第25話:会いに来ました
「この場所は通電されているのか……」
「いや、本来はここにも電気は来ていない。それは給電指令所で俺自身が確認している。給電システムの中核であったミソラの制御を人の手から奪ったもの……」
「グリーン・オルガネラとでも言いたいのか? それじゃまるでミトコンドリアに意志があるみたいじゃないか」
「人類がネットワークを作り上げたのも、俺たちがグリーンオルガネラを作り上げたのも、偶然や必然なんかで語れるような話じゃない。海崎、俺たち人間には最初から主体性なんてなかった。すべてはミトコンドリアの最終宿主へと、その橋渡しをするだけのために人間が利用されたんだ」
「ミトコンドリアの最終宿主、お前は……」
トキソプラズマをデフォルメしたサイエンシーレポート誌の表紙絵が、海崎の視界の前を何度もフラッシュバックしていく。
――最終宿主。
「人間ではなく、ネットワーク。そう考えれば何もかも腑に落ちる。中央操作室の端末から連日ミソラへアクセスしていたことが、それを間接的に証明している」
配管がむき出しの天井や壁、殺風景な事務室。奥の階段を登ればメインコンソールと発電系関連設備が並ぶ中央操作室がある。
二人の靴音だけがこだまする空間の中で、携帯端末の着信を知らせるバイブレーションが響き渡った。海崎は胸ポケットから端末を取り出すと、そのモニターを確認する。
画面上には
『景、体調は大丈夫かしら。急に意識を失ったって聞いて、とても心配していたの』
耳に押し当てたスピーカーから聞こえてくるのは、声なき存在の声。この世界のどこから発せられているのか、今となっては分からないけれども、世界それ自体の内に響いてくる声。
「彩……。君は誰だ?」
『ふふ。何もかも知っているって口ぶりね』
「君の目的はなんだ?」
『質問ばかりしないでよ。ねえ、近くに来て、景。もっとお話をしましょう』
通話はそこで一方的に途切れてしまった。
「神尾、地下へ向かおう」
「やめておけ。ここに来た理由は中央操作室だろう。俺たちは利用されているんだ。ネットワークを介して、いつだって行動を監視されている。あいつの言うとおりに行動するなんて、危険すぎる」
「彼女の目的を知ることに意味はあると思う。彼女は未だに目的を達成できていないはずだ。だからこそコンタクトを取ってきた。利用されているのはもちろん分かっている。でも、最終宿主であるネットワークを手に入れたミトコンドリアにとって、人類とはどんな存在だろうかと考えて見れば、おおよそ検討はつく。それは決して人類に恩恵などをもたらすようなものじゃない」
「あいつの目的……」
「とにかく、行こう。危険だと判断したら、すぐに逃げればいい」
二人は、廊下の突き当りを折れると、地下へと続く階段を足早に降りていった。
三年前、宮部彩はこの場所で、自分の間違いに気が付いた。配線系統の接続ミスで、プラント水槽内に高電圧の負荷がかかっていたことを。
『私ね。間違っちゃった』
巨大水槽から湧き上がる気泡が水素だと分かった時、彼女はその場から決して逃げようとはしなかった。アクリルの水槽を手でなぞる彼女、その瞳を流れ落ちる大きな涙。彼女にとって、グリーン・オルガネラとは一体なんだったのだろう。
『私は小さな風力発電所を作っただけよ』
結局のところ、風の行く先は、不自由で孤独な場所でしかないのだろうか。
海崎はプラント入口の扉をゆっくりと開けた。室内からは四十度はあろうかという湿気を孕んだ空気が、気流となり廊下に流れ込んでくる。
部屋の奥へ進むと、どこからともなく水が滴る音が聞こえてきた。きっと、培養液か何かが漏れ出ているのだろう。
かつて水槽の置かれていた部屋の中央には、巨大な円筒形の強化ガラスが設置されており、上層まで緑色の液体で満たされていた。その中に、大きな肉片のようなものが浮いている。
「あれが人工培養細胞さ。その大きさはダチョウの卵で換算すると十個分、つまり世界で最も大きな単細胞。あの中に膨大な数のミトコンドリアが増殖し続けている」
ガラス壁面に近づいて人工培養細胞を見てみると、それは小刻みではあるが上下に揺れていた。
「呼吸をしているのさ」
「呼吸?」
「もちろん肺のような臓器があるわけじゃない。エアチューブから直接的に細胞内へ酸素を送り込んでいる」
神尾の言うとおり、巨大な単細胞のいたる所から透明のチューブが突き出ており、それが緑色の液体に、満たされた円筒形のガラス内を伝って、上層から外部の装置に接続されていた。
周囲に設置された機材は当時とは全く異なっており、当時の面影はない。当たり前だ。ここにあった設備は三年前に全て破壊されてしまったのだから。
いくつも並ぶ制御サーバーの奥に視線を向けた海崎は、そこに人影を見つけて言葉を失った。
「神尾、あれを見ろ」
その人影はゆっくり、二人に向かって歩いてくる。少し栗色の長い髪が、湿気を孕んだ空気に揺れている。大きな瞳は真っ直ぐに海崎を見据えていた。
「まさか、そんな……」
「景、会いに来てくれて、とても嬉しいわ」
そう言って、彼女は首を斜めにかしげながら微かに笑った。
「彩……」
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