第9話:とりあえず頑張ります

 東日本全域の送電系を二十四時間モニターしている指令台を背に、来宮隆きのみやたかしが給電指令所の社員を集めて話をしている姿は珍しい。普段は口数もそれほど多くはないし、海崎景かいざきけいにとっては、どことなく頼りない風貌の上司ではあったが、今日の表情はいつもと少し違っていた。


「みんなも知っていると思うけど、中央給電指令所が予測している電力需要量は、首都圏エリアの住民登録データベースを人工知能に解析させることによって割り出している」


 ミソラと呼ばれるその人工知能は、もともとは東亜電力の系列会社が開発した、携帯端末用のアプリケーションに登載されていたものだ。ネットワーク上に散らばっている無数の情報を独自に吟味しながらその妥当性を判断し、クライアントの要求に最も適した答えをはじき出すようプログラムされていた。


 電力需要予測システムへの実装にあたり、来宮が中心となって大きなバージョン修正が行われたが、その基本原理は変わらない。電力需要の予測を行う解析モデルは、住民登録データベースというビックデータから、様々な相関性や傾向性を分析するという深層学習ディープラーニングに基づいている。


「現在、総務省と調整中ではあるけれど、今後は東日本全域の住民登録データベースを利用できるようになる。順次、データベースの拡充作業をしていくので、ちょっと忙しくなるかもしれないが、みんなよろしく頼むよ」


 昨日の会議には、経済産業省や総務省の担当技官も出席していたらしく、事の重大性に、指令所内は朝から緊迫した空気に包まれていた。グリーン・オルガネラという最新のテクノロジーと、電力インフラに対する信頼性は、東亜電力だけの問題ではなく、今や国家レベルの問題として提起されているのだ。


 ミソラが解析している住民登録データベースには、個々人の年齢、性別、在籍している企業や学校、家族構成などの個人情報の他、前年度の電気、ガス、水道の使用量、さらには医療受給記録、世帯年収など、住民の活動傾向に関する膨大な情報がリンクされている。

 当初は、医療や健康に関する疫学えきがく的な研究を行うために、北関東州立大学医学部が単独で構築したデータベース大規模コホートであったが、総務省が導入した社会保障税番号マイナンバー制度と、そのデータベースが共有され、現在では全国民の社会心理傾向を数値化する巨大プロジェクトとなっている。


 東亜電力ではその一部のデータベースを利用して電力需要予測を行っていたが、今季の給電エリア拡大に伴い、その予測精度が落ちている可能性についても議論されたらしい。おそらく、神尾大かみをだいが提言してくれたのだろうと海崎は直観した。


「来宮さん、僕のシミュレーション結果について、どう思いますか?」


 海崎の問いに、神妙な面持ちで深くうなずいた来宮は話を続ける。


「期待したほどの効果は得られないという印象だよね。海崎君のシミュレーション結果を知ったのは、こっちに戻ってからだったから、会議中に予測精度向上に関する詳細な議論はできなかったのだけど、それと同じような指摘はあったよ。東北に給電エリアを拡大するといっても、そもそも首都圏とは比にならないくらい人口が少ない地域だし、これまでの予測値に、一定の係数をかければ精度の調整は可能なんじゃないかってね。それと、データーベースの利用制限解除は、情報セキュリティーの面からリスクが高いという指摘も受けた」


「ですよね。普通に考えたら、そんな個人情報の塊みたいなデータベースを、民間の営利企業が自由に使えるなんてありえないです。なんでまた総務省は許可したんでしょうか」


 海崎の隣にいる田部淳子たべじゅんこは首をかしげながら、そう問いかける。田部の言うとおり、公共インフラを担う会社だとしても、営利企業が公的な情報資源を利用することに対するリスクは、政府にとって重大な懸念事項の一つだろう。


「データベースの使用に当たり、守秘義務の適用はもちろんだが、それに加えて条件を二つ提示されている。まずは、うちのミソラを、電力需要の予測だけでなく、今後は様々な分野で活用していくために、その基盤を関係省庁と共同開発していくこと」


 汎用型人工知能、ミソラのスペックは決して低くない。住民登録データベースというビックデータを与えれば、人の認識では絶対に気付けないくらいの微細な相関性さえすくい上げ、極めて精度の高い帰納法的プロセスによって、合理的な意思決定を行うことが可能なはずだ。

 政府は、そうした合理的意思決定を自動化するシステムを構想しているのかもしれない。そのモデルケースとしてミソラに注目したと考えれば、今回の決定も腑に落ちる。


「それと、もう一つ、安定的な電力送給を維持するために、非常時に備えて南関東にある原子炉を再稼働させること、この二つが許諾条件だ」


「あれを再稼働……ですか」


 来宮の話を聞いていた社員たちの表情が曇る。程度の差はあれ、誰しもが原子力による発電システムに何らかの懸念を抱いている。国土の一部を半永久的に失った半世紀前の原発事故は、国民の社会認識を変えるほど強いインパクトがあった。



『今後の緊急時に備えて、南関東に配備されている原子炉を一部稼働させることも想定しておかないといけない』


 宮部彩みやべあやは、あらゆるシステムには不完全性が伴っていると言っていた。それは海崎にも良く分かっている。システムの完全性は、そのシステムが完全に駆動しているかどうかよりも、完全に駆動しているとによって成立するから。


 原子力による発電系も不完全なシステムだ。だがしかし、その不完全性を相互に補完することにより、グリーン・オルガネラはシステムとしての完成度を飛躍的に高めていくことができる。全く新しい技術を実用化していくために、むしろ人は原子力技術に向き合い続けなければならない。


「グリーン・オルガネラによる発電システムの信頼性を高めるには、非常時への対応もしておかなければいけないというわけさ。それに伴って、会社組織の大規模な改編が進められる予定だ。今後、南関東原子力開発機構が担っていた業務は東亜電力の直轄となり、当該発電施設とその原子炉はうちの指揮下に入る」


「でも、そんなことを決定して世論の反応はどうするつもりなんでしょうねぇ」


 田部が首をかしげながらそう言うと、来宮は苦笑しながら、それについては本社に任せるしかないね、と呟くように答えた。


 原子力に対する風当たりは確かに強い。その上、過去に大事故を引き起こしてしまった東亜電力の原子力技術に対する社会評価は決して高いとはいえない。南関東原子力開発機構という別組織を立ち上げざるを得なかったのも、そうした社会的な背景が理由だった。


「まあ、こちらはあくまで技術屋なので、僕らにできることをやるしかないよね」


 海崎は、隣に座る田部にそういうと、デスクの上にあるマグカップを手に取って、冷めきったコーヒーを口に含んだ。


「はい、海崎さんっ。とりあえず、頑張りましょうね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る