クリスマスプレゼントは

ろくなみの

第1話

クリスマスの朝、目が覚めるとベッドの脇で正座をし、静かに笑みを浮かべる女と目が合った。整った顔立ちに、左の眼もとに小さなほくろがある。赤い帽子に赤い服。白い大きなボタンがついている。下に履いているのはズボンではなく、ミニスカートだった。その姿は、サンタクロースのコスプレ以外には見えなかった。見間違いと思い、目をこすり、もう一度ベッドの横を見る。変わらず女は俺を見つめている。

 不審者だと思い、通報してやろうという思考回路に至らないあたり、俺もどうやらねぼけているらしい。

「……だれ?」

 まとまらない頭のまま、女に尋ねた。

「え? 誰って」

 長い髪を後ろにさらりと流し、頭に乗っかる赤いとんがり帽子をすっと直した。

「プレゼントですよ、クリスマスプレゼントの、彼女です」

 意味がわからない。昨日俺は何かとんでもないことでもしたのだろうか。昨日の記憶を寝ぼけた頭でゆっくりとさかのぼることにした。








 誰だって、小さな頃は夢も希望も持っていた。

 小学校の頃には、十二月二十四日の夜に、赤い服を着た髭面のじじいが、でかい袋を持ってプレゼントを持ってきてくれる。みんないろんなものを求めただろう。

 だけどだ、俺の夢や希望はわずか四歳の頃に粉々に砕かれてしまった。

「なあママ、サンタさんどこからくるの?うち、えんとつないよ?」

 台所でネギを刻む母にそう訪ねた。

「あー……」

 包丁を動かす手を止め、しばらく考え込むように母は周りを見渡した。

「サンタさんはね、換気扇から来るのよ」

 その言葉で俺の夢は砕かれた。換気扇の中を笑顔で通り抜けてくるおっさん。そんなグロテスクな生き物は、普通に考えて存在しないという結論に至った。おかげさまで世の中のファンタジックなものが全て胡散臭く見えるようになった。俺にだって信じたい気持ちはある。でも、一度デタラメだと理解してしまえば、いろいろなものが信用できなくなるのは当然のことだろう。

 そこからは、子供らしい遊びやテレビも新鮮味を失い、弄れた大人への一歩を着々と踏んでいくことになった。

 当然彼女なんてものもできずに、大学一年生も後半となる時期がやってきてしまった。

 コンビニで弁当を買った帰り道、たくさんの家路を通り抜ける。子持ちの家庭からのジングルベルの歌がいやに耳障りだ。

「サンタさんなんていないんだよ、クソガキども」

 自分だけに聞こえる声でボソリと呟く。自分にないものをいっぱい持っている人間が、どうにも妬ましい。それに対して嫌味しか言えない自分も、相当心が貧しいんだろうな。

 クリスマスだというのに、一人だ。ひとりで一人で独りぼっちだ。

 彼女の一人でもいれば、また違ったものかもしれないが。あいにく俺にはそんな胡散臭いものは、必要ないんだ。

 女なんて、糞だ。

 アパートに戻り、肌寒い部屋に暖房を付け、こたつのスイッチを入れる。テレビをつけてもくだらないバラエティしかやってない。

「世の中糞だ!」

 ドンッ!と隣の部屋の住人が壁を殴る音がした。慌てて口を押さえ、テレビの音量を下げる。

 時計を見る。時刻は午後十一時を回ったところだ。風呂にでも入ろうか。いや、洗濯物をまだ取り込んでいなかった。

 立ち上がり、洗濯物の並ぶベランダへと出る。冷たい風が、温まった体を殺しに来ている。顔も冷気がかかって痛い。風に混じって粉雪が目に入る。目を袖でこすって空を凝視した。

 灰色の雲で覆われた暗い空に、白い雪がぽつぽつと浮かび、それはゆっくりと地上へと降りていった。幻想的な風景に思わず目を奪われる。

「サンタさん、ねえ」

 あの日、夢を打ち砕かれた夜も、雪が降っていたな。サンタさんよ、本当にいるなら、俺のこのどうしようもない孤独を埋めてくれよ。その素敵な真っ白な袋の中から、素敵なプレゼントを枕元に置いてくれよ。例えばさ。

「サンタさん彼女をください」

 なんてな。呟いてから急に自分の発言が恥ずかしく思えて苦笑する。せっせとパンツやスウェットをかごに放り込み、風呂に入り、ベッドに入り、電気を消した。

「俺、いい子だったか?」

 ふと考えてみたが、眠気の方がそれを上回り、俺を闇の奥へと沈めていった。


 そして時は冒頭へと戻る。

 昨日の自分の馬鹿な妄想は、まさかの現実となったのだ。

「え、まじで彼女?」

「はい、彼女です」

「彼女ってことは、つまり、恋人?」

「はい、恋人です」

 エレベーターガールのような完璧な表情に思わずたじろぐ。

「悪い冗談はよしてくれ、早く出て行って……」

 部屋からいつもなら漂わない香りが満ちている。この懐かしい香りは。

「味噌汁は、お嫌いですか?」


 こたつに足を入れ、湯気を立ち上げる味噌汁に、茶碗に盛られたもちもちの真っ白なごはん。横には納豆のパッケージがそっと置かれていた。サンタの格好の自称『彼女』は、急須から熱いお茶を目の前の湯呑に注いだ。

「召し上がれ」

 納豆を混ぜ、タレとカラシを投入し、ごはんにかける。炊きたてのごはんと、懐かしい味の味噌汁が、胃袋を満たす。

 十分も経たずに、茶碗とお椀は空になってしまった。

「ありがとう、うまかったよ」

「いえいえ、彼女ですから」

 台所で俺が食った後の食器をかちゃかちゃと洗う音が聞こえる。なんて素敵な朝だ。

「いいのか? ここまでしてくれて」

「彼女ですから」

 彼女は明るい声でそれしか言わない。

「恭平さん、今日のご予定はなにか?」

 さりげなく下の名前で呼ばれた。あまりないシチュエーションに、思わず顔が熱くなる。

「いや、とくにないけど……えーっと」

 俺は今の状況を異常と感じず、もう現実のものと受け止めていた。だが、一つ気になることがある。

「君の、名前は?」

「彼女です」

「いや、それ名前じゃないし」

「そう言われましても……」

 彼女という存在が、どこか現実離れしたものであることはわかっているが、名前が無いというのは困った。

「なにか、君に合う名前をつけよう」

「そんな、かまいませんよ」

 謙遜するように、綺麗な笑顔で首を振る。

「そんなこと言ったってなあ」

 思考を巡らせながら、彼女の容姿を頭からつま先まで視認する。整った髪型に、サンタのコスプレ。スラっとした足に、綺麗に切られた足の爪が、左右十枚ずつ並んでいる。

 美人だ。故に特徴がない。

「彼女、彼女ねえ」

 彼女……中学高校と、英語の時間、sheのことを彼女と訳していた。いやこの場合はガールフレンドが正しいのだろうけど。この場合は呼び方重視でいいだろう。

「よし、決めた」

「え?」

「君は今日からシーちゃんだ」

 その日から、俺とシーちゃんの奇妙な毎日が始まった。


 一日目。つまり今日十二月二十五日。シーちゃんとクリスマスデートをすることになった。クリスマスといえばデートだろうという、シーちゃんの意見だ。

「でも、その格好はさすがに恥ずかしくないか?」

「え? 似合いませんか?」

 そういう問題じゃない。俺は慌てて訂正した。

「似合ってるには似合ってるけど、隣を歩くのは少し恥ずかしいかな」

「そうですか」

 シーちゃんほおずえをついて、頭をひねった。そして、椅子から立ち上がり、くるりと一回転した。

 すると、赤いサンタのコスプレが、ただの赤いダッフルコートへと変化を遂げた。赤い短いスカートも、緑色の膝丈までのスカートに変わっている。赤い帽子は網目の細かいニット帽へと変わった。

 少し派手ではあるが、サンタコスよりは、はるかにましなものになった。

「さすが、クリスマスプレゼント」

「いえいえ」

 彼女は照れくさそうに頭を掻いた。

 デート先はとくに決めず、とりあえず街に出ることにした。

「ショッピングモールにでも行く?」

「いいですね!」

 シーちゃんは笑顔で頷いた。

 ショッピングモールでは、俺のマフラーを買うために、店をうろつくことにした。

 いろんな店を回った結果、青色の長いマフラーにすることにした。

「似合うか?」

「はい! とても」

 彼女の賞賛の言葉に、思わずにんまりとした。

 お昼は小さなカフェに立ち寄った。メニューのイチオシメニューのオムライスを注文し、食べた。

「美味しいな」

「はい! とても」

 彼女も満足そうに、オムライスを口へと運んでいた。

 それからは、いろんな店をただ見て回ることにした。彼女のために、小さなペンダントを買ってみた。

「いいんですか?」

「ああ、今日は特別な日だ」

 まるで、夢を見ているような気分だった。俺はこの夢を楽しむために、彼女にできる限りのことをすることにした。

 

 二日目。十二月二六日。

 彼女と手をつないでみた。

「冷たくないですか?」

「正直、冷たい」

 彼女の小さな左手は、雪のように白く、そして冷たかった。

「でも、気持ちいい」

 彼女と手の指と指を絡めた。俺の心の中のどんよりとした何かが、溶けてしまうようだった。


 三日目。十二月二十七日。

 彼女と昔の話をした。

 どうしてそうなったかというと、シーちゃんの方から話を持ち出してきたのだ。

「恭平さん」

「どうした?」

 シーちゃんの作る朝食を食べることにもだんだん慣れてきた時に、彼女は言った。

「あなたは、今までに恋人がいたことは、ないのですか?」

 いきなり嫌味を言われた気がして、胃が痛くなる。

「……ないな」

 苦し紛れに正直に答える。

「好きな人がいたことは?」

「……」

 黙り込む。答えるべきか、否か。如何せん昔の話を持ち出すことになる。それに、俺自身よく覚えていない。気恥ずかしい思いもあり、頬をぽりぽりと掻く。

「気になるのか?」

「はい、とても」

「どうしてもか?」

「はい!」

 気持ちのいい笑顔で彼女は身を乗り出してくる。浮世離れしているところもあるが、どこか子供のようだ。

「……いつかな」

「えー、なんでですかー! 気になります!」

 最近打ち解けてきているのか、押しの性格が強くなってきている。サンタさんもなんてものを派遣してくれるんだ。

「今日はどこ行きたい?」

「誤魔化さないでください!」

 そのまま俺は、彼女の尋問に丸一日耐えることとなった。


 四日目。十二月二十七日。

 夢を見ていた。

 昔の夢だ。

 そこには、俺の初恋の女の子が出てきた。

 しばらく見ない間に、顔も髪型も声も随分忘れていることに気がついた。

 そうだ、こんな顔だったなと納得する。

 俺の初恋の子は、いつものように道路の上で横たわっていたのだ。

 なぜ、彼女は横たわっていたのだろう。

「そんな夢を見たんだ」

「不思議な夢ですね」

 今朝の朝食は、半熟の黄身のベーコンエッグに食パンにコーンスープだ。たまには洋食も悪くない。

「まあ、その子が俺の初恋の子なんだけどな」

「なるほどですね、私なんか妬けちゃいます」

 本心から言っているのだろうか。そもそもこの子は人間なのか。もしかしたら俺はとんでもないオカルト展開に巻き込まれているんじゃないだろうか。笑顔の下には何かが隠されているのだろうか。

「あっ紅茶こぼしちゃいました!」

 ……案外そんなものはないのかもしれない。あわてて俺は濡れた布きんを彼女に差し出した。


五日目。十二月二十八日。

親戚の居酒屋の従業員がバックれ、手が足りなくなったと昼過ぎに連絡があった。

「お出かけですか?」

 サンタのコスプレのまま、シーちゃんは玄関まで俺を見送りに来た。

「ああ、ちょっとバイトすることになった」

「晩御飯はどうします?」

「ああ、そうだな作っといてくれ」

 そして四時過ぎに俺は家を出た。

 自転車で二十分くらいの駅の近くに、その居酒屋はあった。小さなところだが、常連客の間ではそこそこの人気を獲得しているらしい。

「ちーっす」

 のれんをくぐって店内に入る。

「いらっしゃーい」

 店内から聞こえたのは、どこかで聞いたような女の声だった。

「あ、中村君?」

 カウンターの内側にいたのは、大学の同じ学科の女の子だった。







「へー、ここ親戚だったのね」

 一緒に皿を洗いながら同じ学科の佐藤さんと話をする。

「そうだな、ばあちゃんの兄ちゃんがやってて、俺はおっちゃんって呼んでるけど」

 おじさんにはとりあえず九時までがんばってくれとのことだった。まあ、高校時代にも何度か手伝いには来ていたし、仕事自体は慣れていた。

「私も今週から働き始めたの」

 洗った食器を拭きながら佐藤さんは言った。

「なんでこんな辺鄙な店でバイト?」

「雰囲気が好きなのよ」

 ふむ。確かに落ち着きやすい店内ではある。店内には居酒屋というより、料亭のような大きな水槽が置かれており、熱帯魚が泳いでいる。いくつか絵や坪も飾られている。

「それに、時給もよかったし」

「そこかよ」

「ねえ、ところでさ」

 佐藤さんは身を乗り出して、顔を俺に近付けてきた。

「今晩、一緒にご飯食べてから帰る?」

 一瞬躊躇したが、俺は思わずうなづいてしまった。

 シーちゃんが晩御飯を作っていることなど、その時の俺の頭の中からすっかり消えてしまっていた。


 行先は近くのラーメン屋だった。彼女の一押しらしい。見かけは普通のきれいな女子大生なのに、ラーメンの食べ歩きが趣味らしい。

「ここは絶品ね、間違いないわ」

「来たことないな、近かったのに」

「五本の指が入るわ」

「五本の指に入るだろ」

 大学でも佐藤さんとは、よく話す方ではあった。連絡先も席が近かったので、なんとなく交換はしていたが、一度も連絡はとっていなかった。

「あはは、なんか意外」

「何が?」

「だってさ、中村君、あんまり人とかかわろうとしないというか、一匹オオカミというか」

「そうかな」

 確かに、それはあるかもしれない。俺はクリスマスを過ぎてから、自分の中の何かが明るく開けてきている気がしているんだ。

「あいつのおかげかな」

 佐藤さんに聞こえないように、そうつぶやいた。そのまま俺たちは店内へと入った。


 五日目。十二月二十八日。


 目が覚めると、頬に覚えのない感触があった。触ってみて、瞼をこする。ああ、ソファだ。しかも俺の部屋のじゃない。嗅いだ事のない部屋のにおい。白を基調とした小奇麗な家具が、室内には並んでいた。

「うーん、おはよ」

 すぐそばから聞こえた声は覚えがある。昨日ラーメンを食べに行った佐藤さんのものだ。

 そうだ、佐藤さんの家だ。

 机の上には、何本か空けたチューハイの缶が並んでいる。

「いやー、昨日は飲んだね~」

 間延びした眠気を誘う声で、佐藤さんは寝間着の状態で俺の顔に近付いてきた。

「あー、そっか」

 ぼんやりとした記憶が戻ってくる。簡単にいえば、俺と佐藤さんはラーメンを食べた後、コンビニで酒を買って、佐藤さん家で宅飲みをして、そのまま寝てしまったのだ。

「やべ、連絡してね」

 あわてて携帯電話をポケットから取り出す。あいつ怒ってるかな。

「連絡? 中村君ってさ」

 連絡帳から自宅の家電に電話をかける。コール音が鳴り続けた。

「一人暮らしじゃないの?」

「ああ、えーっと」

 コール音を聞きながら思考をめぐらす。あれ?

 俺、誰に電話をかけているんだ?












 八日目 十二月三十一日


 何から八日目だっただろうか。俺は何から日付を数えているんだ?

「デデーン! 田中、アウト」

 年末ということで、彼女と俺はガキ使をこたつで見ていた。

「年越しそば食いたいな」

「あー、そろそろ食べる?」

 彼女は立ち上がり、鍋のお湯を沸かし始めた。

「ありがとう」

 俺はお湯を沸かす彼女の後姿をニヤニヤしながら見た。

「佐藤さん」

 そう、名前を呼んだ。

 もう少しで今年も終わりだ。





















 九日目 一月一日。


 佐藤さんと近くの神社まで初詣に来た。

「よかったな、バイトなくて」

「ほんと、年末年始は休みだよやっぱり」

 彼女は伸びをしながら空を仰ぐ。暖かそうなマフラーが風でなびいた。

「中村君は、今まで彼女がいたことはないの? こういうところに来るさ」

「いや、そんなことは」

 思考を巡らせるまでもなく、俺には彼女なんてできたことはなかったはずだ。なのに、なんだろうこの違和感は。

 心の中になにか大きな引っ掛かりがある気がして、もやもやする。まるで大切なことを忘れてしまった気分だ。

「佐藤さんは?」

 違和感を払拭するために、同じ話題を佐藤さんにも振った。

「えー……うーん、ないことも、なかったかな」

「ほう」

 まあそれもそうだろう。佐藤さんもなかなか整った顔つきをしている。そういうことがあっても不思議じゃないだろう。

「というかさ、中村君って女の子苦手じゃなかったっけ」

 言われてみれば、大学入学初期にそんなことを言った気もする。あれ? 俺はなんで平気で佐藤さんと話せているんだ? 俺は、確かに女の人が苦手だったはずなのに。

「なんでだろうな、俺にもわからん」

 笑いながら俺は神社の境内に並ぶ行列の最後尾に立った。


 十一日目 一月三日。


 目が覚める。カーテンの隙間から小さな朝日がこぼれていた。いつもどおりみそ汁の香りが部屋に満ちている。机の上に並ぶのは納豆のパックに、ご飯に、みそ汁だ。うん、今日もいい朝だ。

「おはよう」

 誰にいうでもなく、俺はそういった。

 今日は佐藤さんと映画に行く約束をしている。急いで準備をしなくては。


 十四日目 一月六日。


 短い冬休みが終わり、憂鬱な気分の中、大学に渋々向かうことにした。いくつになっても、休み明けというのは気分が落ち込むものだ。億劫な心を引きずりながら、講義のある教室へと入った。

「おはよ、中村君」

 背中をポンとたたかれ、佐藤さんの声が聞こえた。

「おはよ」

 そうだ、俺には佐藤さんという存在がいたのだ。





 十六日目 一月八日。


「つまりだ中村、お前と佐藤さんが釣り合わないってことを俺は言いたいわけさ。一応俺も佐藤さんとは高校は同じで、彼女と同じ大学に入るために、必死で勉強もしたんだぜ。知ったこっちゃないだろうな。でもよ、高校時代佐藤さんと一番仲が良かったのは俺なんだぜ? なあわかるだろ?」

 こんな内容の話を、昼休み延々と聞かされた。この茶髪にネックレスを付けた、いかにも大学デビューほやほやのやつが富永だ。下の名前は忘れた。佐藤さん俺と同じ学科の同期ということで、一応存在は認識していた。

「冬休み何があったかしらないけどよ、玲とあんまべたべたすんなよ」

 さりげなく下の名前で呼んでいる、普段は名字呼びのくせに。胡散臭い奴だ。ここまで言われて俺もげんなりしてきている。しぶしぶ反論することにした。

「別に付き合ってるわけじゃないんだろ」

「昔付き合ってたさ」

「昔の話だろ?」

「いや、あれは受験に集中するから別れたんだ」

 もっともらしい理由だ。

まあそれはそうだが。それに、俺には彼女がいるのに。

 あれ……誰だ?

「どうしたんだよ、ボーっとしてよ」

「いや、別に」

「とにかくだ、俺は今日彼女に告白する。彼女の返事は決まっているだろう。だからお前は金輪際、玲にかかわるな」

 俺は、何も考えることもなく、無感情に口を開いた。

「ああ」



 その夜、俺は自宅で夕食をとっていた。今日のメニューはさんまの塩焼きだ。こんがりときれいな焼き色がついたさんまの横に、大根おろしが盛られている。

 ご飯もみそ汁もばっちりだ。

「俺は、別に佐藤さんと付き合っているわけじゃない」

 誰にいうわけでもなく、俺は口を動かす。

「別にあいつと佐藤さんが付き合おうと、俺にとってはどうでもいい」

 さんまに箸で亀裂を入れ、身をつまみ口に運ぶ。うまい。

「そうだろ?」

「さあ、どうなんでしょうね、恭平さん」

 声が聞こえた。どこからだ? 目の前だ。目の前の椅子を凝視する。

 そこには、彼女がいた。最初から、ずっとそこにいた。消えていたものが出現したようでもなく、当たり前のようにそこにいたのだ。

「シーちゃん」

「はい」

「君は、なんなの」

「彼女です」

「君さ、確かにずっといたんだよ」

「はい、ずっといましたよ」

「俺は、俺は」

 自分の状況が分からない。この間まで、ずっと料理が机の上に並べられていた。それを彼女が作っている姿もきちんと見ていた。

だけど、それを認めていなかった。それを、時計の秒針のように、当たり前のものとして見ていたのだ。

「恭平さん、そんな顔しないで下さいよ」

「ごめん」

「悲しいじゃないですか」

 彼女は椅子から立ち上がり、俺の頭をそっとなでた。氷の塊が、頭の上を滑っているようでもあった。

 涙をこらえながら、俺は言った。

「昔、好きな子がいたんだ」

「はい」

「その子は放課後毎日、道路に寝そべっていたんだ」

「変わった子ですね」

「そうだ、変わった子だったんだ」

 変わった女の子。毎日欠かさず道路で寝ていた女の子を、俺はその程度にしか認識していなかった。

「暑い日も、寒い日も、寝転がり続けたんだ。なんでってある日聞いたんだ。そいつさ、轢かれるの待ってるんだぜ?ずっとずっと、おかしいだろ」

「おかしいですね」

 シーちゃんは相槌を打つだけだ。俺は続ける。

「あの時、俺は何も言えなかった。何もしなかった」

「はい」

「その子は、それからどうなったのかは知らない。転校したとしか聞いてないんだ」

「はい」

「俺が何かしたら、変わったか?」

「そんなこと、私にきかれても困りますよ」

 彼女の声色はあくまで明るい。だけれど、その言葉はあまりに冷たく、重たく俺にのしかかる。

「恭平さん、忘れられたんですか?」

「何をだ?」

「あなたの願いですよ」

 俺は、あのクリスマスイブを思い出す。

「彼女をください、か?」

「そういうことですね」

 シーちゃんは俺の言葉を肯定し、うんうんとうなずく。そして続けた。

「では、あなたがほしかったものはなんですか?」

「だから、彼女だって」

「そういうことですね、では、クリスマスプレゼントといえども、あなたはもう大人です」

「そうなのかな」

「ええ、ですから」

 シーちゃんは、頭から帽子をとり、机の上に置いた。

「クリスマスプレゼントくらい、自分で取りに行ってください」

 その言葉を最後に彼女の姿は見えなくなった。

 自分で、取りに行く?クリスマスプレゼントの、彼女を、ってことか?

 シーちゃんは、クリスマスプレゼントではなかった。だが、シーちゃんは俺の彼女だった。

 シーちゃんと過ごして、俺は変わった。誰かといることの楽しさを覚えた。人と話すことの喜びを覚えた。人とふれあうことの幸福を知った。

 それがなかったら、俺は佐藤さんと、ラーメンに行くという選択肢は、出なかったんじゃないのか?

 そのまま佐藤さんと同じ部屋で寝るということも、なかったんじゃないか?

「そういうことね」

 俺はソファに放りこんだコートを羽織り、マフラーを巻いた。

「行ってきます」

 誰もいない部屋に、俺は告げた。

 サンタさんは、いい子のところにしか来ないらしい。

 ならば、俺は今からいい子になろう。

 自分に正直な、いい子になろう。

 昔と今は、違うんだ。

 俺は靴をはき、扉を開けた。外には雪が降りしきっている。こんなものに負けてはいられない。

 行こう。サンタさんの贈り物が、待っている。






 三百六十四日目


 その日も雪が降っていた。空気は張り詰めていて、皮膚がむき出しになっている顔は、ただれてしまいそうなほど冷たかった。

「先輩寒いっすねー」

 横にいる後輩が両手で自分の体を覆っていた。

「そうだな」

「先輩はいいっすねー、クリスマスにいちゃいちゃできる彼女がいて」

 後輩は肘で俺を小突く。こんなやつでもいい飲み友達になっているのだ。不思議な縁もある。

「俺も彼女ほしいですね」

「あ、別れたのか」

「はい、ちょっといろいろあって」

 そのまま顔を俯かせる。どことなく表情も今日は暗かったな、そういえば。

「好きだったのか?」

「うーん、どうでしょう」

「好きな人がいなくなってつらいのか、恋人がいなくなったことが空しいのか、どっちかだな」

 後輩はしばらく考えて、後者だと答えた。

「そうか」

「はい」

 俺は空を仰ぐ。曇り空の隙間から、星が少しだけ光って見えた。

「サンタさんにでもお願いしとけ」

 俺は言った。

「先輩でも冗談言うんですね」

「冗談じゃねえよ、本気だ」

 俺は思い出す。いまや名前も忘れてしまったが、確かにサンタさんは、俺に贈り物をしてくれた。

 その子の目元には小さなほくろがあった。

 昔俺が好きだった女の子にも、ほくろがあった。たまたまか。

 あの子は、今元気なのだろうか。

「いい子にしてたら、サンタさんは来てくれるさ」

 俺は、首に巻いた青色のマフラーにかかった白い雪を、そっと払った。

                                  おわり

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