第42話

 西之原達と別れた後、満はふと思い立ち、今日起こった逆転劇を報告しようと敷島の家に立ち寄る事にした。電話でも良かったかもしれないが、敷島の家は帰り道にあるのでそのついでである。


 敷島の家は団地の三階にある。満は薄暗いコンクリートの階段を上り、敷島の住む304号室の扉の前に立った。満がインターフォンを押すと、静寂であった廊下に冷ややかなベルが鳴り響き、数秒後にドアが開く。


「あ? 誰?」

 するとそこには、敷島の中学生の兄である敷島恒星しきしまこうせいが不機嫌そうな顔をして立っていた。満も恒星には何度も会った事があり、幼い頃に遊んだ事もあるのだが、恒星は小学校高学年に上がった頃から徐々に不良じみてきて、今はすっかりヤンキーの風貌となった恒星が満は苦手であった。そのせいで満は敷島の家にはあまり遊びに行かず、恒星に会うのも数年ぶりである。


「あ……恒星君久しぶり」

 満がおずおずと挨拶をすると、恒星は目を細めて満の顔を見る。


「おー、みっちゃんかぁ、久しぶり過ぎて気づかんかったわ。竜星いるよ。上がれよ 」

 竜星に促されてドアの中に入ると、薄暗い玄関には大きなゴミ袋がいくつか積まれており、嫌な臭いを放っていた。そのまま廊下を進むと、ゴミの臭いの代わりにタバコのヤニの匂いが満の鼻をくすぐる。

 満が記憶を頼りに敷島の部屋のドアを開けると、敷島は散らかった部屋の二段ベッドの下段であぐらをかいて漫画雑誌を読んでいた。


「おー! みっちゃんどうした!? 家に来るの珍しいじゃん!」

 満に気付いた敷島は、漫画雑誌を閉じると驚きの表情を浮かべる。そして「座れよ」と言うと、ベッドに置かれていたクッションを床に投げた。


 満が「今日お母さんいないの?」と聞くと、敷島は「もう仕事行った」と答える。敷島の母親は今、夕方から朝にかけて隣町のバーで働いているとの事であった。


「で、今日なんかあったの?」

 満はクッションに座り、敷島に今日あった出来事を細かく話した。最初はやや不安げな表情を浮かべていた敷島は、満が最後まで話し終える頃にはすっかり笑顔になっていた。


「マジかよー! 俺その現場いたかったわー!」

 そう言って敷島は大げさに仰け反り、壁に後頭部をつけて天井を仰いだ。


「ニッシーマジでやるじゃん。でもなんかヘコむなぁ。それ、俺の仕事だと思ってたのに」

 今日の事に関しては蚊帳の外にいた敷島が少し落ち込んだ様子だったので、満が「りゅうちゃんが立ち上がったから里中を倒せたんだよ」とフォローを入れると、少しだけ気を持ち直したようであった。


「まぁ、とりあえずの目標は達成したわけだなぁ。で、これからどうする」

「それはまたみんなで考えようよ。ニッシーは楠木さん達と大島さん達の事も間を取り持ってあげた方がいいって……」

「いやいや、大島とかどうでもいいよ。自業自得なんだから。それよりババ先の事だよ」

「あ、うん。ババ先ももしかしたらまた何か手を打ってくるかもしれないから、一応みんなに注意だけでもして……」

「バカ、ババ先にこれ以上何かやらせるかよ。それよりももっとやる事あるじゃん」

「え? 何?」


 敷島の言葉に、満は思考を巡らせる。

 大島達と楠原達の対立、そして里中の報復への警戒、それ以上にやるべき事が何かあるのか満には思い浮かばなかった。

 敷島はふぅとため息をつき、いつもよりやや低い声で言った。


「ババ先への復讐に決まってるだろ」


 その時敷島が見せた冷ややかな目に、満の背中にゾクリとしたものが走った。


「え?」

「え? どうしたみっちゃん。確かに里中を黙らせたかもしれないけど、これまでされた事の仕返しはできてないだろ?」

「うん、まぁ……でも」

「俺達はあいつに散々やられてきたんだからさ、その分仕返ししなきゃチャラにならないだろ? やられっぱなしで終われるかよ。みっちゃんも協力してくれるよな?」


 その問いに満は躊躇ったが、やがて「うん」と小さく頷いた。


「だよな! やっぱみっちゃんは親友だよ!」


 満の中に湧き上がる不安は、更に大きくなっていった。

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