と母親に、何かこのような事をされる覚えはないかと聞いたが、二人とも無いと答えた。

 満は正直心当たりがあったが、楠原の件と関わりがあるだろうという事は言わなかった。犯人が分かっているならばともかく、犯人が誰かわからない状況では、もし犯人に満が警察に喋った事がバレれば犯人が捕まる前に何をするか分からないからだ。

 その日、満は数年振りに母親と並んで眠った。


 そして、翌日の木曜日。

 前日に色々とあったので、母親は満に学校を休んではどうかと言ったが、満はそれを断りいつも通りに登校した。精神的には疲れていたが、今は目まぐるしく変わる学校の情勢から目を離したく無かったのだ。

 満が学校に行くと、停学が解けた真瀬田が登校してきていた。真瀬田は仲の良かった市原の裏切りについて矢上に聞いていたらしいが、元「犬」達と一緒にいる市原を見て、やるせなさそうな顔をしていた。

 それから、前日の楠原の事については、朝のホームルームで里中が「昨日楠原さんが階段で転んで怪我をしました。かなり大きな怪我をしたそうなので、しばらく学校をお休みするそうです。皆さんも階段を上り下りする時は気をつけましょう」と、事務的な口調で軽く触れただけであった。皆はその事に驚いていたが、里中に突っ込んだ質問をする者は誰もいなかった。それは楠原の事を気にしていないというわけではなく、単純に里中に聞きづらかっただけなのかもしれない。

 里中が楠原の話をしている時、満より前方に座っている大島の背中からは何も感じ取る事はできなかった。ただほんの少し、動揺しているように見えない事もなかった。

 そして、里中との和睦の影響もあってか、その日は一日平和そのものであった。前日に続き授業中に喋っている者も多かったが、クラス全体としては前日より明らかに大人しくなっていた。


 満も、そしてクラスメイト達も里中という人物に色々と振り回されたが、結果的にはこれで良かったのかもしれない。楠原の事は気掛かりではあるが、それは考えてもどうしようもない事だ。


 そして金曜日。

 土曜日を明日に控え、穏やかな日常を取り戻した満と松村は、西之原の家に遊びに行く事となった。満達は真瀬田と矢上も誘い簡単な祝勝会のようなものにしようと考えていたのだが、真瀬田は謹慎が解けたばかりで学校が終わったら直帰するように親に言われているらしく、矢上は女子が自分一人なら行かないと言って参加しなかった。


「まっちゃん、うめー棒ばっかり買い過ぎだって」

「えー、うめー棒最強じゃん!」


 三人は和気藹々とコンビニで菓子を買い、西之原の家へと向かう。

 その途中、一人でトボトボと通学路を歩いている市原の背中を見つけた。なんだか気まずくて、満と西之原が互いに目配せをしていると、突如松村が大きな声で市原の名を呼んだ。


「市原さん!」


 市原はこちらを振り向くと、気まずそうに顔を伏せながらも立ち止まる。和睦が成立したとはいえ、やはり裏切り者という立場上、満達とは顔を合わせ辛いのだろう。そんな市原に松村は駆け寄った。


「これからニッシーの家で遊ぶんだけど、市原さんも来ない?」

 松村の予想だにしていなかった言葉に、満と西之原、そして市原も驚く。松村は「いいよね?」と言わんばかりにこちらを見てくるが、二人はただ頷く事しかできなかった。


「あの……何で私も?」

 市原の口にした疑問は、満も西之原も当然抱いていた。市原と満達の関係は、話した事のない男子と女子よりも遥かに気まずい。裏切りの件だけでなく、事故とはいえ裸まで見てしまったのだから。更に満にとって市原は、楠原を転落させた人物の候補にも上がっていた。

 しかし松村はそんな事気にしていないようだ。


「だってさぁ、僕達の目的ってクラス平和じゃん。だから僕達も市原と仲直りしなくちゃ! あ、別に喧嘩してたわけじゃないけど」


 どうやら松村だけは、満達の中で唯一和睦の先を見ていたようだ。松村のその場のノリと思いつきかもしれないとはいえ、満は正直感心してしまった。

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