第60話

 しかし、ただ怯えるよりも考えなければいけない事がいくつかある。それはなぜ楠原が階段から突き落とされたのかという事だ。


 楠原の日頃の行いを思い返せば、彼女に恨みを持つものは少なくはないだろうが、順当に考えれば犯人は楠原に強い恨みがある大島か、楠原に侮辱を受けた里中の二択であろう。

 しかし、もしあの楠原の転落が事件だと判断されれば、身近な五年一組の生徒達に真っ先に疑われかねない二人が階段から突き落とすなどという安易な方法で復讐をするだろうか。そもそも階段から突き落とすという手段は、例え楠原に顔を見られずに突き落とせたとしても、楠原が死ななければ誰かが押したという事が楠原の証言でバレるのだ。


 いや、もし楠原が誰かに押されたと証言して、里中や大島が疑われたとしても、彼女達がすっとぼけるのは容易かもしれない。なぜかは知らないが、学校はあの件を絶対に事件として扱いたくないというのを、満は今日の教師達の対応から感じた。だとすれば、生徒達から里中や大島がやったのではないかと証言があっても、学校は全力でそれを揉み消すであろう。大島はともかく、里中は学校がそういう体質だという事をよく知っていたはずだ。となれば、やはり犯人は里中ではないだろうかと満は思った。


 しかし、いくら楠原から侮辱されたとはいえ、階段から突き落とすという一歩間違えば死に繋がる行為を里中がやるであろうか。

 里中は満から見ても、確かに頭がおかしいと思う事だらけだ。それでも、里中はこれまで生徒に怪我を負わせたりした事はなかった。暴力的な行いはすれど、本当の暴力を振るった事はなかったのだ。

 それは騒ぎになると困るという保身的な意味合いで暴力を振るわなかったのかもしれないが、満には他にも引っかかるところがある。それは帰りの会の時の里中の様子だ。


 帰りの会で里中は、事実上の和睦だとも断絶だとも取れる宣言した。あれにより、満達を含む五年一組と里中の争いは終わったはずなのだ。油断させておいて……と考えられない事もないが、里中の怒りは楠原に殺意を抱くほどの事だったのだろうか。里中の気持ちなどわからないし、分かりたくもないが、満にはそうは思えなかった。あの時里中は本気で満達に呆れていると感じたのだ。


「あ、そういえば……」

 仰向けになっていた満は上半身を起こし、目を閉じて記憶を探る。


 満は里中が犯人じゃないのではないかと思考する反面、犯人である可能性が高まるある事を思い出した。

 楠原の転落を目撃した満が職員室に駆け込んだ時、職員室に里中の姿はなかったのだ。あの時里中はどこで何をしていたのだろうか。楠原を突き落とし、逃げていたのだと考えれば辻褄は合う。だけどそれは大島だって同じ事だ。彼女達がどこで何をしていたかだなんて、満には知りようがないのだから。


 満はあの時犯人の顔を見ておけば良かったと激しく後悔した。いくら隠蔽体質が強い学校でも、事故の第一発見者である満が証言すれば何かしらの対処をしてくれたかもしれない。いや、たらればの事はいくら考えてもきりがない。そもそも本当に事故の可能性だってあるのだ。里中や大島以外が犯人で、楠原と犯人が階段の上で言い争って突発的に突き落とされた可能性もある。であれば、それはもう満には関係のない事だ。いや、元々この件は満が深く踏み込むような事ではないのだ。犯人がわかったところで満にはどうしようもないし、どうしようという意思もないのだから。


 満は部屋の電灯を消し、布団の中に頭まで潜り込む。今日は色々な事があり過ぎて、これ以上は何も考えたくなかった。しかし早く眠りにつきたいと思っても、さっき見た楠原の無残な姿がまぶたに焼き付いており、中々眠れそうにない。すると。


 ガシャァァァァァァァアン!!!!


 満の部屋に突如ガラスが割れる音が鳴り響き、驚いた満は布団から飛び起きる。そして手探りで明かりをつけると、満の部屋の窓ガラスが一枚粉々に砕け散って窓付近の床に散らばっていた。そして床の上には砕け散ったガラスに混じり、一つの大きな石が転がっていた。


「満! どうしたの!? 大丈夫!?」


 物音を聞いて慌てて二階に上がってきた母親の声を聞きながら満は確信する。これは犯人から満に対する「余計な事は喋るな」というメッセージであると。

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