第2話
里中が教卓の前に立つと、静まり返っていた教室内の空気が更に冷たくなる。そんな中、今日の日直である満が号令をかける。
「起立!」
号令と共に立ち上がった満に応じて、クラスメイト達も一斉に立ち上がる。
「礼! おはようございます」
「「おはようございます」」
そして次の号令で、皆は頭を直角に下げて挨拶をし、更に次の着席の号令で着席した。
いつもであれば、そこで里中から「はい、おはよう。朝の会始めます」と返事が返ってくるはずなのだが、今日の里中は低血圧そうにため息をついて、なかなか返事を返してこない。満は嫌な予感を感じ、そしてそれは的中した。
「ねぇ松村君、あなた声小さくなかった?」
里中は何気なくそう言うと気だるそうな顔で、教室前方の席に座っている松村という男子生徒を見た。
「え?」
唐突に呼びかけられた松村は、一瞬キョトンとした顔で里中を見返すと、慌てて首を横に振る。
「いいえ、ちゃんと挨拶しました」
「いや、ちゃんと挨拶したかじゃなくてさ、声が小さくなかったかって聞いてるの」
里中は威圧的な声でそう言って、教卓を離れ松村の席へと歩み寄る。そして覗き込むように松村の顔を見た。
「小さく……なかったです」
松村がそう言って里中の視線から逃れるように顔を伏せると、里中は「ふーん、そう」と言わんばかりに大袈裟に首を振りながら、松村の隣に座る市原という女子生徒に目をやり、声を掛ける。
「ねぇ市原さん、松村君の挨拶小さかったよね?」
その声は先程とは打って変わって、猫なで声のような気味の悪い優しさに満ちた声であった。気の弱い市原はチラチラと里中の顔を伺いながら、首を何度も小さく傾げる。
「ねぇ、先生は市原さんに聞いてるんだよ。もしもーし、返事してくださーい」
里中はおどけたように言ってはいたが、その目は僅かにも笑っていない。ただジッと市原の顔を見つめ、市原の返事を待ち続ける。そして一分程経った頃に、先程よりも更に優しい声でこう言った。
「ちょっと小さかったよね?」
すると市原は反射的に小さく首を縦に振る。
「市原さんもそう思った? 返事はちゃんと声に出して、ね?」
再び里中が問いかけると、市原は根負けしたかのように「小さかったです」とポツリと呟いた。
その返事を聞いた里中は突如豹変し、素早く松村の方を振り返ると、松村の髪を掴むと顔を上げさせる。
「ねぇ、あんた嘘ついたね?」
松村は髪を掴まれた痛みに顔をしかめながら声を絞り出す。
「……ついてません」
「あんたの隣に座ってる市原が、お前の挨拶が小さかったって言ってるんだよ?」
「ついてません!」
恐怖のせいか、それとも痛みのせいか、松村の目から涙が溢れそうになる。市原は目を瞑り、声に出さずに「ごめん」と口を動かした。
「あー、そう。あんたの嘘がみんなの時間を奪ってるって自覚無いんだ」
里中は松村の髪から手を放し、教室全体に聞こえるように妙に明るい声で言う。
「はいみんな床に正座ー、松村君が嘘言わなくなるまで正座ねー。みんなごめんねぇ、松村君のせいで正座させられるなんて嫌だよねぇ。ほら、早く!」
それを聞いた松村はハッとすると、皆が正座をする前に、「……すいません。ちゃんと挨拶しませんでした」と口にした。屈辱の涙をこぼしながら。
それから松村は朝の会が終わるまで、「おはようございます」を復唱させられ続けた。
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