第13話:グレーが似合います

「やっぱり、混雑してますねぇ」


 田部淳子たべじゅんこはそう言いながら、エスカレーターのステップに足を踏み出す。その後ろから海崎景かいざきけいも上昇していくステップに乗り込んだ。

 都心のターミナル駅に直結する高層ビル。その低階層には、商業施設が広がっており、多くの買い物客で混雑していた。


「休日は混むよね」


 田部の身長が低いためか、エスカレーターが一段分上昇しても、後ろのステップに立つ海崎とほぼ同じ背丈だ。


「海崎さん、休日というか、来週はクリスマスですよっ」


「ああ、そうか。もう、そんな時期なんだ」


 彼女にそう言われて、イルミネーションで色鮮やかに装飾された駅前のロータリーを思い出す。決して関心がないわけではなかったのだけれど、海崎にとっては、華やかな電飾が生み出す幻想的な光景も、年末の風景の一部でしかない。むしろ、今年もあと二週間足らずで終わってしまうのだという、喪失感に似たような感情さえ覚える。


「どんなプレゼントを考えてるの?」


「それなんですよ。まあ、とりあえずこの階から見ていきたいと思います」


 田部が向かった先は、主に男性向けの衣類や小物を取り扱った店が立ち並んでいるエリアだ。


「プレゼントされて助かるものと言えば、ネクタイとかかなぁ。あまり自分で買う機会もないからね。まあ、人にもよるだろうけれど。その人はスーツとか着るの?」


「ええ、そのようです。職場では作業用のブルゾンジャケットを着ちゃうみたいですけど、ネクタイは毎日していますねぇ」


「へえ、なんだかうちの職場みたいだね」


「そ、そうなんですよっ! だから海崎さんにお願いしたんですっ」


 海崎は、自分がたまに立ち寄るブランドショップの前で足を止めた。少し見ていこうと田部を促すと、ビジネススーツの並びを抜け、ネクタイが置かれた奥の棚へと向かう。

 茶色の木製棚に並ぶネクタイは、間接照明のみを用いた売り場の雰囲気も相まって、値段の割に高級感を放っていた。


「これなんか、どうかな」


 海崎は青色のネクタイを手に取ると、隣にいる田部に手渡す。


「うん、良いと思います。海崎さん、ちょっと当ててみて良いですか?」


 田部はネクタイの真ん中あたりで二つに折り曲げると、海崎の胸元に押し当てて首をかしげる。少し青色が強めだったのだろうか。彼女は「ちょっと微妙ですかねぇ」と表情を曇らせ、そのネクタイを棚に戻した。


「まあ、ネクタイは好みがあるからね。ハンカチとかの方が無難なのかな」


「ハンカチですか……」


 しばらくネクタイを選んでいた田部だったが、「他、見てもいいですか?」というと、隣の店に向かった。


 ガラスケースに囲まれた店内は、衣類というより小物や雑貨、文房具などを取り扱っているセレクトショップだ。海崎はショーケースに並んだボールペンや万年筆に、つい目を奪われてしまった。彼は昔から文房具が好きだ。今も愛用しているパーカーのボールペンは十年以上も前に買ったものだった。

 田部は文房具の隣に並べられた小さな革製品や小物雑貨を眺めている。


「なるほど、パスケースとか、キーホルダーとかねぇ。普段から持ち歩くものだし、良い選択だと思う」


「私、こういう小物が好きなんですよ。ほら、なんとなくインスタ映えじゃないですか」


 海崎は苦笑しながら、彼女のキーホールダーに謎ストラップが大量に取り付けられていたのを思い出した。

 

 田部が小物に夢中になっている姿を尻目に、海崎は向かいのマフラーが並ぶ棚に視線を向ける。クリスマスセール中らしく、どれも三割引きとなっていて値段も手ごろだ。網目の大きいニットマフラーや、フリンジマフラー、ストールまで並んでいた。


「マフラー、欲しいんですか?」


「しばらく、買い換えていないなと思ってね」


「これなんか、どうでしょう? めちゃくちゃ暖かそうじゃないですかっ」


 そう言いながら田部が取り上げたのは、真っ白なフサフサが付いたウールマフラーだった。


「モフモフだねぇ……」


 海崎は、生地が薄めのボリュームが少ないマフラーを、首元でぐるぐる巻きつけ、それを後ろできゅっと結ぶスタイルに慣れていた。だから厚手のマフラーを自分から購入したことはないし、それをどう巻きつけて良いのか想像ができない。


「僕は、何色なんだろう……」


 そう呟いた彼は、目の前にある灰色を基調としたウィンドウペンチェック柄のマフラーを手に取った。その横から、田部はひょいと顔を出すと「海崎さん、グレー似合いそうですね」といって、満面笑みを浮かべる。


 灰色を定義付けているのは、白でもない、あるいは黒でもない、と言うようなネガティブな仕方だ。それは赤色を定義付けている何かとは少し異なる気がする。海崎はそんなことを考えながら、棚の隣りに置かれている鏡の前に立つと、灰色のマフラーを首に巻いてみた。


「バッチしですっ。よしっ決めたっ。これにしましょう」


「え? これでいいの?」


「プレゼントしたい方って、なんとなく海崎さんに似ているんですよ。だからきっと喜んでくれると思います」


「そう、なら良いけど……。大丈夫かな」


 きっと大丈夫ですよ、と言った彼女は、灰色のマフラーを片手にレジへ向かった。


☆★☆


「この後、用事ありますか?」


 海崎が腕時計を確認すると、時刻は夕方の五時を少し回ったところだった。確かに、帰るにはまだ早い時間帯かもしれない。普通なら、これから夕食を一緒に食べて、少しゆっくりしてから帰るところなのだろう。ただ、今日は宮部彩みやべあやが久しぶりに帰ってくる予定になっている。


「少しだけなら大丈夫だよ」


「そうですか。では、ほんの少しだけ付き合ってもらえませんか?」


 田部が向かった先は、ビルの高階層に作られた展望スペースだった。地上五十階に位置するこの場所からは、首都圏の夜景を一望することができる。

 西の地平線には、まだうっすらとオレンジ色の光が残っていたが、街は夜空に包まれていた。眼下には、駅前の広場があり、クリスマス・イルミネーションが鮮やかに光り輝いている。幹線道路を行き交う車のヘッドライトが、夜の街を縫うように移動していくその光景は、まるで模型を見ているかようにリアリティに欠けていた。

 海崎の視界正面には、高層ビル群の窓明かりが夜空に浮かび上がっている。そのシルエットを描き出す航空障害灯が宵闇の中で赤く点滅していた。

 宵街は呼吸をするかのように闇の中で息づいている。静寂の中にある希望、あるいは一抹の不安。


「この街の夜景が好きです。とっても」


「昼の光には存在しない何か、それが夜の闇を照らす光にはあるよね」


昼の光に夜の闇の深さが分かるものか……。

――そういったのはルソーだったか、ニーチェだったか。


「海崎さん……」


「うん?」


「海崎さんはきっと、本当に、頑張っていると思います」


「どうした? 急に」


 田部はうつむきながら、街の灯りをじっと見つめている。額にかかった前髪は、彼女の表情を覆い隠しながら微かに揺れていた。


「きっと、とても苦しんで、悲しんで、感情に蓋をして、それでも前に進もうと……」


「田部さん? いや、僕はそんな……」


「だから、そんな海崎さんに……」


 田部が顔を上げ、海崎を見つめたその瞬間だった。


「待って、田部さんっ」


 高層ビルがそびえる空間のさらに奥、つまり街の西側の端から街明かりが広範囲にわたって消えたのだ。


「え?」


「街の様子がおかしい」


 ――闇が迫ってくる。


 そう形容するしかない。夜空の真下に広がる街の光が、遠方からこちら側に向かって、次々と闇に飲まれていくのだ。高層ビルの灯りが全て消滅すると、あっという間に眼下のイルミネーションも闇にのまれ、二人がいる展望スペースの照明も全て消えてしまった。幹線道路を走る車のヘッドライトだけが、闇の中をさ迷っているかのように動いている。


「海崎さん、これって……」


 周囲から戸惑いの声が上がるが、幸いなことに、窓ガラスから差し込む月明かりのおかげで、完全な暗闇に包まれたわけではなかった。もし仮に真っ暗になっていたとしたら、みなパニックになっていたに違いない。


「停電……。それも首都圏全域って……」

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