第9話

 里中の一言に教室内が騒つく。


 敷島の父親は数年前、隣町の飲み屋で酔ったうえで喧嘩をし、相手に大怪我を負わせて傷害で逮捕された。そして初犯ではなかったためにそのまま刑務所に入れられた。噂の早い松木町でその情報はあっという間に広まったが、大人達はまだ幼い敷島と中学生である敷島の兄の事を考えてか、子供達にはその事を話さなかった。


 満など敷島と仲の良い数人の友人達は敷島の口からその事を聞いて知っていたが、決して誰にもその事を漏らす事は無かったし、敷島の前で父親の話をする事は暗黙の了解でタブーとなっていた。それを里中はあまりにもアッサリと破ったのだ。


「あんたもお父さんを見習って刑務所に入りたい? あんたのお兄ちゃんも素行が悪いらしいじゃない。家族揃って刑務所に入りたいの? ねぇ?」


「んぐっ」

 敷島の目つきが変わり、口から嗚咽をこらえた時のような声が漏れる。それは泣くのを我慢して漏れた声ではなく、怒りのあまりに込み上げてきたものである。


「あんた達一家が刑務所に入るのは勝手だけど、他の人達に迷惑をかけるのはやめてください。勝手に刑務所で惨めな人生を送ってください」


 里中は敷島に背を向けた。


「はーい、皆さんも将来敷島君のお父さんみたいに刑務所に入りたくなかったら、ちゃんとルールは守りましょう」


 その時、満の目は里中ではなく敷島を見ていた。

 敷島は里中を睨みつけたまま、机の物入れに手を突っ込む。そして物入れから手が出てきた時、その手には工作用のハサミが握られていた。それを見た満には敷島が何をしようとしているのかすぐにわかった。満は咄嗟に大声をあげて立ち上がる。


「先生!」


 突然の大声に、里中を含むクラスの全員が一斉に満を見た。敷島も驚いたように動きを止め、満を見ていた。満は思考を巡らせ、言葉を続ける。


「……い、いけないと思います」


 それは里山にではなく、敷島に向けられた言葉であった。


「は? 何が?」

 それまで上機嫌だった里中は、満の奇行に明らかに不機嫌な様子を見せる。満は焦った。その後の言葉が出てこなかったのだ。そして混乱の中、満は血迷った事を口にした。


「そういう言い方は……いけないと思います」

 それは思わず溢れ出した満の本心であった。


「何? 何がいけないの?」

 里中の表情がみるみるうちに変わってゆく。満は激しく後悔したが、溢れ出した本心は止まらなかった。


「確かに、廊下を走ったのはいけないと思います! でも、敷島君のお父さんの事まで悪く言うのは違うと思います!」

 満の足は震えていた。これから自分の身に恐ろしい事が起こるのは明らかだったからだ。すっかり鬼の形相に変わった里中は、無言で満へと歩み寄ろうと足を踏み出す。すると。


「そうです! おかしいです!」


 今朝里中に泣かされた松村も声をあげて立ち上がった。満は予想外の援軍に息を呑む。


「廊下を走っただけであんな風に言うのはイジメだと思います!」


 松村の言葉を皮切りに、他の生徒達からも声があがり始めた。


「いつも言い過ぎだよな……」

「松村だって今朝ちゃんと挨拶してたよ」

「理不尽だよね」


 騒めきは徐々に大きくなり、教室内が急に騒がしくなった。すると今度は里中が大声をあげる。


「黙りなさい!!!!」


 里中の声は大きくよく通り、「力」がある。騒がしかった教室は一瞬にして静まり返った。

 里中は教卓へと戻ると、教室内を見渡す。


「ルールを犯した犯罪者を庇うような人間は、将来犯罪者になります。さっき私にアレコレ言った奴等も将来犯罪者になるでしょう。それから、一人では何もできないくせに、集団になると強気になって何だかんだ言い出す奴もクズです。あんた達みたいな連中が将来戦争とかテロを起こします。自分達がクズである事を自覚してください。以上」


 里中はそれだけ言うと、出席簿で黒板を強く叩き、教室を出て行ってしまった。

 何とかその場を乗り切る事ができた満は、深く息を吐いて、崩れ落ちるように椅子に座った。

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