第28話:許されてしまえば救われないのです

 中央給電指令所の正面エントランス前には、二台の警察車両が停車していた。


「ようやく警察も動き出したか……」


 そう呟いた神尾大かみおだいは、ハンドルを大きく左に切り、建物地下に広がる駐車場へと入った。警察車両の赤色灯が、ルームミラーに反射しながら遠ざかっていく。


「技戦研であれだけのことが起これば、当然か……。警察が動き出しているということは、東亜電力上層部も、この状況をある程度、把握できているんだろう」


 神尾によって培養されたミトコンドリア。その意志が具現化することによってもたらされた悲劇の犠牲者は、技術戦略研究所内だけでも十人を超えている。しかし、これから始まろうとしていることは、それとは桁違いの禍を人類にもたらすかもしれない。


「海崎、とにかく急ごう」


 車を止めた神尾は、エンジンを切ると、勢いよく外に飛び出した。分かってるというように無言でうなずいた海崎景かいざきけいもその後に続く。


 地下駐車場から続く狭い階段を駆け上がると、目の前には正面エントランスから差し込む陽の光と、広いコンコースが見えてくる。そして、二人の視界には巨大なガラスケースと、その中に置かれたグリーン・オルガネラの模型が飛び込んできた。


 海崎はつい先日、この場所で小学生に囲まれながら、これからのエネルギーを担う新しい発電システムについて話をしていた。しかし、語られたことの多くは宮部彩みやべあやの思い描いた構想そのものであって、現実ではなかったのだ。

 ――彼女の夢、そして社会の希望。

 科学の発展がもたらしたのは人類にとって豊かさと呼べるものだったのだろうか。それとも、平穏な日常を非日常に変えてしまうような、破壊の前兆だったのだろうか。

 どんなに優れた理論であろうとも、それが正しく行使されなければ、大きな悲劇を生み出すことにつながりかねない。それは時に延々と続く、苦しみや悲しみの連鎖を作り出す元凶となる。

 だがしかし、使い方の正しさとは一体誰が定義するのだろうか。

 自分たちの選択が、真に正しいかどうかなんて、後の歴史的価値観に照らし合わせて判断されるものであって、決断したその瞬間に物事の善悪が判断できるわけではないのだ。局所的には正しい選択なるものが存在するのかもしれない。しかし、全体としてはどうか。

 木を見て森を見ず。大局を見失わないように、人は正しさという概念とどう向き合えばいいのだろう。


 静かなコンコースを後に、閑散とした廊下を指令室に向けて駆け抜ける。夜勤当直社員は仮眠に入っているのだろうか。建物内に人は少ない。

 

 神尾が指令室の扉を開けると、室内には来宮隆きのみやたかしが一人、コンソール前の椅子にもたれかかっていた。


「来宮さんっ」


 彼も仮眠をとっていたのだろう。海崎の声に気づくと、ゆっくり後ろを振り向き、右手を小さく振った。


「ああ、二人とも待っていたよ」


「コンピューターウイルスの方は、どうでしょうか」


 神尾の問いかけに、来宮は小さくうなずいた。その瞳は充血しているために、真っ赤に染まっている。


「すまない、いろいろあると思うが、まずは状況を教えてほしい。ごらんの通り、警察も動いているんだ。今も事情聴取が行われている。正直、復旧作業どころではなくなってしまったよ」


 施設内に人が少なかったのは、警察による事情聴取に人員が割かれているためだと、あらためて腑に落ちた。


「技戦研で一体、何が起こっている? 死亡者が出ている以上、大規模停電の問題でだけは済まされない。本社も事故調査委員会を別に立ち上げたそうだ。今頃は、警察主導で、技戦研をはじめとする関連施設の一斉捜査が行われている。ここも例外じゃない」


 壁面に設置された給電情報を示すモニターには、相変わらず停電を示すアイコンが点滅していた。時刻は正午前。じきに本社の原子力安全対策チームが南関東平野に展開している原子炉を全て稼働させることだろう。それでひとまず停電の問題は解決するはずだった。


「来宮さん、説明すると長くなるのですが……。簡単に言うと、グリーン・オルガネラの心臓部に用いられていた人工的な生命体が、ネットワークを介して暴走しているということです。技術戦略研究所のスタッフが亡くなったのも、その影響と考えて間違いありません」


「人工的な生命体だなんて……。にわかには信じられんが……。この件に関して、君たちは何か関わっているのか? 」


「海崎、俺から説明しよう」


 そういうと神尾は、来宮に椅子に腰かけるよう促した。彼自身も、その隣に置かれたパイプ椅子に腰かけると、目の前の給電モニターを見つめながら、これまでのことを思い返すようにゆっくりと話を続けた。


「グリーン・オルガネラは、シビレエイの発電器官を利用したアデノシン三リン酸発電系という、これまでにない安全性の高い発電システムでした。その基幹理論は、技術戦略研究所の上級研究員であった宮部彩が、たった一人で構想したものです」


「ああ、システムの概略は理解しているつもりだ。開発当初は、試行錯誤の連続だったと聞いているが……」


「ええ。発電に必要なアデノシン三リン酸の供給量を一定に保つことが難しかったんです。その供給量の増加を目的に、アデノシン三リン酸産生プラントに反応促進剤、つまりは特殊な酵素のようなものですが、それを添加しました。しかし、この作業過程において、配線系統の接続ミスがあったんです。これが単純に宮部のミスだったのかについて、今となっては分かりません。しかし、発電系が生み出した高電圧が、プラント内の水槽に満たされていた水を電気分解してしまったのです」


「なるほど、それで水素が発生して大規模な爆発につながったと」


「公称では、単なるシステムトラブルによる爆発事故となっていますが、実際は水素爆発です。密閉された室内で大規模な爆発が起きた。当然ながらプラントは完全に破壊されましたし、プラントのすぐ近くにいた宮部彩の身体はバラバラに吹き飛びました」


「なんということ……」


『私ね。間違っちゃった。私の作ったもの、それは発電所なんかじゃない』


 巨大な水槽を前に、そう言った宮部彩の悲しげな表情を、海崎は決して忘れることはないだろう。鮮明に焼付いた記憶は、時が立てばたつほど鮮やかさを増し、記憶を保持し続けるものを苦しめ続けるのだ。


『ごめんなさい。あなたは生きて。どうか」


 生きる。それは紡ぎながら綻びていく瞬間の連なり。昨日を今日として感じ続けるために、人は常に別人でなくてはならない。そうでなければ、昨日に命を失った者が、今日を死んだまま生き続けることになるのだから。


「その惨状を目の前で見ていた海崎は、それ以来、精神的トラウマを背負うことになったのはあなたもご存じでしょう。そして、私自身も感情を大きく歪められることになります」


「神尾君も……」


「はい。私の行動は決して許されるものではありません。この事態を招くことに繋がったのも、その原因は私にあります」


「君が原因を生み出したと?」


「あの爆発事故のあと、海崎はそのまま意識を失いました。その横で、私は無意識に現場に散らばっていた宮部彩の身体を拾い集めていたんです。まともな精神状態じゃなかった。悲しみが振り切れた、と言ってしまえば陳腐な言い訳ですが、意識的な制御の効かない状態で、私は情動の奴隷でした」


 来宮は閉口したまま微動だにせず、ただ端末のモニターを見つめていた。


「そして、拾い集めた彼女の体を、細胞培養液で満たされたゲージ内に入れ、それを自分の研究室で保管しておいたんです。きっと、彼女をいつまでもそばに置いておきたかったのでしょう」


 歪んだ思考に世界は透明になっていく。そこには善悪も、倫理も道徳もない。裸の感情がむき出しになって、意識から主体性を奪う。

 愛はとても抽象的な概念だ。それは油断するとすぐに神秘化、あるいは神聖化してしまう。だからこそ歪みやすいのかもしれない。


「何のために宮部さんの身体を……」


「最初は、何か目的があったわけではありません。それは無意識というより他ない。ただ、ふとした瞬間に、この細胞のミトコンドリアを人工的に増殖させることは容易たやすいなと思いつきました。学生時代に、そういう研究をしていたんです」


「ミトコンドリアを増殖させる?」


「はい。ミトコンドリアは通常、真核細胞内でアデノシン三リン酸を供給する細胞内小器官オルガネラとして知られています。私は培養させた膨大な数のミトコンドリアを、人工的に作り上げた細胞内に移植し、大量のアデノシン三リン酸を合成させることに成功しました。それを発電系に供給することで、グリーン・オルガネラは全く新しい発電システムとして再稼働を実現することになります」


「僕は生物学の専門家ではないので、詳しいことは分からないが、つまり、君は亡くなった宮部彩さんの細胞を培養して、そこからエネルギー産生に必要な成分を取り出していたということか……」


「概ね……。そう言うことです」


 淡々と語っていた神尾だったが、そう言うと、視線を床に落とし、頬を流れ落ちる涙を必死でこらえていた。

 そんな二人の後ろで、海崎はただ黙って話を聞いていた。


 東亜電力の技術革新により、次世代発電システムの実用化に成功。当時はそんなふうに言われ、多数のメディアからも大きな注目を集めていた。一瞬にして時の人となった神尾大。その実績は東亜電力にも大きく評価され、グリーンオルガネラの運用責任者まで上り詰めた。

 しかし、その歪んだ愛情がもたらしたものは、人類への希望ではなく、おそらく絶望に近しいものだった。あるいは彼にとっても。

 神尾を許せるかと言えば、それはきっと嘘になるだろう。だから海崎はこの先も彼を許す必要はないのだと思った。神尾にとっても、許されてしまえば、きっと救いなどないのだから。


「いったいなぜ暴走してしまったんだ?」


 来宮の問いに、神尾はただ肩を震わせながらむせび泣いているだけだった。

 彼を許せるかどうかは個人の感情に過ぎないが、この事態を招いた責任の全てが彼に所在わけじゃない。そもそも、ミトコンドリアが言うように、人間に主体性など存在しないのであれば、責任という概念すら希薄なものになるだろう。

 明確な破壊的意図をもって神尾は行動していたわけではないのだ。歪んだ愛情という神格化された情動によって、主体性を捻じ曲げられていたと言ってもいい。

 自己決定を責任もってできる個人など存在しないのだから、誰も彼を責めることなんてできやしない。

 

 海崎はうつむく神尾の肩に、そっと手を置いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る