第11話:今のところ順調です

「海崎さん、今のところ順調ですよ。データベースの拡充作業も問題ありませんでしたし、電気の周波数や送電系にもトラブルは発生していない。まずは来宮きのみやさんも一安心、というところでしょうか」


 システム制御室のメインコンソールを前に、前田和彦まえだかずひこはそう言いながら、椅子に深くもたれ掛かり、両腕を頭の後ろで組んだ。彼の隣で海崎景かいざきけいはモニターを凝視している。ここ数日間、周波数の乱れや送電トラブルに関するアラートは記録されていなかった。


「シミュレーションの結果は微妙だったんですけど……。杞憂きゆうだった、ということでしょうか。あるいは、僕の解析方法が間違っていたのでしょうか」


 前田和彦は社会統計学の専門家であり、電力需要予測における主要な決定因子の探索を主な業務としていた。予測値に大きな変動をもたらす要因は、予測精度向上のためにも、優先的にミソラの解析モデルに組み込んでいく必要がある。

 彼は入社二十年のベテランであり、温厚な人柄も相まって周囲の信頼も厚い。海崎が来宮隆きのみやたかしに提出した電力需要予測に関するシミレーションレポートも、前田が作った統計解析ソフトによるものだ。


「海崎さんの報告書、読みましたよ。解析手法やその手順に問題はないです。そもそも、一連のトラブルがミソラの予測精度によるものなのか、という指摘はできるはずなんですけどね」


 前提を疑い、あらためて議論の俎上そじょうに載せる。常識や当たり前の価値観に捕らわれていると、見失ってしまう視点は少なくない。

 モニターに表示されている基準範囲内におさまった周波数の時間別推移は、綺麗な直線を描いていた。前田がモニター画面をスクロールさせても、その変動はほとんど示されない。


「なんだか綺麗すぎますね」


「これほど大きな改善が見られると、データベースの拡充によってこの結果がもたらされたと、思わずそう考えたくなります。でも海崎さん、任意の結果が引き起こされた場合、つまり今回のケースで言えば、電気の周波数変化や停電という事象ですけれど、それを引き起こしている唯一の原因というものは、実は存在しないと考えた方が良いように思います」


「どういうことですか?」


 前田はモニターから視線を外し、思考を整理するかのように、ゆっくりうなずくと話を続けた。


「つまり、こういうことですよ。海崎さんは仕事が終わって家に帰ったら、壁に取り付けてある照明のスイッチを入れるでしょう?」


「ええ、大抵は」


「すると天井の照明が点灯して、部屋に明かりがともる。つまり、スイッチを入れたことが原因で、その結果、照明が点灯するというわけです。こういう原因と結果の連関を因果関係いんがかんけいなんて呼びますけど、よく考えてみれば、天井の照明が点灯した原因は、壁のスイッチを押したということが唯一のものでしょうか」


 ある事象に引き続いて生起する事象、その連関。物理法則や科学理論はそういった因果関係を前提としている。電気という科学的なエネルギーがもたらす連関は、それが科学である以上、やはり因果の連鎖という網目の中に存在していることに違いはない。だがしかし、それは唯一の原因と結果という二つの要素だけに還元できてしまうような単純な連関だとは限らない。


「なるほど……。そもそも、部屋に電気が通電されていなければ照明はつきません。つまり送電系が適切に機能している事、いや、もっと言えば電気が発電されていなければ……と。突き詰めれば、それは無限後退に陥る……」


「さすがすね。電力を生み出している原因は何か。そう遡っていくと、発電機関が正常に稼働している事、そのためには事故やトラブルが発生しないよう、様々な安全管理体制が整っていること、さらに、それを整備して管理、運営する人間が存在すること……。唯一の原因なんてありえないんです」


 何かを選択する、あるいは決断するという行為のともいうべき人間の意志。その輪郭が曖昧でつかみどころがないように、物事を引き起こしたきっかけ、つまり原因というものを明確にスクリーニングすることは不可能なのかもしれない。


「つまり、前田さんは今回のトラブルについて、その主要な原因はミソラではないとお考えですか?」


「ミソラに問題はない、とまでは言いませんよ。ただ、私の考えでは、それは問題の一部でしかないということです。大事なのは唯一の原因を探ることではなく、物事は多因子的にしか発生しえないという視点を持つことです。まずは、あらゆる因子に関心を向けておく必要があります」


「大切なことですね。人は見たいものしか見ないし、関心の無い事柄は記憶にさえ残さない」


 特定の要因が、結果をもたらしている唯一の原因と考えるのも、ある意味で思想の一つなのだと海崎は思う。原因だと思われているものも、様々な価値観や人の関心によって、事実とは無関係に構築されたものなのかもしれない。


「あるいは、そもそも停電事象が偶然的に発生したものかもしれませんが。統計学的に言えば、事象の生起には、常に偶然誤差アルファ・エラーの可能性が付きまといますので」


「偶然……。ですか」


 一般体に、必然性に対する偶然性の印象はあまり良くない。でも海崎は偶然こそが、時間にとって最も大きな意味を持っているように思う。例えば、大切な誰かとの出会いは、偶然の積み重ねによって決定づけられているのだから。必然とは事後的に振り返った時に、そう思える程度のことでしかない。



 中央給電指令所のオフィスに戻ると、来宮隆は奥のデスクに腰かけたまま、残務整理に追われている様子だった。壁にかけられた時計を確認すると午後六時を少し回っている。田部淳子たべじゅんこは定時で退勤したようだ。


「海崎君、お疲れ様。どうだいミソラの様子は?」


「データベース拡充が原因なのかは分からないですけど、周波数の乱れは綺麗に消失しました。前田さんは他の原因についても引き続いて調べておいた方がいいと、そう言っていましたけど」


 大事なのは唯一の原因を探ることではなく、物事は多因子的にしか発生しえないという視点を持つこと。前田の言葉には大きな説得力があった。


「まあ、原子炉の再稼働は、そのための対策ということになるだろうね。原因の探究というよりは不測の事態への対処、という意味合いが強いけれど。こちらの方は、あと数日といった感じかな。原子力開発機構の連中も休日返上で作業するそうだ」


「それだけ急ピッチで進めて、安全管理とか、大丈夫なんでしょうか?」


 海崎は、先日のテレビ報道を思い出した。南関東原子力施設廃炉を目指す会という反原発組織の柏﨑なる人物が主張していたのは、重大事故が発生し、放射性物質が外部に漏れ出した場合の周辺環境への影響だった。南関東平野に広がる生産地帯に、壊滅的な被害をもたらすだろうと。


 半世紀前に発生した大地震によって、生産年齢人口の多くを失ってしまった日本では、農林水産省や経済産業省が中心となり、電気、水道、ガスの他、農作物や飲料水など、人々の暮らしに最低限必要な物資やエネルギーを、反永続的に供給し続ける巨大プラントを作り上げた。旧神奈川県の平野部一帯に構築されたこの広大な生産地帯は、全てオートメーション化され、人間が関わることなく必要物資を供給し続ける。


「もともと再稼働を想定していた施設だから、そのあたり対策は抜かりないと思うよ。それに、あそこの原子炉の制御は全て自動化されているし、基本的には無人操業だから人的な被害も発生しえない。万が一、取り返しのつかない重大な事故が発生しても、何重にも隔壁が張り巡らされているから、最終的には封じ込めによる廃炉もできるよう設計されている」


「北関東第一原発の炉心融解も、安全性には問題ないと、そう言われていたのではないでしょうか?」


「まあ、時代が違うよ、海崎君。何せ半世紀も昔の話だ。それにあれは予期せぬ自然災害だった。技術的な問題ではないさ」


 前田だったら、おそらくこう言っていたかもしれない。

 安全は技術だけがもたらすものではない。安全は多くの偶然という要素が、それこそ偶然的に積み重なってもたらされているくらいに脆いものだと。何かが一つでも欠けてしまったら、技術の問題はどうあれ、安全は直ちに瓦解する。


「そんなわけで僕も週末は日曜出勤さ」


「何か手伝いましょうか?」


 そういった直後に、週末は田部の買い物に付き合う予定だったことを思い出した。


「いや、大丈夫だよ。あ、全然話はかわるんだけど、技戦研からミソラにログインしている記録が残っていてね。神尾君か誰かがアクセスしているのだろうかと思ったんだけど、あらためて見てみると、アクセス回数がうちの社員より多い日もあるんだよね。何か聞いているかい?」


「技術戦略研究所からミソラにログインですか。考えられるとすれば神尾か宮部か……」


「あ、いや。分からなければ大丈夫だよ。あっちの上級研究員はアクセス権限持ってるし、何か問題があるわけじゃないから」

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