第12話:過去を探しています

 中央給電指令所の広いコンコースを抜け、正面エントランスを出たところで、海崎景かいざきけいの携帯端末が着信を知らせた。スーツの胸ポケットから端末を取り出してその画面を確認すると、ソーシャル・ネットワーク・システムによる音声通話アイコンが表示されていた。


「お疲れさま。その後の状況が少し気になって」


 風の音が通話に割り込んでくる。端末スピーカーから聞こえる宮部彩みやべあやの声が少しだけ遠い気がして、海崎は耳に端末を強く押し当てた。


「ああ、おかげさまで。今のところトラブルなしだ」


「そう、良かった」


「なあ、彩」


「うん?」


「今回の一連のトラブル、その原因はミソラの予測精度だけにあると思うかい?」


 データベース拡充による電力需要予測システムの精度向上。最初にそのことを提案したのは宮部だった。とはいえ、シミュレーション解析の結果が示していたのは、予測精度の向上はごく限定的なものだったということ。統計学的に有意と言えど、宮部にとっては誤差範囲に過ぎないくらいに。


 しかし、実際に作業を進めてみると、電力送給に関連するトラブルは皆無となっている。それが意味しているのは、高性能な統計解析ソフトよりも、彼女の見通す未来の方が正確だったということだ。凡人の認識には及びもつかない相関性が彼女には、はっきりと見えているのだろうか。


「ミソラが大きく影響していることは確かなんじゃない? 実際、トラブルは激減しているわけだし。因果関係ではないかもしれないけれど、強い相関関係にある、そう思うわ」


「君はミソラの制御システムにログインしたことがある?」


「どうしたの? 突然そんなこと。なぜ私がそんなことをする必要があるのかしら?神尾かみお先輩じゃない?」


 神尾は世間の出来事に関心がない、あるのは細胞の中の世界だけ、そう言っていたのは宮部本人ではなかっただろうか。

 なんとなく腑に落ちない彼女の言葉に、海崎は頭痛を感じ、左手でこめかみを抑えた。脈うつ額に冷や汗を覚え、端末を耳に押し当てたまま、壁にもたれかかる。


「景、どうしたの?」


「あ、ああ。大丈夫。少し頭が痛いだけだ」


「無理しないで。週末には帰れるかもしれない。帰ったら一緒にご飯でも食べに行きましょう」


「ごめん、彩。週末は予定が入ってしまって……」


「そう。でも夜には帰ってくるでしょう?」


「それほど遅くならないと思う」


「じゃ、終末の夜に」


☆★☆


「珍しいですね、受診予定日以外で海崎さんが来るのは」


 診療時間の終了間際だったのにもかかわらず、門脇かどわき医師は嫌な顔一つせず、いつもの落ち着いた様子で、海崎を診察室に招き入れた。机の上の本たちは、相変わらず斜めに立てかけられている。


「突然にすみません」


「いえ、良いのですよ。診察予定などというものは形式的なものにすぎません。で、どうされたんです? 何かあったから私を訪ねてきたんでしょう?」


 先ほどまで、こめかみを握りつぶすかのようにうずいていた頭痛は、いつの間にか消えていた。ただ、若干の嘔気と冷や汗の感覚は未だ残っている。


「前兆と言うか、上手く言葉にできないんですけど、怖いんです。また現れるんじゃないかって」


「幻覚とか幻聴のことですか?」


「はい。僕は幻覚や幻聴から逃れるように、無意識的に何かから関心をそらしている、そんな気がしているんです。その何かさえも良く分からないのですけど……」


「なるほど」


 門脇医師はそう言って小さくため息をついた。後ろの棚から、海崎の診療録を取り出すと、それを机の上に広げ、いつものように細かい文字で何かを書き始める。程なくして手を止めると、ゆっくりと顔をもたげ、海崎をじっと見つめた。


「さて、今日は過去の出来事についての話をしましょうか」


「過去?」


「ええ、そうです。海崎さんにはきっと大切な思い出がおありでしょう」


 そう言った門脇医師の言葉に、大学の研究室でヤヌスグリーンの茶瓶を両手に『君は何色?』と呟いた宮部彩みやべあやの姿が思い浮かんだ。続けて、小学生の自由研究で、小さな風力発電所を作った話をしている彼女の好奇心に満ち溢れた表情も。海崎にとって、過去とは宮部彩と共に過ごした時間に他ならない。


「思い出とは、過去の出来事のありのままの再現ではないのですよ。それはある種の解釈を伴っている。意識的であろうと無意識的であろうと、出来事の取捨選択を行っているのは人の関心そのものです」


「過去そのものに触れることはできない、そう言うことですね」


「ええ、そうです。過去は想起するものでしかない以上、それは特定のパースペクティブの上でしか成立しえないのですよ。つまり、過去は実在すると言うよりは構成されている」


 思い出を語ろうとするとき、そこで起こった全てのことを記憶しているわけではないが故に、記憶から抜け落ちた部分は、事後的な解釈によって補完され、時に事実とは異なる仕方で、書き換えられていく。

 門脇医師は、少しだけずれ落ちた眼鏡を額に押し上げると、さらに話を続けた。


「いいですか、海崎さん。事実だと信じている世界と、他方で虚構と思われている幻覚の世界に、本来的に明確な境界線なんて存在しないのです。医師、それも精神科医である僕が言うのもおかしな話ですけれど、解釈が世界を構築してるということはつまり、事実の中に虚構が混ざり合っているということですし、その逆もしかりなのです。人は程度の差はあれ、幻覚や幻想の世界を生きている」


「幻想の世界……」


「何かから目をそむけていると感じるなら、そこに視線を向ける必要もあるでのしょう。でもね。海崎さん、それは時にとても残酷なことだし、とても苦痛を伴うことだ。現に君は三年前、向き合うべき現実に耐え切れなくなってしまった。その精神状態を、心の安定性を保つために、過去を捨てろと、そう自分に言い聞かせてきたのではないですか?」


――過去を捨てろ


 あれは幻聴ではなく、自分の声だったのではないか。幻聴であるとそう信じ込むことによって自分の声から逃げていたのではないか。

 海崎の中で少しずつではあるが思考の枠組みが組み替えられていくようなそんな気がした。門脇医師の言う通り、それは苦痛を伴うものかもしれない。幻覚や幻聴に対する恐怖の源泉は間違いなくそこにあるのだろうから。


「目に見える世界、認識、それらは様々な理由があるにせよ、自身が編み上げているものです。それを病と呼ぶかどうかは重要な問題じゃない。ただ目の前にある世界、それを受け入れることができるかどうかなのです。そして、もっと大事なのは、受け入れるせよ、そうしないにせよ、どちらを選んだとしても、それは正しい選択であるということです」


「先生、僕は、いったい………」


ーー何色でしょうか。

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